二十話「マサカドサマ」

轟々と降る尋常でない強さの雷雨の中人の道を外れた武士と二柱は交戦状態に入った。元は人とは言えかの玉藻前を喰らいその力を宿したためその力は生半可なものではない。脇差の大した長さを持たない刃渡りですら彼の武士が振るおうものなら大型の打ち刀も真っ青な斬撃がそこに生じその衝撃は雨とそこに紛れる二柱を容易く吹き飛ばしてしまう。ただでさえ身軽な武士の首を刈ることは至難の業であるがその上にこの調子ではもはや近づくことすらままならないであろう。



(クソッ、もはやどうにもならないじゃねえかよ!取り敢えず吞乃に合わせて近づこうと試みてるが――、この状態だといし疎通が取れないから本当にこれでいいのかが分からねぇ。)



薬師は焦っていた。武士に対する有効打が全くもって見つかる様子もなく、吞乃との意思疎通が取れないことに。しかしただ、それだけに焦っているのではない。自らが人のその儚い命を刈り取ること、いや、直接刈り取らずとも自身の目の前で自身と結託した者の手によって人間が朽ちる姿を見るのは現代人にとってどれほど恐ろしく、想像し難いものだろうか。未だ彼は心まで人をやめる事は出来なかったのだろう。



(本当にこのままじゃどうにもならないじゃねえか!クソが!なんとかこの状況を打破する方法は、何とかしてアイツに攻撃を加える方法は――)



薬師は焦りのあまり攻勢に出るための手段を自ら考えていた。そしてその答えは――



(あの武士へと如何にか攻撃を届ける方法そんなものは……ある……)



不思議なことに、高天原に住まう神々の思し召しであろうか、正に天啓が彼の降りたのである。薬師は何も考えずに吞乃に付いて武士に突撃するのを止め、自身の体を水から戻した。そうして右手を雨を降らせ続ける曇天へと掲げ、次から次へと降り注ぐ雨を凍てつく氷へと変えていった。そうしてその氷の形は正に槍と形容するに相応しく鋭く長いものへと成って行き、そして左手にはもう一本同じものを背中で隠すように作り上げ右手にあるそれを武士へと投げつけた。



「――ッ!」



少し驚いたものの当然ながら武士にとってただの氷なんて破壊することは大して難しい事ではない。彼は飛んできた氷槍をその妖力のこもった脇差で砕いた。



(頼む、当たってくれ――)



その氷槍が砕けたその丁度の刹那、薬師は力の自身の持てる限りを振り絞って左手に隠し持っていた氷槍を投げる。そして、その投げられた氷槍はとてつもない速度で飛んで行った、それこそ正に地獄二万由旬を数秒で端から端まで網羅できるほどの圧倒的な速度である。その観測する事など不可能な速さで氷槍は武士の頬を擦り、空を切り、築地に突き立てられ、そうしてその衝撃で轟音とともに崩れ去った。



「……あゝ、成程。」



その時、武士をある一つの感情が支配した。それは絶望、圧倒的な力の差。人に希望を与えるのが神であり、人に絶望を与えるのもまた神である。薬師の体は初めから人の域を超えていた。絶望に打ちひしがれようと武士の力が抜けたその刹那。背後から現れた吞乃のその鎌状の氷腕が武士の首を切り取った。






――ここは何処だ……?確か俺はあの素性の知れない神二柱に殺されたはずだ。死後の世界なら河を探さなければな……。まあ地面もよく分からないような白一色の場所と言うのは死後の国にしては無機質過ぎる気もするがな。



「とまれ、何者だ。」



歩き出そうとしたところに声を掛けられる。三日月のように左側の欠けた太陽を背にしており逆光で顔は見えないが、恐らく女ではあるだろう。



「見ての通りのしがない武士だ、少しやらかして今ここに居るがな。」


「ほう……それは興味深い、本来ここは人間が来ることはできない場所だ。どうにも可笑しいことにアンタはここに迷い込んだらしい。」


「へえ、それはそれは。そういえばそっちこそ何者だ?」


「ほう?そうだね、月の神とでも言うのだろうか?」


「じゃあアンタはあれか月読命か?」


「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない。まあ、そんな事はどうでもいい。」


「今からアンタを人間の冥土に送る。安心しろ楽に逝かせてやるからな。」


「そうかいじゃあ頼んだよ。」


「案外冷静だねぇ。まあいいさ。冥土の土産に私が名前を聞いてやろうじゃないか。神に名を知ってもらえるこれ以上ない機会だ。」


「……そうだな、確かにここに生きた証を託すとしよう。私の名は――『マサカド』だ。」


「――成程ね、いい名前だな。ここに来るのも納得できる。」


「そうか、神にその名前をほめられるとは俺はこの上なく幸せ者だったのかもな。」


「……きっとそうさ。」



そうしてマサカドのその体は光の粒子となってあるべき所へと送られた。



「……マサカド、ねえ。数奇も良いとこだね。」



また一人になった彼女は口からそう漏らした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る