うるわしの少女

第18話 夜 うるわしの少女 潤わしの少女1

潤わしの少女1




 魔女。




 とても神秘的な響きだ。その言葉から一体何が想像出来るだろう。例えば、何もない空間に炎を点らせ解き放つ様か。森の中でクツクツと怪しげな大鍋を煮込む様か。フードを被った老婆か美女か。男を誘淫する女か。国教にそぐわず焼き殺された女たちか。はたまた精神障害者か。魔女。魔を使う女。魔とは何か。




 日本語というのは便利である。こういうときはその漢字を見ていくことで、元来の姿が見えてくるからだ。まずは偏旁冠脚に分けてみよう。




 魔




 げんぶ、通称まだれと言われる部位に、林があり、鬼がいる。このまだれは家屋の様なものを示す。林はそのまま林。では鬼とは何か。霊的存在による人型のことを指すのだそうだ。その字形は頭の大きい人であったり、霊に取り付かれた人であったり、奇形な霊そのものを表しているのだそうだ。特に日本では牛の角を持ち虎の牙を持つ異形のことを指すのだが、これは鬼門が丑寅の方角にあることから起因するらしい。さてこのことから、林の様な木のうっそうとした場所に住む頭のでっかい幽霊ということだろう。




 だが、実は先の解字は不適当である。厳密には麻と鬼に分けるらしい。麻とは昔から人に身近なものであり、衣料品は勿論薬用にも使われるものである。薬用にも使われると言うが、その実は大変癖のあるしろものであり、用法を間違えればたちまち麻薬となる。その性質は痺れをもたらすものが多い。つまり魔とは、痺れる劇薬を扱う幽霊である。




 魔という漢字そのものは、愛欲の神カーラ・マーラ、通称マーラの当て字魔羅が隠語として存在するらしい。このマーラというのは煩悩の神であり。釈迦の悟りを邪魔したという話である――




 と、色々と私なりに調べてみたのだが、その存在に確かな答えは得られなかった。会えるものなら会ってみたい。現代にいるという魔女の話を映画で見たことがあるが、教典に背くレズビアンを迫害している話であった。私が会いたいのはそういう魔女では無い。かといって、非科学的な魔法を扱う存在を期待している訳でもない。無論、居たら居たで会ってみたいが、所謂マジックの様なものを見せられても納得出来ない。私が会いたいのはもっとこう、イメージ的であり現実的な彼女なのだ。あまり、理解はしてもらえないだろうが。




 そんな思いを馳せながら私はこの村に、森にやってきた。魔女がいると言われる森に。




 人口三千人ほどの村。周りは山に囲まれている。四方にある山を越えると町や都市がある。北に大都市、東に中規模の町、西に港町、南に市がある。よって、村といってもさほど廃れてはいない。交通の拠点になっているからだ。この村が大きく発展しない理由はその面積による問題である。大勢が住むには狭すぎる。いや、厳密には住める場所が少な過ぎる。そうかといって開墾するのも手が掛る。ちょうど四つ山の谷間であるため、斜面が急な箇所が多く、人が住めるくらいに平面化するのは難しい。これは、工場や大型建築においても同様で、基本的には存在しない。したがって、この村は良くも悪くも自然が溢れており、かつ発展しており、舗装されている美しい村、である。自然好きの人にとってはたまらない場所だろう。




 そんな村に、魔女がいるというのだ。




 実は私はしがない小説家で、かねてより魔女についての小説を書いてみたいと思っていたのである。小説家と言っても、大した実績はない。一応、大賞を一度取ってデビューはしたが、大賞を取った割には話題を呼ばなかった。受賞作は正直、私にとっての最高の作品ではない。よって、話題をされえなかったことについては、どこか納得している部分もある。普通、初めてコンテストに投稿する際は、自身の思いの丈の詰まった最高傑作を書いて投稿するのだろう。だが、私はこの魔女の話を小説にするのがどうにも煮えきらない間に、並行して書いていた小説が先に完成したため、そちらを投稿することになったのだ。で、たまたま大賞を取ってしまったと。




 正直複雑な気分だった。取るのであればやはり自身の最高傑作で取りたいし、それを評価されたい。まさか大賞を取ってしまうなどとは思わなかった。無論、親心というか、それなりの自信はあって出してはいたし、評価されて嬉しくないわけではない。が、やはり私はこの魔女の話を書きたいのである。




 何故、魔女なのか。そうだな、やはりそれが神秘的な存在だからだろうか。あるいは私が創作する者、小説家だからと言っても良いかもしれない。魔女、魔法を使う女。魔法とはありえない事象の創作。対象に天変地異の驚愕を与え、圧するもの。




 私の母はなんでも作ってくれた。ハンバーグ、ドリア、カレー、食事は勿論、紙飛行機、あやとり、お手玉、簡単なマジックやおもちゃまで。私にとっての母は魔女なのだ。私にも、母のように何か創り出せるものは無いか。魔法のように創り出せる何かは無いか。そうして辿り着いたのが小説家という創作だったのだ。




 母は、私が十歳の時に亡くなっている。




 魔女についての話は今まで、様々な形で言い伝えられてきた。童謡や神話は勿論、漫画やアニメ・映画・小説、様々な媒体に登場し、語られている。でも、私はそのいずれにも納得していない。そんなものではないからだ。そう、母のような存在。それが魔女だ。と、言っても遠い記憶の断片だけでは魔女を描ききることは難しかった。魔女に会いたい。会って話をしてみたい。そうすることでやっと書けるのだ。私の小説は。




