第17話 夕 好きです! 橙色

橙色




 彼の話は長くて、一方的でとても聞きづらくて、わかりにくかったけど、何故かとても共感できた。私は知っていた。その言葉を、感覚を、身をもって。好きだった。惹かれた。離れたいと思ったこともある。これでいいのかと、このままでいいのかと思ったことがある。でも安定してた。幸せだったと思う。




 そして、彼の言葉に感化されたのか、変な考えが脳裏をよぎる。




(原子は不安定で一つではいられない。分子となってようやく安定する。結びつく相手の原子は同じ種類とは限らないのかな)




「宇宙か」




 小さく呟く。誰にも聞こえないくらい小さい声で。静かに、涙を流しながら。




「あっ、えっと、すみません」




 彼が慌てて謝る。




「そんなつもりじゃなかったんです」




 伏せていた目を彼に向ける。すると、彼はさらに動揺する。先程までの堂々とした態度とはまるで違う。年齢相応の可愛らしさがある。




「俺、男失格ですね。好きな人泣かせちゃった。ダメだ」




 彼はやたらと自分を責める。でもそれは愛故のことだとなんとなくわかる。




「どうして」




 ふと、そんな疑問が口をついて出た。




「それは……、直感です。貴女が俺の最愛とすべき人だと思ったからです」




 目を落として、ふっと笑う。やっぱりどこか自分に似ている。不器用で、合理的なようでそうでなくて、口下手で。立ち去れなかったのは、自分もそれを感じられたからかもしれない。何か自分の中で縛り付けられたものを解いてくれそうな人。自分にとっての特別な人。




「でも、だめですね。その相手を泣かしてしまった」




 彼は目を落とし、声も落とす。そして、少しだけ感情的な、非難めいた言葉が紡がれる。




「っていうか、わかりませんよね。俺の言っていること。きっとわかってくれると思ったんですが」




 急に彼が遠くなった気がした。何が青年を不機嫌にさせたかわからなく、少し慌てる。




「それに、泣かしてしまうし……。もしかしたら……」




 不機嫌な理由を探し終えるよりも前に青年は次々と言葉を繋いでしまう。




「すみません。やっぱり違うのかもしれません。傷つけるなんて、理解してもらえないなんて」




 最後の一言はほとんど独り言だった。何か言わなければ。と、青年をまっすぐ見つめて声をかける。




「そんなこと――」




「わかってます」




 青年は言葉を遮る。




「当たり前ですよね。いきなり出会って、話もしないで、何も知らないでそんなことはわからない。勘違い……。失礼しました」




 青年は頭を深々と下げる。そして頭を上げ、そのまま踵を返す。目は合わなかった。スタスタと歩いて去って行く。少し肩は落としているようにも見えたが、足取りはしっかりしていた。




 (違う。違う、違う、違う)




 頭の中は混乱していた。何が青年を失望させたか未だに把握出来ていない。諦めるタイミングはたくさんあったはずだし、もう少し話をしてみたいと思い始めていたのに。




 もしかしたら彼もそうだったのだろうか。もうひと押しが欲しくて、もう少し話し合いたくて……。なんとなく、彼の気持ちが今ならわかる。




「待って。




 待って。




 私は何も言ってない。




 勝手に決めないで。




 好きだから。




 私も好きだから。




 好きです!」




 もう影ほども見えない青年の後ろ姿に大声を張り上げる。自分でも何故叫んでいるのかわからない。何を叫んでいるかわからない。ただ叫びたかった。頭に思いつくままの言葉を、全身で。




「好きです。貴方が」




 最後は呟くように言う。空を見上げ、雲を見ながら。雲は夕色に染められており、ゆっくり流れる雲は何か自分の知っているもの、自分の求めていたものに見える。




「また、会えるかな」




 もう一度、青年の去った方を見る。今までにないくらい優しい眼差しで、光が溢れた愛まな差しで。




「そっか……。ありがとう」




 夕陽は沈み、人は再び歩き出した。一人の女性がシャボンを吹き出し、シャボン玉が空を漂う。高く昇ればまだ夕陽に照らされるかもしれない。ぐんぐん、ぐんぐん高く昇って、昇った先で少しだけ光を浴びた。シャボン玉が色を帯びる。青色、紫色、橙色。一瞬だけ輝いて弾けて消えた。夜空が辺りを支配していき、色々な星が輝き出す。太陽はお休み。月が輝く時間だ。太陽の光を受けて輝く月。その月の光に照らされた街並みは、どこか静かで心地よい。




 宇宙は広がっている。


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