這う虫

伊藤テル

這う虫

 今日は疲れた。

 恵梨香の引っ越しを手伝っていたからだ。

 重い荷物を運ぶのは勿論男である俺の仕事なんだろうけども、運び終えたらさっさと家に帰らせられる俺って本当に彼氏か?

 いやまあ殺風景だし、ムードが無いからとか言っていたんだけども、ムードが無いのはあの部屋のせいじゃないか?

 あの部屋、何かジメジメしているし、嫌な雰囲気がしたぞ?

 まあ恵梨香は値段で選ぶほうで、さらに言えば一度決めたら頑固だから、ずっとあそこに住むだろうけど。

 何だかなぁ、彼女の家があんなボロボロじゃ……と考えたところで、スマホが鳴った。

 恵梨香からだった。

 俺はスマホに出るとすぐさま恵梨香の甲高い声が響いた。

「翔太! お願い! 私の家へすぐに来て! 虫! 虫が出たのっ!」

 ほら、あんな部屋じゃこういうことが起きるだろうに。

 俺は溜息をつきながら、家を出る準備をした。

 恵梨香の家は俺の家からだいぶ近くなったので、行きやすくなったけども、良いところは本当にそれだけだなと思いながら、俺は家をあとにした。



 恵梨香の部屋のチャイムを鳴らすと、すぐさま玄関のドアが開いた。

「もー! 最悪! 虫が出るなんて!」

 俺は呆れながら、

「いや出るだろ、何かこの部屋ジメジメしているし」

「虫ってカラカラしているところに出るんじゃないのっ?」

「まあそれぞれだけどな」

 そう言いながら俺は玄関のドアを閉めようとすると、恵梨香にそれを阻止された。

 いや

「ドア閉めさせろよ」

「この間に虫が出るかもしれないから!」

「出ないよ、じゃあこうやってずっと玄関のところに居る気かよ」

「私はそうする! 翔太は虫を倒す遊撃手!」

「遊撃手なんて言葉、野球以外で使うなよ」

 そう言いながら俺は恵梨香が指差すほうへ歩いていくと、そこにはなんと、足がいっぱいあるゲジゲジが床を這いまくっていたのだ!

「うわぁぁぁああああああああああああああああああああああ!」

「うるさっ」

「うるさっ、じゃないわ! 虫じゃねぇじゃん! あれは虫じゃねぇんだよ!」

「いや虫よ、というか虫じゃん」

 俺は急いで玄関のところへ戻ってきて、恵梨香へ焦りながら説明した。

「虫というのは足が六本なんだよ! 足がいっぱいあるヤツは虫じゃない! 化け物だ!」

「いや昆虫は足が六本だろうけども、足がいっぱいあるヤツもあれは虫よ」

「いいや! 虫なら倒せるが、あんな化け物は俺には無理だ! 帰る!」

 そう言って俺は勇んで玄関から出ようとすると、恵梨香に首根っこを引っ張られた。

「待ってよ! 翔太! どこ行く気!」

「家だよ! 帰るんだよ!」

「ちょっと待ってよ! ……しょうがないわねぇん……」

 急にセクシーな吐息を漏らした恵梨香。

 何を言うんだろうと思って振り返ると、

「今日は一緒に居て、いいよっ」

 いや!

