猫と傘、闇医者に会う
この町の雨は、止むことがない。どこから供給されるのか、常に空から降ってくる水の量は膨大なものであり、そこに含まれる汚染物質もまたとてつもない量になる。量の多寡や成分の濃淡はあるとはいえ途切れることもなく降り注ぐそれに、しかし町の住人は慣れてしまい、疑問に思うこともなく日々の暮らしに追われているのだった。ただ、疑問に思わないというだけで、その影響は外を歩く人々にも、自動機械にも、等しくダメージを与え続けている。生き物ーたとえば犬、猫、鼠、鴉といった都市に居そうな動物ーは、もうずっと昔に住めなくなっている。どこか遠くにはまだいるのかもしれないが、この町で見かけることはない。一見生身のような合成有機物を多用したボディも、強化皮膜や保護クリームで覆わなければ使い物にならない強い腐食性を持つ液体、それがこの町を常に包む雨水の正体である。
「子供達は元気ですねぇ」
そんな雨の中、地味な色の着物と羽織に何故か縞の袴という格好で、景色に似合わぬ和傘をさして雨を凌いでいる者がいる。道の真ん中に立っていて一見通行の邪魔のようではあるが、その先では無軌道な若者達の抗争ごっこの真っ最中であり、その唯一の見物人がこの、和装と和傘に青灰の端正な洋猫の顔の乗った、所謂猫又という存在である。尤も袴に隠れて尻尾は見えないのだが。
「子供達っていう年なのかねぇ」
もう一つの声の主は、猫のさしている傘である。これも世間で言うところの妖怪の類で、一般的には唐傘お化けという名で通っている。和傘なのか唐傘なのかと言われそうだが、唐傘というのが唐から伝わったのが欽明天皇の頃というから、その頃からの呼び名が残っているだけで、和物と考えて差し支えは無いだろう。
「若い衆と言うにはまだまだ」
何かが飛んできて、猫が傘で受ける。それは空高くに上がって、雨に隠れて消えていった。
「っと、まあ、子供っぽいやんちゃですよねぇ」
目の前で争っているのは、メタル者と肉美男が何人か。大した規模ではない。それぞれに所属するチーム同士の仲が悪く、些細なことから壊しあいの喧嘩になった程度だろう。
「見覚えのある顔がいますね」
肉美男の方は知らない顔ばかりだが、メタル者には見覚えのある顔が混ざっている。尤も顔を付け替えられたり改造されたりするとわからないので、目安でしかないが。
「知ってる子供達を応援したくはなりますが……」
傘をくるくると回す。
「子供の喧嘩に大人が出て行くものでもないですしね」
殴りかかるマッチョ、煌めくビーム。コストのかかる実弾はあまり使いたくないようだ。一見ビームの方が有利そうなのだが、対策済みなのだろう。動けなくなる者はメタル者の方が多い。
「今日はこのへんにしといたらぁ!」
伝統的な降伏のメッセージによって、一旦の決着が付いたようだ。不動になった者を運べる人員が確保できるうちにケリを付けないと、おうちに帰れなくなってしまう。
「情け無いですねぇ……」
猫としては、見知った顔のある方が負けてしまったので、あまり気分がよろしくない。なんなら肩で風を切るように去っていくマッチョ達を全員機能停止させてやろうかぐらいには思っているのだが、子供の喧嘩に大人は出ないと言った手前、さすがにこんな短時間で前言を撤回するのも如何なものかと思いじっと我慢しているのである。
「うわ、猫の人じゃん」
仲間を背負ったメタル者がばつの悪そうな声を上げる。
「だから、猫であって人ではないと言ったのだが……」
そう言いながら相手を見る。面発光の彼だ。背負われているのは見覚えのないメタル者。ちょっと凝った細工の腕がだらんと下がっている。パーツの合わせ目が何本も走っているのは、何かギミックも仕込んであるのだろう。
「そうだっけ。まあ、今はちょっと急いでるんだわ。こいつをセンセーのところに連れて行かなきゃいけないんでな」
「その、センセーというのは」
