第24話 夜 うるわしの少女 売る鷲の少女3
売る鷲の少女3
「魔女ですよ」
おばあちゃんがゆっくりと口を開く。冷め切った空気を暖めるように。
「いや、その」
少女がおばあちゃんっ子であるというのはこれまでのやり取りでよくわかっていた。少女が呆けてただけなのも、おそらくおばあちゃんの前で、おばあちゃんには言って欲しくない言葉ということだったのだろう。
「何故魔女を探しに」
おばあちゃんは優しく問う。その優しさが痛々しくもひりひりと私を覆う。
「小説を書こうと思ってまして」
これ以上もこれ以下もない。とてもニュートラルで核心的な回答だと思う。
「そうですか。小説を。私の好きな人も、小説を書いていました」
おばあちゃんは静かに私を受け止めて。意外な話を切り出す。
「昔、好きな人がいたのです。彼は資産家で、大きな屋敷に住んでいて。私はそこに勤めるメイドでした。礼儀正しく、紳士的で、スラッとしてて、顔立ちも良くて。私は彼の身の回りの世話をするのが好きでした。喜んで貰おうと色々と片付けを工夫したり、執事まがいに彼の予定をまとめたり。そんな想いが伝わったのか、彼の性格からか、彼は私の名前を覚えてくれて、私を傍に置いてくれました。たくさんたくさん相談に乗りました。資産家というのはたくさんの責務を抱えており、学のない私は最初は上手く相談に乗れませんでした。だから、私はたくさん本を読みました。それでも、元々頭が良いわけではありませんでしたので、私にしか出来ないことを探しました。学を携えるのは難しい。でも、人を知ることくらいなら出来るはず。そうして、独学で心理学を学んだんです。そんな努力が功を奏して、私は彼の左腕になったのです。つまり、彼の使いにくい部分を補佐する役割を担ったのです。そんな折、彼の婚約の話が上がってきました。政略結婚です。これには彼はだいぶ悩みました。彼にとっては必要な相手。彼が資産家として生きて行くには必要な過程。それでも彼は資産家である自分というのが本当は嫌いでした。資産家であることを嫌がっていました。そうして、彼は私と駆け落ちしたんです。この家に」
おばあちゃんは淡々と語る。自らの過去を。何が起こり、どうしてこの家に住んでいるのかを。私の欲しいであろう情報を察しながら、的確に。
「私は嬉しかったぁ。私を選んでくれたことに。たくさんのものを失うはずなのに、私を選んだことに。それでも、失ったものは大きいのです。お金が無ければ簡単には生活出来ません。かといって、大っぴらに働くことも出来ません。そこで辿り着いたのが本でした。実は彼は元々読書が好きで、密かに本を一冊書いていたのです。それが、愛する者の讃美歌という作品でした」
愛する者の讃美歌。確かおばあちゃんの愛読書だと少女が言っていた。
「メイドと主人が駆け落ちする話です。そう、私たちの話。彼は私が思うよりもずっと前から私を見ていてくれたのですが、世の中の反応はそこまで芳しくありませんでした。持ち込めども持ち込めども、どこの出版社も刊行してくれません。決して悪い作品ではないのですが、きっと彼の家が関与したのでしょう。ほんの三か月、ちょうど生活が苦しくなった頃合いに、彼は連れ戻されてしまいました。小説の中では駆け落ちして幸せに暮らしていく二人として描かれましたが、現実は全く違う結末を迎えたのです。以降、私と彼が会うことは許されませんでした。それでも、彼はどうにかして私を支えようと、執事を密かに遣わし、私の生活を支えてくれています。ちょっと待って下さい」
そこまで語り終えて、おばあちゃんは立ち上がり、部屋を出る。壮絶な人生。そういう感想を持った。話としてはメイドと主人の禁断の恋。どこかの少女漫画などにありそうな設定だ。だが、これは現実に起こったことであり、おばあちゃんは今でも恋をしているのだろう。あの暖炉を見つめながら。
最初に会った時から、見た目の印象とは裏腹に若さを感じて違和感があったのを覚えている。恋の冷めやらぬ興奮をまだ身に纏っているからだろう。故に、それを失った時のショックは計り知れなかっただろう。それもまた、おばあちゃんの様子から窺える。
