第16話 夕 好きです! 紫色
紫色
「「別れよう」」
そう言ったのは、事故が起きてから数時間が経った頃で、私が彼に夢を諦めるしかないことを告げた数十秒後だった。彼の声はかすれていた。私は病室を飛び出し駆け足で去っていく。
自分の不注意で傷ついた彼。自分を庇って傷ついた彼。自分の不注意で夢が消えた彼。自分を庇って夢が消えた彼。
頭の中がぐるぐると回る。
好きだった。好きになった。嫌いな時もあった。たくさんあった。でもたぶんずっと好きな気がするし、でもよくわからない。ただ一つ、耐え切れない。今のこの現実は自分には重くて、重くて、切なくて、逃げ出した。でもたぶんそれが答えであり、一番であるように、正解であるように感じた。そうであると信じた。
目の前の青年は妙に似ていた。あの頃の彼に、自分に。
「そんなこと言わないでください」
青年は少し目を伏せながらはっきりとした口調でそう言う。
「これは僕の考えなんですが……」
青年は顔を上げ再び目を合わせてくる。凄く意志のこもった目だ。
「出会いって星と同じなんです。偶然に会って、偶然に一緒になる。えっと、つまり、ええっと、分子ってわかりますよね。僕、分子って星に似てると思うんです。原子の周りに他の原子が引き寄せられて分子になるでしょう。その時原子同士は惹き合うんです。出会って離れない。で、原子って丸いじゃないですか。だから星みたいだなって。例えばこの太陽圏って太陽に地球とか水星とかが惹き寄せられてるでしょう。他の星ではなく太陽に。どんなに離れそうになっても離れないで周る。で、地球って太陽に惹かれてるだけかなって思うとそうじゃなくて、月は地球に惹かれてるでしょう。地球はずっと太陽を見てるんだけど、月の情熱に結局は月との方が近くに居る。夜の光を照らしてくれるのは月。まあ、月も太陽の光を反射しているんですけど。ああ、えっと、だから、僕にはこう見えるんです。僕らの身体は一つ一つの細胞に支えられて生きている。その細胞はたくさんの分子に支えられ、分子は原子に支えられてる。地球は一個の原子で、月と合わせて分子になります。太陽まで含めると細胞になって。銀河系は指かな。僕たちの身体は宇宙なんです。たくさんの出会いがあって、僕らが出来ているんです」
青年の急な語りに目が点になる。要点が掴めない。なんとなくわかるようで、でも、さっぱりわからない。
いつの間にか周りが気にならなくなっていた。
「好きになるって、惹き合う事なんです。最初は一方的かもしれないけど、お互いを認め合って、お互いを支えて一つの単位となるんです。そして、一番惹き合った人と一番近くに居られる。一緒に」
ますます要点が掴めなくなる。理屈はなんとなくわかった気がするけど、今の状況との整合性がわからない。
「僕は貴女に会った時、それを感じたんです。一つの単位となるべき人だって。結びつくべき原子だと。貴女が地球なら僕は月で、貴女が太陽なら僕は地球です。最初の出会いなんて、好きな理由なんて、星の出逢いと同じで、あって無いようなものなんです。ただそこに原子があったから、それに惹き寄せられたから、なんです」
青年は、言葉の一つ一つを丁寧に渡してくる。
(出会った時に感じた感覚か)
目を地面に落とし、少しずつ青年の言葉を飲み込んでいく。少しの静寂。何かを見つけた気がした。水滴が光る。空中を一瞬彷徨い、手に持っていたシャボンの原液にポチャンと落ちた。
自分の中で張り巡らせていたピンと張った糸が解れていく。胸の中に仕舞いこんでいたものが、次々と溢れ出てくる。何度も何度も首を振って、頭に浮かぶものを振り払おうとする。しかし、一度解れた糸はもう疲れたと微笑み返すだけだった。桃色、緑色、黄色に赤色。心が色々な色に変化し、色々な色が混じって明るい虹色に輝いた。
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