弘法大師以後の日本語

 日本の天長元年 (唐の長慶4年)、予定どおり20年の留学をおえて、空海は日本に帰ってきた。その経路は明らかにされていない。きびしく言うと密航だったのかもしれない。のちに、法力によって空を飛んできたという伝説が広まることになる。

 空海は弘法大師となり、日本に真言密教や農地灌漑かんがいなど多くの知識をもたらした。しかし、弘法大師の日本文化への最大の貢献は、日本語を書くのに必要な梵字を順にならべた「অ ই উ এ ও (a i u e o), ক কি কু কে কো (ka ki ku ke ko), ...」【注】である。空海が留学している間に、漢字の省略形を表音的に使って日本語を表わす「かな」という方法をくふうしていた人たちもいたのだが、その技術が確立しないうちに、すでに完成度が高かった梵字が駆逐してしまった。

 西暦21世紀のいま、日本語の文章の多くは梵字で書かれ、機械変換で、インド、スリランカ、ネパール、ブータン、チベット、バングラデシュ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアで使われている文字で読むこともできる。逆に、これらの国の言語のテキストを、日本の梵字に自動変換することもできる。もちろん、文字をおきかえたからといって、言語間の翻訳ができるわけではない。しかし、これは、日本語と南アジア・東南アジアの言語との両方を使う人々にとっての障壁を低くすることに役だっている。

 【この文章の内容が実話である世界では、この文章は梵字で書かれているはずである。】


-【注】ここには日本で使われている梵字を示すべきなのだが、代わりにベンガル文字を入れてある。

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アイウエオ、カキクケコ 顕巨鏡 @macroscope

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