第25話 夜 うるわしの少女 売る鷲の少女4
売る鷲の少女4
喧嘩しているのは変わりがない。しゃべり出すきっかけがわからなかった。おばあちゃんがある程度は言ってくれているだろうが、どこまで機嫌が直っているのかはわからない。少なくても、すっきり許してくれているようには見えない。はて、何が原因だったか。そんなに時間は経っていないと思うが、昼が何日も前のことに思う。ああ、そうだ。魔女と言ってしまったのだ。無実なるおばあちゃんに。
「すまない。おばあちゃんは魔女なんかではないね」
許してもらうために取り繕って言っているわけではない。これに関しては心からの謝罪としてしっかり伝えたい。
「うん」
少女の返事はどちらともつかないものだった。だが、まあすごく怒っているというわけではなさそうだ。
「読んだよ。小説」
今度は少女から話しかけてくる。ああ、そう言えば私の書いた小説を渡したのだった。
「どうだった」
それとなしに聞いてみる。
「面白かったよ。風が主人公ってのが独特だった」
題は「風がなく頃」という作品で、このなくには、鳴く、無く、泣く、啼くと様々な意味を掛けている。またそれぞれを副題とした短編を基に構成し、最終章である〈風が亡く〉で終焉する話になっている。
「風ってとりとめがないけど、作品を通して風を近くに感じれた。触ることが出来ない風。感じることは出来る風。見ることは出来ない風。匂うことは出来る風。風は違う次元で私たちと共に生きている。あのくだりが好き」
少女が少しにこやかに話す。少し、胸が落ち着いた。
「私も読んだよ。愛する者の讃美歌」
一瞬風が止まる。
「うん」
そして、風が動き出す。
「私はね。魔女を探しに来てるんだよ」
そしてまた、止まる。今度はピタッと。
「魔女と言っても、メルヘンなファンタジックな魔法を使う人じゃない。もっと現実的な魔女さ。何ていうか、私の母みたいな人かな」
風が緩やかに流れ始める。
「お母さんは、魔女なの」
私は少し風を暖めるようにする。
「ああ、私が会った初めての魔女」
暖かな風が少女を包み始めた。
「なんでも叶えてくれる魔法使い。世の中の人は魔女を誤解しているのさ。魔女とはこういう人なんだって、小説に起こしたくてね」
「そっか」
少女が起こす風も、だいぶ暖かなものになってきた。
「そういえば、君は家出しているんだっけ」
今なら聞けるのではないか。そんな気がして、すっと聞いてみる。
「えっ」
少女の周りの風があっちこっちに惑い始める。
「いや、魔女の調査をしているついでに色々と聞いたよ。ご両親が亡くなったんだよね」
暖かくなり上昇していた風が下降し始めた。
「心中察するよ。辛かったろうね。でも、元々いた親御さんとも上手くいってなかったんだろう」
風の変化に気付かぬ私は、無造作に言葉をまき散らかす。風は散らかる言葉と共にあっちにこっちに飛び回る。
「ももちゃんって言うんだね。名前」
そう言いながら、少女の様子をやっと伺う。
風が鋭くなっていた。ふいと、少女が走り出す。すると、少女の周りを飛び回っていた風が続いていく。私はその風を感じ、後悔した。あの風を振り払わなければ。急いで少女を追う。
そこは崖だった。森よりも強く風を感じる場所。森よりも広く夜を感じる場所。森よりも幾分か照らされた場所。少女は夜の地平を見つめている。道中、たくさんの風を身に受ける。怒っているような、泣いているような、裏切られたような、失望したような、憤りが風になっていた。
「ごめん。ももちゃん」
追いつくので、見失わないのでいっぱいいっぱいだった。地理を知っているかどうかもあるだろう。暗がりの移動もあるだろう。少女が立ち止まってくれてよかった。
「その名前で呼ばないで」
少女は顔を地平に向けたまま。強く鋭く言葉を放つ。その言葉を風が勢いよく運んできた。私はそれに圧せられて、前に行く歩が止まる。
「すまない」
弱弱しくもしっかりと、相手に届くように言葉を漏らす。
「魔女はいるよ」
少女が次に発した言葉は低く、冷たく、重い風となって流れてくる。
「おばあちゃんが言ってた。強く強くイメージすること。強く強くイメージすれば、なんだって出来るんだって」
とても暗い力がある。夜にぴったりな力だ。月の輝くあの幻想的な夜空の下にふさわしい。比較的明るい声色。でも、どこか得体の知れない魔性の言の葉。風が啼く。
「どうして、私が高い所が怖くて、暗い所が怖いか知ってる」
見当もつかない。そういう性質、ではないということか。私は魔に取りつかれたかのように無意識に少女の方へと歩く。
「どうして魔法が使えるのか知ってる」
この子もまた、魔女だというのか。この子が魔女と言われる所以。この黒い瞳の中にある人生は一体どういったものなのだろう。
「宿題ね」
少女は笑顔で、ことさらに明るくそう言った。月の光を受けた顔ならば、その瞳の奥を覗くことが出来るかもしれない。地平を見つめたままの少女を覗き込む。その瞬間、夜空が見えた。星々が、月が輝いている。どんなに輝いていても暗いというのに輝いている。そうしてそれが急速に離れていくのがわかった。風が吹き荒んでいる。私は静かに目を閉じた。私は何を見ていたのだろう。何を見るべきだったのだろう。今、願うのは真実の姿。真実の探求。夜という暗い世界を飛び回り、感じえるもの。そんな願いが通じたのか。私の身体は鳥となり、夜の森のその上を、夜空の下のその世界を飛び回っていた。
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