猫は邪魔をしないように横によけた後、メタル者の後ろをついて行く。
「この状況でセンセーっつったらサイバネドクターだわな。ただ、俺らは金がねーからよぉ、ちゃんとしたドクターんとこいってもダメなんだゎ」
前を歩くメタル者の駆動音と、背負ったメタル者とぶつかり合う音が相まって、ガッチョンギュイーン、ガッチョンギュイーンとけたたましい。
「そんな所に連れて行って、大丈夫なのですか」
「まあ、ダメかもしれないけどよ、センセーに無理なら無理なんだろうなって」
結局けたたましい音を立てながらそれなりの距離を歩く羽目になった。猫がついていることに安心したのか、他のメタル者は一人減り、二人減りして今はもう誰もついてきていない。周囲には扉の壊れた建物ばかり並び、人の気配もない。
「こんな所に医者が……」
さすがに猫もきょろきょろと辺りを見回してしまう。
「結局ついてくるなら猫の人に手伝ってもらえば良かったな」
「それなら他の子供に頼れば良かっただろうに」
そもそも猫の手というのはよほどの時でなければ借りるものではない。
「そんなカッコワリィことできねぇよ」
そう言いながらボロではあるが破れていない扉の前で立ち止まると、
「センセーすまねぇ」
と叫びながらドアを勝手に開けた。
「呼び鈴を鳴らせといつも言っとるじゃろうが……」
開けられた扉の奥から声が返ってきた。
「だから呼び鈴なんかどこにあるかわかんねぇっていつも言ってるだろ」
猫もつい扉の周囲を眺めてしまう。しかし呼び鈴のボタンらしきものや、呼び出すための仕組みのようなものは見つからない。顔を軽く左右に振ると傘を畳んで
「邪魔させてもらうよ」
メタル者の後を追って中に入っていった。
「なかなかこっぴどくやられたの」
六本腕のサイバネドクターが何本ものケーブルを手際よくつないでいく。人のように動作する機械の腕が体の横から二対、さらに背中から作業用アームとしか表現できない複数の関節をもつ腕が二本。円筒を正面だけ平らにそぎ落としたような顔には、サイズがそれぞれ違うレンズが四つ。コーティングの違いなのかレンズが少しずつ違う色に見える。人の顔の、口や鼻にあたるパーツは存在しないため、非常にすっきりとした顔をしている。
「生きてはおるが、少々修理に時間がかかるな。必要な部品も取り寄せなきゃならん。今日はこいつを置いて帰るといい」
モニターのようなものは特にない。人に見せる必要がないなら、ケーブルの信号はドクターが直接読みとるので、モニターなどは必要ないのだろう。
「ところでドクター殿」
猫が工房の奥に置いてある、根元が腐食した腕に気付く。
「あそこの腕には多少見覚えがあるのだが……」
「ああ、天使の腕か。ちょっと待て」
動かないメタル者のカバーをはずす作業の手を止めて、ドクターが顔を上げた。
「ボウズは先に帰れ。ワシはこの猫と話がある」
「ボウズじゃねえよ。ま、ドクターに言われりゃ仕方がねえゃ。ソイツのことをたのんます」
そう言うとあちこちを光らせてメタル者は工房をでていった。
「人望があるんですね」
「他に修理を頼める相手がおらん、それだけじゃろ。で、なんじゃ、あの腕がどうした」
「いえね、あれの持ち主に会ったことがあるのですが……その、そもそも天使とは何なのか、と」
それほど気になったわけではない。ただ、見覚えのある腕がそこにあることに、少しだけ縁を感じたのだ。だから、このドクターが知っているなら聞いてみたいと思った。このドクターからは、町の者とは違う階層の臭いがする。
「なんじゃ、会ったことがあるのに知らんのか」
胴体の小さなランプをいくつも点滅させながら、ドクターは話し始めた。
「本来の意味はともかく……ここで言う天使は、いわば『電池』じゃわい」
人を素材に、外部機械の補助によって、無限のエネルギーを実現していたと言われる人以外のものに近付ける。勿論紛い物であるから、無限のエネルギーなど望むべくもない。人間を使った、使い捨ての一次電池である。ドクターはそういった説明を行った。猫にどの程度伝わったのかはわからないが。
