電脳都市<サイバーシティ>の猫又侍
城乃山茸士
電脳都市<サイバーシティ>の猫又侍
この町の雨は、止むことがない。深い深いビルの谷間、遠く隙間から覗く薄暗い灰色の空から常に降ってくる大量の水は、地下の大プールで浄化され海へと流される、らしい。広報ではそう言っているというだけで、そんなシステムを見た奴はいない。
浄化。そう、この雨は何段階もの処理を通さなければ、海へ流すことも人が利用することもできない。強い酸と溶け込んだ重金属は、公害のお手本のような成分である。それは生身の人間はもちろん、サイボーグやロボットにも優しくない。
「雨ってのは、こういつまでもしつこく降るものだったかね」
茶色の地味な傘を差して歩きながらこうつぶやく者がいる。大きな傘の陰で縞の袴ぐらいしか見えていないが、あまりこのあたりでは見かけない格好である。
「晴れ間なんて大昔に見たっきりだろうが」
別の声が応える。周囲に人影はない。
「そうだったかね……そうだったかもしれないね」
傘の下で手が動く。ヒゲでも引っ張っているのだろうか。
「顔を洗うと雨が降るとか言われてた頃が懐かしいねぇ。今じゃ何をしても天気なんてかわりゃしないじゃないか」
「別に昔だっておまえが天気を操ってた訳じゃないだろう」
「無粋だねぇ……」
地面には水がたまっている。足下は雪駄と足袋のようだが、この雨の中濡れている様子もない。空はすこし暗くなってきている。そろそろサーチライトを備えたパトロールドローンが飛び始める時間である。
「それは俺のことかい?あの虫みたいな機械のことかい?」
「両方に決まってるじゃないか」
表通りではそろそろ色とりどりの看板が道行く人々を照らし始める頃合いだろう。そういったものの無い裏通りには、ビルの排気口や規格化されたゴミ箱、そして女の悲鳴や道をふさぐメタル者くらい。
「おや、もっと無粋なのに出会ってしまったね」
「良かったじゃないか。こいつらがヤンチャしてるってことは、虫みたいな機械は飛んでこないってことだろ」
この町の住人はボディをソフト素材でコーティングするのが一般的なのだが、むき出しの金属ボディを見せびらかすヤンチャな連中も一部にはいて、メタル者と呼ばれている。いわゆる不良であり、悪ぶるためなら酸性雨に金属ボディを晒したりもする。だいたい不良というのはいつの時代も機能的でないカスタムや不健康な習慣を好むものなのだ。ただ、監視の目をかいくぐる程度には頭が働いたりもするのも、この手の不良の特徴である。
「た……け……」
女は叫びすぎたのか声が枯れてしまっている。そこに無造作に近寄っていくのだが、こんな雨の中歩けば当然出るであろう水音、あるいは足音の類が一切聞こえない。女も別にそこに誰か居るから叫んでいるというのではなく、ただ叫ばずにいられないから叫んでいるという風である。
「助けないのか?」
「助けるって……どっちを」
「決まってるだろう、善良な市民の方さ」
からかうような声。
「なるほど、理にはかなっているのかな」
そう言うと、開いたままの傘を手放した。薄明かりの中に見えるその顔は、猫のもの。腰には二本差し。そこに手をやりながら、音もなく、しぶきもあげずメタル者達との距離を詰める。なにかの気配を感じたのか、メタル者のひとりが振り返り、カメラ・アイが近づく人影を捉えた。が、その情報はすぐに消失する。といっても姿勢を低くしただけなのだが。
「どこに」
行きやがった、と言うこともできず、一時的な機能停止が引き起こされる。低い姿勢からのすれ違いざまに、ボディが凹む勢いで柄頭が叩きつけられたことに気づく暇があるはずもなく。そして抜いた刃は、メタル者に囲まれていた女性にぴたりと向けられた。
「てめー後から来てなに人の獲物に手ぇ出してんだよ」
所々にゴールドメッキを入れたチャラそうなメタル者が凄んでみせる。絵に描いたようなイチャモンである。とはいえ確かにこの状況はまさに後から来てメタル者達の獲物である女性にまさに手を出そうとしている、獲物の横取りの図である。
「獲物というのは、コレのことかな?」
突きつけた刃を動かさず、視線も女からはずさないまま猫の顔が問う。傘を手放したその顔には、水滴のたまった長いヒゲ。
「そうだよっ!今からそいつを」
面発光素子で色とりどりに飾り立てたメタル者が声を上げたのを断ち切るように
「本当に度し難いな……いつまで狩る側のつもりでいるのだ」
猫の顔がそちらを見もせずにあきれた声を出した。
「どういう事だぁ?」
頭に大量のアンテナを立てたメタル者。周波数特性を無視しているとしか思えない組み合わせはおそらく全てのアンテナがダミーなのだろう。
「た……け……」
「すまない。残念だが助けてやることはできない」
女の目をのぞき込むように、目の奥を見通すように猫の目が鋭くなる。
「おまえらがドローンの死角だと思っているここは、その女の格好をしたモノの、結界の中だってことさ」
