第177話 還御
「ふぅ、これで何とか乗り切れたのかな」
「リュートの話の通りに陛下がお戻りになればだがね」
王の執務室で窓際に立ち暗い庭を眺めていたセシルが振り向きながら椅子に座りカップを口元に運ぼうとしたメリンダに話しかけるとメリンダは何かを考えるかのように目を閉じたまま静かに答えた。
リュートとマリダが陛下を迎えに行くと隣の部屋へ入った後のことだ。
「それは今更でしょう。あの偽装の出来がいくら素晴らしくても事情を知っている私としては何時バレるかと冷や汗モノですよ。これ以上は寿命が縮む。それよりもドリス将軍は何て言ってたのか教えてもらいたいですね」
セシルはテーブルに歩み寄りメリンダの向かいに腰を下ろして聞いた。
「兵としては剣術、体術共にそのレベルはエリーテと肩を並べる実力だろうと。キューとの手合わせの話はオデッサから聞いてはいたが間違いないようですね。侯爵の所の傭兵が使っていた大剣は見ましたか?」
「ええ。あれを振り回している時点で相手の傭兵もタダ者でなかったことが分かりますよ」
「その傭兵もリュートの話ではエリーテの資質を持つ者らしい。あの剣は侯爵の私兵の間では『荒野』と呼ばれていたそうです。あの剣を振るった後には立っている人も物もなく荒野だけが拡がっているというのが由来とか。リュートはそれを将軍から渡された普通の長剣で折られる事も無く捌いていたそうです。将軍の剣も業物ではあったようですが相手に刃を立てさせる事無く力を流す高い技術がなければ恐らく初撃で折られていただろうと」
「二つ名に誇張は無かった訳だ。体術の方は?」
「傭兵を倒した技に興味を持った将軍が兵の希望もあって素手で組手をさせたところ57人抜きを行ったと」
「58人目に負けたという事ですか?」
「いや、そこで対戦希望がいなくなったそうだ。自分たちが敵わない隊長、小隊長クラスが軒並み倒された後で兵卒達に相手をさせるのは無理な話でしょう」
「それでリュートを軍に欲しいと?」
「そうです。今回は見極めるだけだとあれ程言っておいたにも拘らず全く話を聞いていない。勝手に訓練に参加させると兵達に伝えたようだ。どう扱うかも全く決まっていないと言うのに」
「…エリーテに並ぶ実力であればそれも無理は無いでしょう。遺跡から魔法を持ち帰った手柄と今回の陛下の命を救った功績を併せるとなれば判断が難しすぎますね。どう転んでもこのままで済ませていい話ではない」
「どの道私達が軽々に決められる事ではないな。陛下がお戻りになられてから伺う他なかろう」
「ふぅ、今夜も長い夜になりそうだ」
そう言うとセシルは背もたれに体を預け、冷めたお茶の入ったカップを手に取りゆっくりと口元へと運ぶのであった。
二人ともリュートの好き勝手な行動に巻き込まれ個人的な利益を得られる訳でもないのに振り回されている。薄々これ以上関わらない方が色々と混乱せずに済むのではとも思うのだが今までの出来事だけで十分に影響が大きすぎて既に放り出す事も出来ない状況に頭を悩ます。
現況の見方を変えれば王の身柄を人質に取られているような状態なのだ。リュートの話を無下に扱う事など出来るわけがない。せめてもの救いは全く悪意がなさそうだという事ぐらいだ。
二人は贅沢に灯りの点された執務室でこの先どうするのが正解なのだろうかと考えを巡らせながら机に積まれ山となった書類に目を通して時折意見を交わして二刻が過ぎようかとする頃合いだった。
「心配を掛けたな。今戻った」
前触れもなく開かれた控えの間の扉からその姿を現したのは紛れもなくニケ王その人であった。その後ろにはリュート、マリダ、ミアの姿がある。
姿形の偽装では誤魔化す事の出来ないその身から放たれる威厳を感じた二人は弾かれるように席を立ちその前で膝を着き胸に手を当て頭を垂れた。
「陛下、良くお戻りになられました。この瞬間を心待ちにしておりました。この度は私どもの不手際深くお詫び申し上げます。お命じ下されば如何様な処罰とて甘受させて頂く所存でございます」
「いや詫びるのは私だ。苦労を掛けたな。それに今回の騒ぎは無かった事になっているとリュートから聞いているぞ。無かった事で処分などできぬであろう?それよりも騒ぎを抑え平穏を保った手腕、見事であった。感謝する」
「過分なお褒めの言葉、誠に恐悦至極でございます。改めて無事の還御をお慶び申し上げます」
二人は一度は上げた頭を再び深く下げた。
(王様慕われてるなぁ。こういうのが理想的な主従関係だよな)
俺はそのやり取りをニケ王の後ろから暢気に眺めていた。
だって王様が元気に戻ればこれで一段落でしょ。
さっさと引き継ぎしてお役御免で肩の荷降ろしたいんだよ。
ユーグラシアの方を何とかしておかないとおちおち眠ってもいられないし。
「ところでリュート、さっきの件の返事は早目に頼むぞ。時間は限られているからな」
すっかり油断しているところに王様からの突然の振りが。
宰相と公爵の『今度は何!』な視線が痛いです。
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