第19話 夜 うるわしの少女 潤わしの少女2

潤わしの少女2



 キャーー




 物凄い悲鳴が夜の森に木霊する。後方からだ。どこかで聞いたことのある声。懐中電灯を照らして様子を見る。心臓が大きくゆっくりと鼓動する。熊に襲われたのか、オオカミか。近くにある枝を取った。




「キャーー、助けて」




 見えるや否や、少女がこちらに猛進してくる。私は、後ろへ回るように合図をし、身構える。




 と




 いきなり少女は正面から抱き着いてきた。




「ちょ、後ろに行けって。どうしたんだ」




 当惑しながらも、来る敵に備えて少女を後ろへ追いやろうとする。が、まったく手を離さない。無茶苦茶焦る。




「ほら、敵が来るぞ、後ろへ隠れろ」



「くらい~、こわい~」




 少女が泣きじゃくりながら、声を出した。その声を、言葉を聞いた瞬間。私は動きを止めた。




「くらい~」




 少女は変わらず私を強くつかみながら声を発している。暗くて、怖い、と。




 心臓の鼓動が急に静かなものへと変わっていった。




「おい」




 ちょっと強めに呼びかける。




「こわい~」




「おい」




 今度は少し静かに。




「え~ん」




「もう、大丈夫だから」




 何か、すごく疲れた。優しく大きく吐きながら言う。そういえば、暗いのが怖いとか言っていたか。赤ん坊をあやす様に背中をさすった。




「ひゃっ」




 突然、少女は反応し私から飛び退ける。私は一瞬訳が分からなかったが、腕で身体を隠すようにする少女を見て察しをつける。全く勝手な奴だ。




「あ、ありがとうございます」




 少女は顔を伏せがちに目だけをこちらに向け、口を小さく動かしながらそう言った。




「家まで送るよ」




 私がそう言うと、少女は小さく頷いた。




 ちょうどよかったと言えばちょうどよい。会って。道を聞きたかったのだから。助けた、というか何というか、そういうのもあって一宿くらいは泊めてくれるだろう。風呂にも入れるかもしれない。着替えも。




「ハックシュン」




 少しずつ乾きつつあった服だったが、少女の涙により胸の辺りが再度濡れた。変な汗まで噴き出してくる。というのもあって、くしゃみが出る。




「大丈夫ですか」




 後ろをとぼとぼと、私の服の一部を引っ張りながら歩く少女が声をかけてくる。私は、時折ある分かれ道を彼女の指示に従って歩いている。




 全く持ってこちらの台詞だ。




「そちらさんよりは」




 全身の気怠さが消えないままに応える。それにしても変な少女だ。暗所恐怖症で高所恐怖所のはずなのに、この暗い中一人で滝に行き、飛び込むことだって出来ているのだ。十分克服出来ているではないか。まあ、先ほどの様子から、暗所恐怖症は克服されていないようだが。




「なあ、どうやって滝に行ったんだ」




 矛盾を正すために質問を試みる。果たしてどんな答えが返ってくるのだろう。




「私、この辺に住んでいるので」




 いや、聞いているのはそういうことではない。が、良いことを聞いた。魔女についても何か知っているかもしれない。そうだ、魔女だ。何か一連のごたごたですっかり忘れていたというか何というか。いや、今は良い。先に少女の謎を解明しようではないか。




「いや、そうじゃなくて、暗いとこ怖いんでしょ。高いとこも」




 きっと、高所恐怖症も治ってはいないのだろう。




「ああ、はい。えっと、明るいうちに滝の方行って、暗くて怖くなったら、飛び降りないと帰れないぞって自分に言い聞かせたんです」




 なるほど、筋は通っている。ようで、通っていないのではないか。それで飛び降りられるものかとか、その根性があるならとか、色々と突っ込みたくなるような言葉が溢れ出る。




「ところで、何でスーツ」




 そう、彼女はまだダイビングスーツを着たままだったのだ。一番の疑問がついと出た。すると、少女は急に歩を止める。そのせいで、私の服がチーズのように伸びた。




「ちょ」




 後ろを見ると、少女が私の服をつまんだまま顔を伏せている。私は少し後ろ歩きをして戻る。




「いやいや、気にしてないから気にしないから」




 そう取り繕う。今は一刻も早く屋根の下に入りたい。このまま留まられても困る。また、少し歩き出す


と、ちゃんと付いて来てくれた。




「克服するのは難しいよな」




 まあ、およその一連で色々察しはつく。ようは着替えようと思ったが、暗くて怖かったため駆け出してしまったのだろう。ん、そう言えば彼女は懐中電灯も服も持っていないが、置いて来てしまったのだろうか。なんとも切ない恐怖症である。いや、それよりも懐中電灯無しによくもまあ正確に道を辿れたものだ。よほどこの森を知り尽くしているのだろう。そうだ、魔女。




「君は、魔女について何か知っているかい」




 村で噂されている魔女は様々な悪評で語られていた。読心術を使える、錯乱魔術の使い手だ、人を誘惑し殺す、人を動物に変える、虫や草を食べて生きている、など様々だ。実際、この森に入った人達は行方不明になることも多いとのことだ。きっと、そういうのもあって歪曲して話が膨らんでいるのだろう。




「魔女。知らない」




 少女は少し呆けたように応える。意外だった。というのも、魔女の話は村人全員が知っている話だったのだ。無論、少女は村から外れたところに住んでいるようだし、もしかしたら迷っているうちに、東か北の街に近付いていて、もうその区画なのかもしれない。




「お兄さんはどこから来たの」




 少女が初めてこちらに話しかけてきた。何か少し胸がすっとする。




「南西の方に山に囲まれた村があったでしょ。あそこから、魔女の噂を聞いて来たんだ」




 こういう言い方をすれば、現在の場所がわかる情報をくれるかもしれない。まあ、くれなかったら、また改めて聞けばいい。




「ああ、あそこか。あそこ嫌い」




 少女はあからさまに嫌悪感を言葉に乗せる。相当嫌なのだろう。一体何があったのか。しかし、今の一言で少女が魔女について知らないことと、現在の場所について予想がついた。




「なんで、魔女に会いたいの」




 少女が平坦な声色で聞いてくる。




「んっ。実は僕は小説家でね。ネタ探しってやつだよ」




 本当はもっと色々言えるが、面倒臭いので割愛した。まあ、大まかに言えば、言ったことなのだから問題は無かろう。




「えっ、作家さんなの。何書いてるの」




 少女は急に明るくなって話し始める。本が好きなのだろうか。そうかもしれない。こんな山奥では娯楽も少ないだろう。




「うん。この前、大賞を受賞してね。今、持ってるよ。後で読む」




「うん」




 力強く、きらきらとした返事だ。何か、こちらまで明るい気分が沸き起こってくる。感想を貰うのが楽しみだ。




 少女は返事の後も作品についていろいろ聞いて来た。どんな話なのか、どうして作ったのか、どんな賞に受かったのか。ネタバレしないように話すのは正直難しかったが、なんとか凌ぐ。そんな最中にも少女は私に指示を出して家へと誘導する。まだ着かぬのであろうか。ふと、懐中電灯が照らす先以外の景色も見てみる。すると、うっそうとした木々が静かにこちらを見ていた。なるほど、少女が暗いところを怖がるのもわかる気がする。




「へぇ~、面白そう」




 いつの間にか、後ろで服を引っ張られるような感覚はなくなっていた。

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