「ゲジゲジをどうにかしてほしいだけだろ! 何かオトナっぽい感じで言うんじゃねぇよ!」

「ちょっと、女性に恥をかかせるのやめない?」

「そういうことじゃないんだよ! 恵梨香の本心もそうだろっ?」

「というか男性として恥かいてるよ、翔太。虫くらい倒してよ」

「あれは無理なんだよ! ゲジゲジは化け物なんだよ!」

 と俺が声を荒らげたその時、なんといきなりこの部屋が停電したのだ。

「「うわぁぁぁあああああああああああああああああああ! 足を這われるぅぅぅぅううううううううううう!」」

 同時に叫んだ俺と恵梨香。

 足を這われるという同じ発想。仲が良い。いやそんなことどうでもいいわ。

 でもすぐに停電は直ったみたいで、部屋に光が灯った。

「「はぁ、助かったぁ……」」

《どうもぉ、こんにちはぁぁァァアアアアハハハハハハ!》

 急に聞こえた何らかの笑い声。

 テレビだろうか、いや恵梨香はネット派なのでテレビは家にすら無かったはず。運ばなかったから覚えている。

 それにこの声が近くに感じる臨場感、一体何なんだろうかと思って、声のした方向を見ると、そこには、

《怪異ですよぉぉおおおおオホホホホホホホホ!》

 ……怪異? 何それ、というか、と思って俺が声を出そうとした時、それよりも早く恵梨香が喋った。

「おい! 怪異! 怪異! 足元! 足元! きてる! きてる! 踏めぇぇぇえええええええええ!」

《えぇぇぇえええええええええええええええええええええええええええええっ?》

 怪異は恵梨香の命令叫びとハモるように声を上げた。

 というか怪異の声、何か二重になっていて変だな。

《何ですかぁ! 貴方たちぃ! 変ですよぉ! 私、怪異ですからぁ!》

「踏めよぉぉおおおおおおおおおおおお! チャンスだっただろうがぁぁあああああああああああ!」

 そう声を枯らしながら雄叫びを上げた恵梨香は、その勢いのまま怪異に詰め寄った。

《いやいやぁ! 違うぅ! 違うぅ! リアクションがぁぁあああァァァアアアアハハハハハハ!》

「うっせ、黙れ、笑うな、そういうタイミングじゃない」

《はい……》

 肩を落とした怪異に恵梨香は捲し立てる。

「何なんだオマエ、急にでてきて。救世主のタイミングだろうが、何なんだよ、何したいんだよ、オマエ」

《えっとぉ、あのぉ、私ぃ、怪異でぇ、人間を驚かすと生気が飛び出るんでぇ、それ食べて生きているんですぅ……》

「あぁん? じゃあこのゲジゲジ、テメェが用意したのかよ? おい! 答えろよ! 正直になぁ!」

《……私じゃないですぅ……私はゲジゲジとか使わないですぅ……》

 そう言って今にも泣きだしそうな怪異。

 でも恵梨香は攻める手を止めない。 

 さすが元ヤンだ。

「じゃあ足で踏めよ、近くに来たら足で踏めよ」

《あの、足無いほうの怪異なんです……》

「使えねぇなぁ」

《すみません……ってぇ! ってぇ! えぇぇぇえええええええええええええええええええええええええ! 何で驚かないんですかぁぁぁあああああ! 怪異ぃぃいいいい! こちとら怪異ぃぃぃいいいいいいい!》

「急にうるさっ、テンション上がってんじゃねぇよ」

《この世の者じゃないんですよぉぉおお! 怖がって下さいよぉぉおおおおおおおおお!》

 と言ったので、俺は思ったことを言った。

「いやこの世に存在している時点でこの世の者じゃん、自分を大きく見せようとすることは違うと思うよ」

《いやまあぁ、今はぁ、はいぃ、すみません……でもぉ、恐怖のぉ、存在なんですよぉ……本当に……》

 恵梨香は溜息をついてから、こう言った。

「何できんだ」

《……はいぃ?》

「オマエは何ができるんだよ、怪異として何ができるんだよ。サイコキネシスとか使ってモノ動かせたりしないのかよ」

《えっとぉ……存在を消してぇ、たまに出たりぃ、あと消えたりするだけですぅぅ……》

「使えねぇな!」

 そう言って大きく足で床を蹴った恵梨香、に、怯える怪異。完全に震えあがっていた。

 でも俺は思ったことを言ってみることにした。

「いや怪異、物は持てるか?」

《存在を出している時はぁ、持てますぅ……》

「じゃあ存在を消してゲジゲジを油断させたところで、一気に近くのモノを持って叩け。段ボールなら今いくらでもあるからな」

《そんなぁ……めちゃくちゃ私を使おうとしてくるぅ……》

 その俺の案に、恵梨香も語気を強めながら、

「それでいこう! 怪異の恐ろしさを虫に見せてやれ!」

《本当は人間に見せたいんですけどもぉ……》

 そう言いながら目の前から消えた怪異。

 すぐさま恵梨香が喉をイガらせながら、

「バックレんじゃねぇぞ! あぁん!」

 と叫んだ。

 元ヤンはバックレを一番嫌うからな、と思いながら俺はゲジゲジを探すことにした。

 見つけたらすぐさま怪異に知らせ……!

「いたぁぁああああああああああああああ! そこぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!」

《はいぃぃいいいいいいいいいいい!》

 突然出現した怪異は近くの段ボールを持って、ゲジゲジを叩いた。

「いけぇぇぇええええええええええええええええええええ!」

《はいぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!》

 ……見事、ゲジゲジを倒した怪異。

 俺と恵梨香は嬉しくて抱き合った。

 その時、何か、こう、燃える感じになってきて、

「恵梨香……」

「翔太……」

 俺たちはゆっくりとベッドのほうへ歩いて行った。

 恵梨香がふんわりとベッドに座ると、俺は怪異に向かってこう言った。

「じゃあ、ちょっと、やることやるから消えといて」

《いや実際はいるのにぃ、よくそういうことしようと思いますねぇぇぇえええええええええええええ!》


(了)

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這う虫 伊藤テル @akiuri_ugo5

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