中部区編
第2-1話:巡跡
凌駕と中野は病院の入り口付近に立っていた。もう直ぐ凌駕を迎えに防衛省・公安局の幹部がやってくる。その方に、凌駕は今後の指導を受けることになる。
中野とはここでお別れ。だから凌駕は最後にお世話になった人と話をしていた。
「色々とありがとうございました。中野さんがいなかったら、今こうして前を向けていなかったと思います」
「どういたしまして。でも、私が手伝ったことなんてほんの少しだけです。加賀美さんが自分の意志で行動したから今こうして前を向けているだけです」
「それでも、中野さんがいてくれて良かったです」
「それは、嬉しい言葉ですね」
中野は頬を赤らめ、恥ずかしいそうに喜んだ。凌駕も彼女の表情を見て、微かに頬が綻ぶ。
「そういえば、俺はこれからどうなるんですか? 防衛省に入るって言う情報しかまだないんですけど」
「加賀美さんには、これから中部区へと言ってもらい、そこで奈落(アビス)取締局の一員としての役目を担ってもらいます」
現在の日本は、蝦夷区、東北区、関東区、中部区、関西区、中国区、四国区、九州区の全八区で構成されている。
密集環境はできるだけ避けるよう心がけているが、地域といった大規模になると話は変わってくる。
アビスは如何に被害を最小限に収めるかが重要だ。方法は密集環境を作らない、直ぐにアビスを取り締まれると言った二つの要素が絡んでくる。
アビスを取り締まることができるシナーは人口比に比べ未だ少ない。そのためシナーが取締まりやすい環境づくりが必要となってくる。それが『八区』と言う密集した地域という形だ。
「中部区って、区を遠ざかって職務を全うするんですね」
「原則として、自分の住んでいる地区には配属される事はないです。私たちシナーは日頃からアビスの被害を受けたところへと赴くことになります。そう言った惨事を見るとどうしても『CEQ』に悪い影響を与えてしまいます。そして、それがもし自分の知っている人、大切な人だった場合の影響はかなり大きいと思われますから」
確かに目の前で自分の知っている人がアビスの被害にあって、重症あるいは死んでしまっていたら、精神的影響は計り知れない。
現に愛理の容態を聞いて、途方に暮れていた凌駕だからこそ、その気持ちは痛いほど分かった。
「後の説明は、幹部の方から詳しく聞いてください」
中野は視線を凌駕から外すと、道路の方へと目をやる。つられるように凌駕も中野の視線の先を追うと、一台の黒い車がこちらへとやってきた。
車は止まると、後部の扉が自動的に開く。『入れ』と言う合図らしい。
「では、ここでお別れですね」
「はい、本当に色々とありがとうございました」
一週間もつきっきりで自分のお手伝いをしてくれたのだ。凌駕は感謝を注げるようにして、深々と頭を下げた。
「もし、迷ったときは、私の言葉を忘れないでください。いえ、私だけではありませんね。あなたの心に響いた言葉を忘れないようにしてください。それでは、また生きて会いましょう」
中野の言葉に凌駕は小声で「はい」と言い、車へと向かっていった。
開かれた扉に手を添え、ゆっくりと入っていく。
車内は、中野が乗っているのと同じで後部座席はU字形となっていた。
座席の右側に一人の女性が立っている。
黒髪ポニーテール。清廉な肌に、引き締まった体型。それがあってか、スーツが着こなされており、可憐で美しい。
女性は入ってきた凌駕の存在に気づくと、端末に向けていた視線をこちらへと向ける。
鋭い視線は、先程の容姿と相待って、この空間を支配していく。
「加賀美 凌駕だな。こっちへ来い」
「はい……」
緊張を交えつつ、言われた通り女性の向かい側の座席へと腰をかけた。
女性はその間に端末を操作する。座り終え、シートベルトを閉めたときには、車が動き始めた。手際の良さは一流だ。