 不本意ながらにも大賞を取り、生活に少しばかりの余裕が出来た今、出版社から情報を集めることが出来た。しっかりと納得出来るものを見て、最後まで書ききろう。この作品が出来れば、大賞なぞには収まりきれない大作が出来るのだから。




 さて、熱烈な志は時に人を惑わせる。冷静な判断力を奪うのだ。どうしよう。




 村はずれにある森。ちょうど村から北東、つまり鬼門の方角にある森。ここに魔女が住んでいるそうだ。私は簡単なキャンプ用品を背に冒険に出かける。夜になっても歩き続ける。いや、夜の山道ほど危険なものは無いのは知っている。が、様々な資料による偏見もあって、夜の方が魔女に出会えると判断したのだ。しかし、一向に会えないのは勿論、住まいらしきものも見つからない。大まかな場所は聞いていたのだが、夜道になり完全に迷ってしまったらしい。テントを張るような場所も無しに、懐中電灯まで電池が切れかかってきた。替えはあるが、一セットしかない。完全に見誤った。この森はかなりうっそうとしていて、通常よりも早くに日の光を感じなくなったのだ。




 切れた電池を交換し、辺りを見回す。木、木、木と小道。何も無い。小道が三つほど見えるが、どれに行けばいいのだろう。どこに行くべきなのだろう。とりあえず、真ん中の道を少し進んでみる。一番広かったからだ。すると、程無く滝の音が聞こえてきた。水場だ。夜の水場は安全だったかどうか。正直あまり覚えていないが、少なくても水がある。もしかしたら開けた土地もあるかもしれない。明確な目標が出来たではないか。と、そのまま進むことにする。




 なかなかに荘厳な滝の音。近くに来るとその様に圧倒される。滝周辺は木々の葉も開け、月の薄明かりを水が一身に受けている。明るいというか、そこだけ少し違う、生き物の様なうねりを感じる。幅は三メートルほどか、高さはおそらく十メートル以上ある。懐中電灯を照らして滝壺から順にその先を追ってみる。すると、人影が映った。驚くのも束の間、その人影が滝壺へと落ちていく。しまった。と思った。何故滝の上に人が居たかはわからないが、急に光を受けて平衡感覚を失い落ちてしまったのではないか。急いで私自身も滝壺へと飛び込む。




「大丈夫ですかー。どこですかー」




 滝の轟音に負けぬように大声を張り上げる。そして水の上から、中から何度も何度も顔を出し入れしてその人を探す。そんなに深いところまでは来ていないのか、それともそこまで深くない場所なのか、腰ほどまで浸かりながら探す。仮に後者だとしたら大事だ。必死になって探していると、か細い女性の声が聞こえてきた。




「はぃ、だぃじょぅぶです」




 今度は声を頼りに、水の上に焦点を絞って懐中電灯を照らす。すると、滝壺の方から黒い人影が、徐々に近づいてくる。懐中電灯に照らされて、その姿がはっきりしてきた。どうやら、既にそこまで深くない場所らしい、腰ほどまで浸かって歩きながらこちらへ来る。黒髪を縛っている髪型。あどけない顔立ち。一四,五歳か。もっと、若いかも知れない。黒い、ダイビングスーツに身が包まれている。ダイビングスーツ。えっ。




「あの~……、大丈夫ですか」




 何を話していいかわからずに、とりあえず勢いで聞いてみる。




「はい、すみません。大丈夫です」




 少女は少しはにかみながら、苦笑いを浮かべて応える。




「そう、ですよね。何をやっていたんですか」




 姿から推察できるだろうに、ろくでもない質問をしたなと後悔をしながら質問を変えてみる。




「えっと」




 そう言いながら少女は目を伏せがちにして、緊張を帯びた声色を奏でる。




「私、暗いのと高いのが怖くって。その。克服しようとしてて」




 口があんぐりと開いてしまう。いや~、こんなにも自然にあんぐりと口を開けたのは初めてだ。開いた口が塞がらない。更には、そんなことはないのだろうが、ダイビングスーツ姿で怖がりながら森の中を歩く少女を思い浮かべてしまう。ぶはっと、声が出た。




「笑わないでください」




 少女はふくっとした表情になり、顔が紅潮する。語気は先ほどまでの緊張が覇気に変わって混じったようなものになる。




「すみません。いえ、その、意外だったので」




 いやはや申し訳ないことをした。笑った自分を諫める。




「もういいです」




 そう言って少女は水の中に潜って、泳いで行ってしまう。




「あっ、まっーー」




 待って、と言いかけたところで止める。止めるのも何か変だ。とりあえず無事だったのだから。暗いということもあり、懐中電灯を照らさなければ少女がどこへ行ったかはもうわからない。泳ぐ音も、滝の轟音で掻き消されている。この滝は道の行き止まりだ。特に、開けたところもなし。引き返すしかなさそうだ。








 ハックシュン




 寒い。




 着替えがないので全身が濡れたままだ。早く焚き火なりテントなりを張って、休む態勢を整えねばならない。思惑に耽りながら夢中になっていたので気付かなかったが、だいぶ身体も疲れてきている。先ほど、全力で救援しようとしたというのもあるだろう。とにもかくにももう座り込みたいほどだ。少女を引き留めなかったことを後悔する。人がいたというのは大変な収穫だったのだ。いや、ということはもしかしたらこの辺に家があるのか。

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