第179話 世界の形

 突然のとんでも理論に閉口しながら思いついた言い訳を口にしてみる。


「ちょっと今は無理な話ですね。理由はコレです」


 俺は錠剤のシートを摘まんで差し出した。


「これは?」


「薬です。体調に問題はなさそうですけど実はまだ治療は完全には終わっていません。暫くはこの薬を三日に一錠服用してもらいます。薬の効果が残っているうちに受胎した場合に胎児への悪い影響が出る可能性があるんです。ですから薬が無くなって一月以上経過するまでは妊娠の可能性のある行為は控えた方がいいですね」


 それはナノックのための薬だ。薬と言うよりエネルギー源と言った方がいいかもしれない。ナノマシンは体内で存続して活動するために少量ではあるが人体には存在しないレアメタルを必要とする。これはそれを補充するための錠剤だ。


 これが不足すれば特殊構造体が維持できずに体内で分解され排出される。


 現在、王様の体内ではまだナノックが活動している。やっているのは右肩の筋組織と拘縮を起こしている皮膚の修復だからやらなくても問題ないけど。うん、嘘は言ってないな。


(ナノックの胎児への影響は122年前の連邦中央医学院の研究論文で安全性が確認されています)


 即座にドルに否定された。


 いいの!

 それは俺も知ってるけど今回は嘘も方便て事で見逃して下さい。

 俺の貞操がかかってるんだから。


「ふむ、ならば今は諦めよう。だが全ての治療が終われば問題は無いのだろう?その時は逃がさんぞ。これは王命だ。必ず戻って来い」


 あっズルい。ここで命令に切り替えるとは。


「はぁ、善処させていただきます」


 王様の余りに堂々とした態度にちょっと負い目のある俺の口からはそんな情けない言葉しか出てこなかった。(弱っ!)


 でも取り敢えず目の前の貞操の危機は避けられただけでも良しとしよう。


 だってこんな話受けたら城に囲われちゃいそうだし断ったらもっと面倒になりそうな予感しかしないし。


 ちょっと時間を下さい。

 俺は自由が欲しいんです。(泣)

 


「それより少し話をさせてもらってもよろしいでしょうか陛下」


 閑話休題。この辺で少し話を変えよう。


「私はここから出る事も出来んのだ。ここの主はお前だ。好きに話すがいい」

「では失礼して。こちらをご覧いただきたい」


 壁面の一部に先日見たのと同じ王城区画の上空映像が映し出される。


「これは昨日見た景色と同じだな。城の周りであろう」

「そうです。王都の王城区画ですね。昨日はここから地面に近づいて行ったはずです」

「そうだ。お前が練兵場で組手をしている風景が見えた」

「今日、見て頂きたいのは逆です。ここから離れていきます。ドル、ズームアウト」


 すると映し出される建物は少しずつ小さくなり、映し出される範囲はより広く変わっていく。

 

「これが王都ミケドリア…」


 その映像を食い入るように見つめている王の口から意図せず言葉が零れる。

 外殻部の城壁の内側にびっしりと建てられた家々。そしてその間を網の目の如く細かく縫うように走る何本もの道。それは人の営みの息吹、強さを感じさせるのに十分な景色だった。


「そうです。そしてここがティリンセ。これはティリンセ湖ですね。ここがリシャールでこの先が帝国領です」


 流れるように変わっていく映像を説明している間もズームアウトは止まる事無く続き、ついには大陸の形どころか星の輪郭が分かるまでそれは続いた。


「そしてこれがこの星の姿です。オデッサから説明は聞いているでしょうが彼女もこの映像は見ていません。つまり陛下は今現在この世界の形をその目で見た唯一の存在です」


「これが世界の形……」


 漆黒の闇に浮かぶ青い球体。初めて見るその美しさに目を奪われているのだろう。


「何か感想は?」

「……美しい。こんなにも美しい世界に私は、私達は生きていたのだな」


 一瞬の間を置いて王様は素直な感想を口にした。


「そうですね。本当に綺麗だ。でもそこに生きる人間たちは生きようとするが故に争う。王国には王国の、帝国には帝国の求める正義があるから。でも両方こうして見ればこの星で生きている同じ人間なんですよ。王国に生まれようとも帝国に生まれようとも何も変わる事は無いんです。同じ命なんです。

 帝国との戦争が始まる前に陛下にはそれを知って欲しかった。それを理解していれば退き際を誤る事はないと思うので。全てはそこで生きる民の為。それだけは忘れて欲しくないので」


「……リュート、お前は人なのか?」


 一旦俯きがちに目を閉じてから此方を振り向いた王様の真直ぐな視線が俺に刺さる。


「勿論。人でなければ何ですか?」

「全てを見通せる神の如き存在であればそうも思うかとな」

「神と呼ぶならこの遺跡を残した古代の人達が相応しいかもしれませんね。私はそのお零れに恵まれただけの人間です。それさえも一人で抱えるには大きすぎるから道連れを探しているような弱い人間ですよ。陛下には申し訳ありませんが巻き込ませて貰いました。その代わりと言っては何ですけど陛下が私の考える道を踏み外さない限り今回のように出来る範囲で協力しようと思ってますけど」

「フフッ、当然だ。こんなとんでもない事に勝手に巻き込みおって。責任はキッチリと取ってもらおう。だがこれだけは約束する。これからも今までと変わる事無く私は民の暮らしと共に在る事を誓おう」


 その言葉に俺は軽く頭を下げて応える。


「ありがとうございます。陛下ならそう仰って下さると思いました。じゃあもう少し細かい事を話しましょうか。マリダ、何か飲み物を頼める?ああそうだ、遺跡の記録によるとこの星の名前はエルドだそうですよ」


 俺達は改めてテーブルに着き話を続けたら時間はあっという間に過ぎていった。


 城で主の無事な帰還を心待ちにしている宰相たちの事などすっかり忘れて。


 悪気は無かったんだよ、ごめんなさい。


  

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