第171話 天からの声
「ゴホッゲホッ」
一瞬の息苦しさのあとに激しく
その目が捕らえたのは柔らかく白く光る壁だ。
『コン』
熱は感じないその壁に触ろうと手を伸ばすと直ぐに透き通った何かに遮られた。
窓に嵌めこむケシャの樹液から作る明り取りの板と似たような物なのかもしれないがあれはもっと凸凹していて景色も歪んで見えるものだがこの壁はそこにある事が分からないほど平らで透き通っている。
その感触にハッとして周りを見回すとどうやら私は裸で筒の様な物の内部で横たわっているらしい。
透き通った壁は正面だけで残りの三方は白い滑々とした手触りの壁に囲まれている。
内部にはシューという小さな音が響いているだけで一糸まとわぬ姿であるにも関わらず不思議と寒さは感じない。
状況が全く分からない。記憶に有るのは壇上で水を口にした途端に息苦しくなり嘔吐したところまでだ。
あの時の息苦しさを思い出し『毒』という単語が頭を過る。
(ならば私は死んだのか?ここは死んだ後に辿り着くという神の世界なのだろうか?)
『バイタル正常、意識レベル覚醒、環境同調完了、ポッドを解放します。ピッ』
突然聞こえた声と共に正面の透き通った壁が音もなく持ち上がっていく。
壁の動きが止まったところで恐る恐る上体を起こし周りを見回すとそこは壁も床も真っ白な空間だった。
(執務室よりは少し狭いか)
全体が白いので距離感が掴みにくいのだが中央にある寝台のような物と壁の所々に煌く青や赤の小さな光を見てそんな事を考えた。
暫くそのまま周りで人の気配がないかジッと耳を澄ませてみたがそれらしい気配は全く感じられなかったので筒の縁に手をかけゆっくりと立ち上がった。
『おはようございます。気分は如何ですか』
またあの何処から聞こえてくるのか分からない不思議な天からの声が白い室内に響いた。
その声に促されるように私は手足を動かし改めて自分の身体の状況を確認する。
関節が少し固まっているような違和感はあったがここしばらくの激務により蓄積していた体全体に纏わりついていた怠さは嘘のように消えていて
「少し強張った感じはするが問題は無いようだ。私はどうなったのだ。ここは何処だ」
姿の見えない相手からの問いに答えながら自らの問いを口にした。
害意を微塵も感じないせいなのか我ながら太々しい対応だ。
『ここは治療を施すための施設です。毒に侵され意識を失った貴方の救命処置を行いました。治療は完了し生体モニターでは問題ない事を確認できていますが体の具合でおかしなところはありませんか』
やはり毒を盛られたか。だが治療が完了したと言っているのだから死んでいる訳ではないらしい。
「問題ない。お前は誰だ?なぜ私を助けた?」
『私は自立型AIプログラム、個体呼称はドルネシアです。治療はマスターの指示に拠り実行されました』
”えーあい”だの”ぷろぐらむ”だの単語の意味は分からないが声の主の名前はドルネシアというらしい。
「マスター?マスターとは誰だ」
『当設備の稼働権限を持つマスターはリュート・モガミです』
それは半ば予想していた回答だった。こんなこの世とは思えない場所は遺跡の中しか思いつかなかった。ならばその遺跡に認められた存在として話を聞いているリュートを連想するのは当然だろう。
(モガミ?家名があるのか?ならばどこかの国の貴族の可能性があるのか?)
「リュートは一体何者だ?」
ティリンセの街に突然現れたその男の素性は王の手の調査をもってしても
『当該質問への回答は情報開示指示範囲に抵触します』
どうやら簡単には教えてもらえないらしい。
今迄の態度から敵対する相手ではないとは考えているが齎した物の大きさを考えれば知らぬままにする事は危険すぎるのだが。
「そうか。だがこれだけは教えて欲しい。リュートは王国に仇なす者ではないのだな?」
『はい。貴女の治療を行ったことがその証左とご理解下さい』
「分かった。その言葉、今は信じよう。私はいつまでここに居ればよいのだ?この部屋から出る事はできるのか?」
『この後は経過観察室に移動していただき二日間の機能回復訓練の実施を予定しています。訓練終了後にマスターが迎えに来るまではこの部屋でお待ちください。必要な物があればお申し付けください。対応させていただきます』
この不思議な場所で何かをやらされるようだ。不安が無いわけではないが命を救ってもらったのだ。それにここで無理をしてもどうにかなるとはとても思えない。ここは素直に従うべきだろう。そう考えた時にハッと気付いた。
「あれから何日経っている?私は何日ここに居たのだ?」
「治療開始から惑星時間で五日が経過しています」
「そんなに…」
予想外の時間の経過に城の様子が気になるところだがどうする事も出来ない。この後さらに二日はここから出る事はできないのだ。メリンダなら何とかしてくれるだろうと諦めるしかない。
「了解した。ならば何か着る物を頼めるか。流石にこの恰好では落ち着かんのだがな」
誰もいないとはいえ部屋の真ん中にその身に一糸纏うことなく立つ己の姿に思わず苦笑が漏れる。不思議な事に濡れていた髪や体はこの短い時間で既に乾いていた。
『失礼しました。こちらをどうぞ』
声と同時に壁の一部が開き中から服らしき物を乗せた台がセリ出してきた。
(なるほど。こちらの要望を聞き入れてもらえるというのは嘘ではないようだ)
そんな事を考えながら私は台の上の服を手に取った。
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