声はメタル者たちのうしろからやって来た。ざあざあと雨の当たる和傘。それが、ひとりで立っている。
「死にたくなかったら離れときな。いや、俺の後ろに回っておけ。何にしても、おまえらが狩れるような相手じゃねぇぞ」
「は?傘?」
他に声を出しそうなものもない。傘も声を出しそうなものに通常は含まれないだろうが、それでも可能性があるとしたらこれだろう。
「そうだ。早く後ろへ。あいつが動くぞ」
なぜか逆らう気になれず、傘の後ろに回るメタル者たち。
「よし」
傘が傾き、女と猫顔がメタル者たちから見えなくなる。猫の目の瞳孔が開いた。
「ふしゃっ!!」
声とも息ともつかぬ音とともに、刀が振り抜かれる。それをボロボロの女が素手で受け止めた。
「なんだあれ」
頭が一昔前のカメラのようになっている大型レンズのメタル者がせわしなくズームを操作している。
「何っておまえらの『獲物』だろ?っていう冗談は置いといて」
女の体がブレた。衝撃が傘に弾かれる。傘の骨が軋む。
「良かったな、おまえらの見た目だけカスタムじゃあ、今の食らっただけでスクラップだったぞ」
「あのネコ……ネコ?のサムライは平気なのかよ……」
最早威勢も虚勢もなくなったメタル者達。
「まあ、あいつも鬼だからな……」
そんな話をしてる間にも、そのネコのサムライはぼろぼろの女を飛び越え、背後の女を振り返りもせず背中に雪駄で蹴りを入れる。
「しゃっ!」
たたらを踏んだ女の首に、いつのまにか刃が迫る。
「……憑き物如きに後れはとらねぇよ」
しかし、浅い。傘の言葉通り後れはとらないのだろうが、楽勝というわけでもないらしい。
「憑き物って何だよ」
「人に取り付いて悪さをするモノさ。昔と違って今はハイテクになってるようだがな。ナノマシンって言ったか。悪趣味なからくりを作る奴も居たもんだ」
所謂妖怪妖物怪異の類はこの町では姿を変えて存在していた。誰がどのような目的で放ったものか、目に見えないサイズのものから人のサイズを超えるロボットまで。尤も、目撃情報のほとんどは昔から変わらぬ人の恐れの生み出した見間違いや勘違いによるものだが。
「おまえらも取り付かれるところだったんだ」
傘の陰からカメラアイだけ覗かせたメタル者が息をのむ。普段は見張りをやらされているのだろう、こういう役目には慣れているようだ。
「『お化け』って本当にいたんだな」
他の者にも視界を共有しているらしく、目の持ち主とは別のメタル者がぼそっとつぶやいた。
「お化けなんてないさ♪ってな」
傘は言ってみたのだが
「なんだそれ」
反応は冷たかった。
「知らんのか?以前は子供達がよく歌ってたものだが」
それがどのくらい前だったのかは傘自身それほどはっきり記憶しているわけでもない。雨がやまなくなった前だったのか、後だったのか。
「聞いたこと無いぞ」
「俺もない」
「ないなぁ」
そんな傘の追憶など知ったことではないメタル者達は口々に知らないと主張する。何かを話さないと怖い、というのが正直なところだろう。キモノを着た猫顔の男-たぶん男だろう-も、目の前でガードしてくれている傘も、アンドロイドやサイボーグには見えない。傘に至ってはそもそも傘でしかない。どう動いてどう話すのかすら謎なのだ。その傘の向こうでは猫が真剣らしきものを振るい、嬲ってたはずの女が素手でそれと渡り合っている。強がりの限界などとっくに超えていた。
「たすけ……」
女の出す声が突然、掠れたものから哀れな助けを求めるものに変わった。猫の目が少しだけ揺らいだ。が、刃は止まることなく女の体に吸い込まれる。ずぶぬれの猫の表情は、とくに変わったようには見えない。
「いつもこいつらはそれだねぇ」
刀をぴっと振ると、鞘に納めながらぼやく。
「まあ、実際有効なんだろうよ」
「それはそうなのだろうが……それにしても、どこの誰かは知らないが、実に趣味が悪いじゃないか」
顔の毛を雨水で貼り付かせながら、空を見上げる猫。地上の明かりが照らすのであろう雨雲は、夜も薄く灰色に見える。特に、猫の目には。
「さあ、子供達はおうちに帰る時間だよ」
視線を地上に戻した猫の顔が優しく笑う。そこにふわりと傘が舞い降りる。
「少ししたら、あの虫みたいな機械がこの辺にも回ってくるぞ。アレが嫌いなんだろ?」
くるりと向こうを向いたその姿はもう殆どが傘に隠れて見えない。メタル者達は皆身動きできず、ただその後ろ姿を見送った。金属パーツをむき出しにしたボディを、酸の雨が優しく溶かしている。足音も水音も立てず、その傘を差した姿は徐々に遠ざかっていき、見えなくなってはじめて彼らは自分達が放心していることに気付いた。
「……帰るか」
「そうだな……」
自慢の面発光素子も、心なしか光が弱々しく見えた。
「なんだか疲れたよ。いつもの店で油でも嘗めるかね」
「いいねぇ。傘立てには新たな出会いが待っている!ってな」
この町の雨は、止むことがない。
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