猫と傘、陰陽師に会う
この町の雨は、止むことがない。深い深いビルの谷間、遠く隙間から覗く薄暗い灰色の空から常に降ってくる大量の水は、常に強い酸性を示し、重金属を含んでいる。生身で出歩くにはいささか不便なこの町は、しかし多くのサイバネ者で賑わってもいる。
大昔の飛行船のような見た目の、広報広告バルーンがゆっくりと低空を飛び、もう少し高いところをエア・タクシーが行き交い、ネオンと呼ばれるが実際ネオンガスを使わない発光パイプと多種多様な形に加工された面発光素子、そしてレーザーを組み合わせた雨の中でも高い視認性を保った看板が、表通りの景色を構成している。
「表通りの方が、あの虫みたいな機械が飛んでなくて良いんだがな」
その賑やかな通りから、ビルとビルの隙間に少しはいっていった先では、排気ファンの音と激しい水音に混ざって話し声がしていた。
「表通りはどうも目がチカチカするんですよねぇ」
雨音とは別の水音は、少し高いところの雨水管に穴でもあいているのだろうか。
「いいかげん年だからじゃないか?」
意外なことに、足下もかなり悪いはずなのに、足音は全くしていない。
「あなたが年のことを言いますか?」
傘に雨を受けながら歩くその男の声は少し楽しそうでもある。
「だいたい……お互い昔のことを思い出せるような年でもないでしょう?」
「どうだろうな?飲みにでも行けば思い出すかもしれないぜ?」
「良いですね。面倒事を片付けたらいつもの店に行きますか」
話をしながら手はすでに刀の柄にかけられている。
「スルーしても良いと思うが」
「でも少し前からずっとついてきてますからね……店まで連れて行ったらさすがに迷惑でしょう」
歩みを止め、振り返る。
「おまえらは」「あなたは」
「何者だ」「何者ですか」
声はほとんど同時だった。
「妖気を纏いすぎている。ここにいてはいけないものだ」
暗がりから出てきたそれは、狩衣のようなデザインのボディに、回転する黒いバー状のアンテナが乗っているロボット。人の顔に当たるモノは、ない。
「またけったいなものが出てきたな……」
「けったいなものではない。機甲陰陽師、YY-0である」
ノイズの多く乗った合成音声からは、あまり発話を重視されていないことが伺える。抑揚もあまりついてない上にとても不自然なものである。雨音のせいで聞き取りづらいことこの上ない。
「機械を装備したとかそういうノリじゃなくて、ロボだろこれ……」
名前に納得がいかないのか、傘がぶつぶつと言っている。一方猫はと言えば
「レーダー、だったか、昔船についているのを見たことがあるが、このような天気では些か使い勝手が悪いのでは?」
回転するアンテナについつい目がいってしまうようだ。
「似ているが別物だ、問題ない」
「そうか、それはよかった。ではこれで」
立ち去ろうとする猫だったが
「待て」
狩衣風ボディの右袖パーツから手首から先が回転しながら生え、何回か回ったところでピタッと止まる。精巧に作られた五本の指が刀印の形を作る。
「おまえらは妖気を纏いすぎている」
「なかなか器用なロボだな」
ブゥン、という音とともに指先にエネルギーの塊のようなものが発生した。
「受け止められるかな?」
「いけると思うが……壊れたら貼り直してくれよ」
軽口を叩く余裕はあるらしい。
「傘張り浪人みたいなことは、したくないのだけどね」
「仕える相手なんか居ないじゃないか、浪人には違いねぇだろ」
何か呪文のようなものがぶつぶつと聞こえた直後、そのエネルギーの塊がまっすぐ猫の顔に向かって飛んだ。それを斜めに構えた傘で受ける。
「あ、やべえ、流すわ」
「ほう」
猫が感心した声を上げる。エネルギー弾、と呼んでも差し支えないであろうそれは、空に向かって打ち上げられた。
「建物には当たらないだろうね?」
「建物には、な」
直後、上空を巡回していたパトロールドローンが爆散する。
「さあ、虫が寄ってくるぞ」
傘が心底嫌そうな声を上げる。
「虫?理解不能」
ロボはシンプルにそう声を上げると、指先にエネルギー弾の準備を始める。そして呪文が聞こえ始めたそのとき、上空から複数のサーチライトが陰陽師ロボを照らした。
「よし、ずらかれ」
「走るのはあなたじゃないからって、気楽なものですね……」
「しかし、変なのに出会ったねぇ」
走るのをやめて、ついてきていないことを確認する。相変わらず足音も水音も立てないし、足袋が濡れてもいない。