「これが、本です。彼は、もうだいぶ前に病気で亡くなってしまったのですけど、遺言により数冊、本の形に出来たんです。それを私に残してくれました」
おばあちゃんが戻ってきて、本を出す。愛する者の讃美歌だ。私は、おばあちゃんの手で丁寧に包まれたその本を、同じように包み込むように受け取る。表紙が温かかった。おばあちゃんが手に持っていた部分だけではない。全体が温かかった。手に持った部分から、妙な痺れのようなものが駆け上がってくる。良作だ。作家としての感である。見るまでもない、これは作家が自己を表した、愛の詰まった名作だ。
「読んでも、宜しいのですか」
作者と、おばあちゃんに対して最大の敬意を携えながら聞く。
「はい、是非読んで下さい。私はあの子のところへ行って機嫌を直してきますから」
おばあちゃんが話し終えるよりも先に、私は本を開いていた。一人の作家の魂を覗くために。今から書こ
うとしている自分の作品の参考とするために。
「ありがとうございます」
一ページ目のタイトルが見えた時に、おばあちゃんに一瞥をくれてお礼を言う。おばあちゃんは既に歩き出していた。
【或る日、あの時、あの場所に
貴女と私がおりました
風が木々を吹き抜けて
太陽が小さな家を照らします
その日、その時、その場所は
私にとっての宝物
吹き抜けて行く僅かな日々に
生きる輝き感じていました】
題を捲り、冒頭に一つの詩があった。間違いがない、彼がおばあちゃんに渡したかった言葉、遺言だ。おそらく、出版社に持ち込む時にはなかったであろう追加分だ。話の結末も当初のものとは少し違っているかもしれない。胸の奥の鐘が響いていくのがわかる。一人の人の人生が物語となった小説。私小説。登場人物は一人の金持ちと、いずれ魔女と呼ばれるようになった女性。魔女になるに至った背景。そう、魔女。魔女だ。魔法使い。魔法とは想像の出来ない現実なのだ。想像も出来ない出来事の本質を人が勝手に魔法と言っているだけなのだ。壮絶な人生を纏った人物は、一般の人の想像を超える存在になる。つまりはそれが、魔法使いであり魔女なのだ。その実態が分かりさえすれば、もうその人々はただの人。かくして魔女は純粋なる乙女へと還元されてゆくのだ。
いつの間にか、日が落ちていた。物語を読み終え、天を仰ぐ。物語の終焉は彼の病死で締めくくられていた。お婆ちゃんの話によると初稿版は二人で幸せになるという形で終わっていたようだが、こちらは来世での再会に希望を残しての終焉であった。物語の後半たる二人が別れてからの話は、非常に現実味が強く前半のそれとはだいぶ違う印象を受ける。内面の変化に伴う文体の変化とでも言おうか。非常に味があった。
いや、それはそれとして。どうやら、ここで飼っている鷲は彼の家が密かに買い取っているとのことだ。ようは直接的には関係を持てないため、間接的に支援できる形を取ったということである。貯蓄電気の設置や内装の修繕なども彼が手を回しているそうだ。彼の親が亡くなって、おばあちゃんとの再会が期待された頃には彼は病気で重体になっており、結果的に再会には至らなかった。また、彼の家ではおばあちゃんの存在は疎まれているため、遺言で鷲を買い続けることしか自分が亡くなった後は支援出来ない旨(これが可能な理由は鷲を使った事業展開が既になされているからだ)が書いてあった。
「小説家さん。あの子と服を取りに行ってくれませんか」
急に現実に引き戻されたため、一瞬世界がぐにゃぐにゃになる。自分の居場所がわからなくなって、今いる場所を確かめる。そうだ、私は今純粋なる乙女のいる家にいるのだ。キッチンの出入り口には、乙女が、おばあちゃんが立っていた。
「今、そこにいるので」
たしか、少女と喧嘩をした仲立ちをしていてくれたのだ。服を取りに行く。ああそうか、昨日ダイビングスーツのままだったから。もう夜か。なるほど、一人では行けないか。妙案だ。
「はい」
私は懐中電灯だけを持って、少女の待つ玄関へと向かった。
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