「本人から聞かなかったかの?」
「譫言で、作られたとは言っていましたが、すでに殆ど壊れていましたからね……」
「なるほどのぉ。機械の腕もあの有様じゃからの。そういえば他の部分はどうした?」
「さあ……」
実際、猫はあの抜け殻になった体がその後どうなったのか知らなかった。そういえば、蛇にかまれて星に帰る話では、その後残された体はどうなったのか。猫はよく知らない。そして、特に知りたいとも思わなかった。
「お、猫の人じゃん」
数日後、相変わらず裏通りを傘をさして歩く猫を見つけた面発光のメタル者が声をかけてくる。
「おや、前に運んだ子供は一緒じゃないのか」
何人かでつるんでいる中に、背負われていたメタル者はいなかった。
「ちょうどそれについてドクターに話を聞きにいこうと思ってさ。一緒に行くかい?」
どうも、あれ以来会っていないらしい。
「行く理由も特にないが、行かない理由もまた、特にないんですよねぇ」
「ややこしいこと言うなあ猫の人は。つまり、行くってことでいいんだよな?」
「直ったと思ったらふらっとでていきおって。まだ万全ではなかったというのに」
ドクターは、困った奴だ、という声色で話している。顔には構造的に表情をあらわす手段がない。
「どこかおかしいのかな?チームにも顔を出してないし、見かけたって奴もいないし……」
メタル者は心配そうにしている。普段つるんで悪さをするメンバーの一人が突然連絡も無くいなくなったのだ、気になるのだろう。
「こちらに顔を出したら、悪ガキ達が探していたと伝えておくわい」
「ありがとうドクター、助かる」
メタル者達とともに闇医者の工房を出た猫は、少し先で彼らと別れた後、工房に戻ってきた。
「ドクター殿?」
「なんじゃい」
ドクターが、声をかけられた方向を見もせずに返事をする。
「見間違いであれば申し訳ないのだが……その奥にある腕のパーツ、一部ではあるが……それは、前にかつぎ込まれた子供の物ではないでしょうか」
「……違う、と言いたいが、その目をごまかせる気もせんな」
くい、とドクターのシンプルな顔が猫の方を向く。
「殺した……のでしょうか」
「死んだのか殺したのか、壊れたのか壊したのか。それがそれほど重大なわけでもない……アンタにとってはそうでもないか?」
ドクターの目に危険な色がともる。
「いや、生きていないと知ったら、その理由はそれほどでも。知って何かが変わるものでもないですからね。それに、子供というのは……案外と脆いものですし」
猫はそこで一旦言葉を区切る。
「格安で面倒を見るのは、たまに金になる部品が手にはいるから、ですか」
「だったらどうする。ワシを殺してそいつを弔うか?」
図星なのだろう。作業アームの先の、溶接用のビームがReady状態を示すランプを点灯させている。しかし猫はそれを気にすることもなく
「そんなことしませんよ。これからも、子供達の面倒を見てやってくださいな。理由はともあれ、彼らにはあなたが頼りだ」
そう言うと、ドクターに背を向ける。
「チッ……まあ、言われずとも金になる間は続けるがの」
毒気を抜かれたドクターが舌打ちしながら呟いた。
「子供はすぐいなくなるねぇ」
珍しく猫がしみじみとした口調で言う。
「まあでも、顔見知りってわけでもないし、良かったじゃねぇの」
傘の方の声は無駄に明るい。それは優しさなのかもしれない。それは猫にもわかったのだろう。
「そうですね。確かにそうだ」
「油でも舐めて、忘れちまいな。なんか奇天烈な味の油を仕入れてもらったんだろう?」
そう話しながら、猫と傘は雨の中に溶けて消えていった。後には雨音ばかりがざあざあと残る。
この町の雨は、止むことがない。
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