「あのロボ、機甲陰陽師と言ったか。格好も首から下はそれっぽかったし、何か呪文のようなものも喋ってたな。あれ、単なる演出じゃなかったみたいだぞ」
「そうなのかい?」
「エネルギー弾自体は大したことなさそうだったんだが、あれでかなり読みがはずれた」
読みがはずれてとっさに受け流したあげく上空のパトロールドローンに当てて陰陽師ロボを犯人に仕立て上げたのだから、大したものである。
「でもあの頭はないよ。嫌いではないがね」
妙にこだわっている。嫌いではないと言うが、好きなのが丸わかりだ。しかし
「この雨の中で使えると言ってたね」
何に対するレーダーのようなものなのか、謎のままである。
「何にしても、飲みに行きましょうか」
「お、来たね。いつものかい?」
「ああ、お願いするよ」
少し寂れたとおりにある、マスターが趣味でやってるようなバー。薄暗い店内には他に客がいない。傘は傘立てに置いてきたが、残念ながら今のところ出会いはなさそうだ。
「はい、どうぞ」
カウンターにことんと置かれた皿。中にはバイオ素材100%の油がなみなみと注がれている。なかなか他では手に入らない品だ。
「すまないね、行儀が悪くて」
その油を、皿に顔を近づけて舐める。
「なあに、行儀を気にするような客など来ないからね」
「それは……返答に困るね」
皿から顔を上げもしないで、特に困った風でもない声で返す。
「まあでも、ありがとうと言わせてもらうよ。良い油、良い店、良いマスター。ここに出会えて本当に良かった」
マスターの大きなレンズがキラリと光る。この大きなレンズのおかげでマスターには暗い店内が昼間のように見えているのだ。ちなみに猫の目もこの程度の暗さには当たり前に対応できる。店の暗さとは雰囲気であり、お互いに顔がはっきり見えてませんよという、いわばお約束なのだ。そしてそのお互いに見えていないという心地良い嘘の中で、猫は思考を加速していく。機甲陰陽師。ロボット。謎のレーダー。YY-0というコード。YYにふと引っかかる。おんみょうと読むならOMでもいい。いんようならIYかもしれない。YYである。
(大陸系かねえ?)
かつて、雨がやまなくなる前。この町に来るより前。古い古い時代の話。
(なるほど、飲みに行けば昔のことも思い出す、か)
ぴちゃ、ぴちゃという音は続いている。マスターは本当になみなみ注いでくれたらしい。まだしばらくは幸せな時間が続きそうだ。
「客がこないんじゃあ、新しい出会いも無いんだよなぁ」
傘がぼやく。結局猫が店内でくつろいでいる間、他に客は一人も来なかった。
「すまないね、今度出会いの場は別で用意させてもらうよ」
「期待しないで待ってるさ。それで、何か気になることでもあるんだろう?」
相変わらず、傘のノリは軽い。
「いくつかあるんだけどね。そもそもの話、ロボであれ何であれ、陰陽師を名乗るモノがいて、妖気なるものを気にしている、というのが、おかしな話じゃないか」
傘に促されて猫はゆっくり順を追って話し始めた。自分でももう一度整理しながら、疑問点をはっきりさせていく。
「この前の憑き物もそうだが、あれらは所詮ナノマシンだの寄生型のロボットだのといった、要はからくりだ。妖気なんてものはない」
ぺろりと舌を出し、口の周りを舐める。
「我々は確かに妖気と呼べるものを纏う。だが、我々だけを狙うなら、ああはなるまい?」
「ふむ?続けたまえ」
傘が芝居がかった口調で続きを促す。
「我々はたまたまあの陰陽師ロボに捕捉された。だが」
猫も芝居っぽさを意識してここで言葉を区切り
「本命は別にいるのではないか?」
ちょっとキリッとした顔で言ってみる。
「おお、なるほど。しかしそうなると……」
「そうだな、運が悪ければ、その本命と、ロボ。両方の相手をすることになる」
言いながら、猫の顔も渋くなる。傘には顔がないので表情はわからない。ただ、傘に当たる雨粒の音が大きくなった。ザアザアとやかましいそれは、傘の気分の表現か、雨の勢いが変わったのか。
「ただな……」
足音もなく歩きながら、猫は言葉を続ける。
「そう言ってみたところで何か備えられるわけでもなし」
雨の音は大きいままだ。
「出会ってしまえば仕方が……ん?」
足が止まる。
「よけいなことを言うものではないね。呼んでしまったのかもしれないよ。何と言ったか……呼び出しの法則、だったか」
長く横に伸びたひげがぴりぴりしている。
「我々以外の妖気というのを感じるのも、本当に久しぶりじゃないかな。この感覚、すっかり忘れていたよ」
