十五話「存在の選択肢」



―彼は分からなかった。何故吞乃が自分にそうまでして入れ込むのか。ただ少し前に拾ってもらっただけのこんな人間に対して、何故あれだけの情熱をもって今を説いたのか。本来彼女が気に入らないことがあるのならば自分の存在を捨てれば良いだけなのに、分からない。



(どうするべきだろうか。もう人には戻れないのだろうか。ならば鬼と神として生きなければならないのか。)



東の空が白みだす山中で彼は考えていた、彼女に渡す答えをだ。ここで彼女の情熱を裏切り、食べない事を選べばどうなるのだろうか。彼は既に鬼であり神であるのだから人を喰らうのが道理であるだろう。しかし彼はその道理を蹴り飛ばすことも出来るのだ。通るはずもない無理をひっさげている彼は当然のことながらどうしようもない葛藤に陥っていた。人として、又は人ならざるものとして。人として生きることが不可能と分かっていながらも。





――彼女もまた岩の上で腰を掛け頭を抱えていた。考えたくもない最悪の答えについて。



(どうしようか、もしアイツが喰う事を拒んだならば…。少なくとも私等の手で最期を与えなければならない。それは…苦しいな…嫌だな…そして、出来るもんなのだろうか…)



彼女の考える最悪の答えは彼女にとってもまた彼にとっても望まれる答えではない。しかし彼がそのことを知らず、その選択肢を選ぶ可能性がある限り彼女は恐れなければならない。「それ」を自身の手で破壊し、この世から消し去る事を。



「気の迷いと言う物は難儀なものですね。ただの『気まぐれ』が『血の迷い』だったかどうか彼自身にそれが委ねられてるとは。」



タチガミが心配して声を掛ける。しかしどうにも、心配のそれだけは無さそうだが。



「…どうとでもいえ、私にだって思うところはあるさね。本来最初から消してしまえば楽だったかもな。」



彼女は頭を抱えながら自嘲の混じった笑みを浮かべる。



「貴女の天秤がそう傾いたのでしょう。生かすか殺すか、貴方の心は甘いのかもしれません。それとも、それだけの魅力が彼に?」


「ふふっ、分かっているだろう、タチガミよ。言わせるんじゃない、底の見えない喋り口はお前の悪いところだよ。」


「はて、何のことやら―。」


「相変わらず端から端まで生意気な奴だねえ。」



今度は鼻で彼女は笑ってみせた。その時初めて上げた頭に張り付く整った顔の目には涙の跡が残っていた。





そうして時が来た、鬼の宿にて彼と彼女は合流し、一言も交わさず、席に着いた。



「嬉しい答えを期待していますよ。」



ただ一柱空気の読めない者もいたが特に何が起きる訳でもなくその時は来た。



「…食えるのか?」



酒吞童子が訊く。彼の行動の持つ意味を知らずとも、その行動の重みは感じるところがあるのだろう。黙りこくる彼に代わって吞乃が答える。



「それは分からんさ。少なくともその時が来るまで待つ必要がある。」


「…そうか。」



そうして彼の目の前にしっかりと形の残った四肢の盛られた皿がおかれた。そこにいる事情を知るすべての者は黙り、彼の一挙一動に注意を注いだ。場の空気はあまりに張り詰め緊張した。そんな中彼は緊張に震え、次の行動を考えて少しばかり涙を浮かべていた。彼は震える手で名前も性別も年齢も分からないその足を掴み―



喰らいついた。



その場にいるすべてのものは歓喜し、それと同時に緊張が解けたことによって脱力状態になった。吞乃は抵抗のあるものを食べてえずいている彼に近づき、手を差し出した。その顔にはうっすらと涙が浮かんでいた。そうして彼女は口を開き―



「ようこそ、こちら側に」



彼は差し伸べられた手を掴み



「お邪魔させてもら―ウッ」



言葉の途中で彼は強くえずいた、人になれるにはまだ時間がかかりそうだ。そうして新しい仲間を得た喜びの中彼女らは酒を傍らに、日が傾くまで宴会をした。

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