妖気をまとった何者かが近付いてくる。気配は感じるが視界には何も捉えられない。雨の生み出す波紋にも乱れはない。それでも何かがそこにいることは間違いなかった。
「はじめまして、かな」
声をかけてみるが、反応はない。そこに在るという感覚だけが、頼りなく、しかし確かに伝わってくる。
「これは……」
傘が何かを言いかけたのを遮るように、四方の地面に短刀が生えた。否、正確にそこに刺さるように投げられたのだろう。
「器用だねぇ、さすがはロボットだ」
「やはり妖気の正体はおまえらか」
ホバーかオムニホイールかはわからないが、明らかに二足歩行ではない動きで陰陽師ロボが近付いてくる。頭の代わりについている黒いアンテナが、雨に濡れながら回転している。
「人に仇なす妖怪を放ってはおけぬ」
奇妙な抑揚の声が告げる。短刀の刃に刻まれた文字のようなものが赤く光っている。
「言っていることは正しいし、われわれも同感なのだけどねぇ」
「俺は別にどっちでもいいんだけどな」
「おやおや、善良な市民の味方なのでは?」
猫がわざとらしく、意外そうな声を上げる。
「善良な市民の味方をけしかける、善意の野次馬第三者、それが俺だ」
それらの話を、聞く意味がないとばかりに陰陽師ロボは声を発する。
「妖怪は人に仇なす。故に妖怪は滅する。例外はない」
「まあ、妖怪だからなぁ、人に仇なしてナンボってところはあるわなぁ」
傘の言うことも間違いではない。猫とて、今はわざわざ害しようと思っていない、という程度である。傘が面白がってけしかけるので成り行きで人助けになることもあるが、助けられないこともある。
「とはいえ滅すると言われてハイそうですかという訳にも行かないからな」
「それに……毒にも薬にもならないような、そうだねぇ、妖気の塊といったものは、どうするのかねえ?」
「妖気をまとうのは妖怪だ。妖怪は滅する。例外はない」
「無粋だねぇ……まあ、陰陽師を名乗るのにはふさわしいのかもしれないね」
少し猫の目がどこか遠くを見たようだった。が、すぐに視線は陰陽師ロボに戻る。
「申し訳ないが、今はちょっと壊させてもらうよ」
傘を手放し、刀を抜く。
「すでに言ったはずだ。妖怪は滅する」
袖から出てきた手には扇子を持っている。器用にそれを開くと、描かれているのは五芒星。踏み込みかけていた猫が横に跳ぶ。連続した轟音とともに、陰陽師ロボから猫のもと居たところまでの地面が弾け飛ぶ。いつの間にか持ち上がったロボの左袖からは、銃口が生えていた。
「傘を捨てたのは失敗かねぇ」
また轟音。今度は横薙ぎに。それを跳んでかわす猫。
「えっ俺捨てられたの?」
とぼけた声を上げる傘。それには取り合わず
「ふしゃっ!」
声にならない声を上げて距離をつめる猫の片目に、太極図が浮かんだ。直後、正面から銃弾が撃ち込まれる。
「悪いね」
狩衣のようなデザインのメカの胸から、刃が生えていた。バチバチという音を立てて、火花が散る。
「このくらいなら、直せるだろう?」
そう言って、回転していたアンテナをもぎ取る。
「もちろんだ。妖怪は必ず滅する」
相変わらずノイズの多い声。
「ああ、わかってるよ」
そう返しながら、刀を抜く。短刀の文字がゆっくりと光を失った。
「さあ、どこか目立たないところに行くといい。出てくるのはまだ早い」
何もない空間に向かって猫が言う。そのヒゲには水滴がたまっていた。
「結局なんだったんだろうな」
拾われながら傘が言う。
「なんだかわからないことだらけなんだが……」
「いつものように?」
悪戯っぽく猫が返した。開いた傘に、ずぶぬれの顔が隠れる。
「何かわかってるんだろ?たとえばあの妖気の正体とか」
「ああ、あれは……そうですね、我々のようなモノになる、ずっとずっと前の……赤子よりさらに手前の何か、でしょうね」
猫は歩き始めた。その足下からは足音も水の跳ねる音も聞こえてこない。ただ雨の降る音、雨が傘に当たる音だけが響いている。
「赤子よりさらに手前の何か?」
「ええ。十年かかるのか、百年かかるのか、それとももっと先なのかはわかりませんが……いつか生まれる妖怪の、事の起こりのようなものでしょう」
雨の中、傘をくるくると回しながら歩く猫の声はいつもと違っていた。
「楽しみじゃないですか、この町にふさわしい、この町らしい妖怪が、きっといつか生まれるんですよ」
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