張り詰めた空気に凌駕は居心地の悪さを感じていた。中野の時の気分とは雲泥の差だ。
「私の名前は『巳城 優(みしろ ゆう)』。中部区のシナーを統括している者の一人だ。先程の彼女から聞いているとは思うが、君にはこれから中部区のシナーとして職務を全うしてもらう。まだ、目的地までは時間がある。一つずつ丁寧に教えていくから、しっかりと聞いているように」
雰囲気とは裏腹に礼儀正しさや心遣いが窺えた。さすがは区を統括している者と言ったところだろうか。緊張が少し緩む。
「まずは、君の腕につけられた端末をもらう。そして、君には新しくこれをつけてもらう」
凌駕は言われた通り腕につけられた端末を外し、それを巳城へと渡した。代わりに巳城から別の端末を受け取る。見た目としては全く変わらなかった。
「これ、つけていいんですか?」
「かまわん。だが、つけるときは心しておいた方がいい」
余計な一言が加わったことで、少し不安になる。端末をつけるのに心しておくとはどう言う意味だろう。
ひとまず、端末を腕に取り付ける。両端にある磁器を近づけ、腕にはめる。
「ユーザー認証開始」
はめた瞬間に音声が流れる。同時にSCLとの連携が始まり、視界にも『ユーザー認証中』の文字が記載される。普段のものは手動で連携するのだが、自動で行えるとはかなりの利便性だ。
珍しげに端末を眺めていると不意に激痛が腕に走る。「イッ!」と軽く声を上げてしまい、目の前の巳城の口元が微かに緩んだ。
「ユーザー『加賀美 凌駕』確認。『SEQ』158、『CEQ』172、正常」
自分の名前、生力値を言われたところで端末が光り、インストールが始まる。
不意にSCLが起動する。ホロウウィンドウには、自分の顔写真とともに様々なプロフィールが流れていく。国に一括管理されているプロフィールから抽出してきたものだ。
「君には、これからその端末で生活してもらうことになる。預けてもらったこの機器はこちらで保管させてもらう。保管ではあるが、もう戻ってこないと思っておいたほうがいい。君の両親や知り合いとの連絡は全て遮断。連絡を取れる相手はシナーのみとなる」
巳城の言葉に凌駕は特に驚くことはなかった。シナーとなった妹二人からの連絡が今まで一度もなかったことから事情らしきものがあった気がした。だから驚くよりはモヤモヤが消えてスッキリしたと言った感じだった。
「それともう一つこれを君に渡す」
巳城は内ポケットを手で探るとあるものを取り出した。凌駕は物を見て一瞬背筋が凍る。
拳銃。正確には麻酔銃であり、弾の中に麻酔の仕込まれた針が入っている。
危険な日常と接している現代でさえ、銃は原則として所持が禁じられている。そのため、現物を間近で見ることはほとんどなかった。
差し出された銃を持つと、やや重く感じられた。物理的な重み以外のものを感じてしまったのだろうか。
「麻酔銃と言っても、一般のものよりもコンパクトに作られている。そのため、一度に仕込める段数は三弾と言ったところだ。加えて、麻酔銃とは言っても辺りどころが悪ければ、相手を死に至らせる危険がある。だからまだ銃を上手く扱えない君は、不必要に銃に頼ってはいけない。確実に相手を眠らせる距離あるいは、自分が死ぬ可能性がある時のみ、それに頼れ」
一般的にアビスに襲われた際、止むを得ず相手を殺してしまっても正当防衛とみなされ処罰を受けることはない。それは、シナーであっても変わらない。むしろ貴重な存在のシナーはある程度の状況下で優遇される。とはいえ、無闇に使うと言う行為は許されない。
巳城からの言葉を受け、改めて自分のいる立場の重みを知る。
本当に自分はシナーになったと思わされた気がした。同時に、自分の救世範囲が広がり、存在価値が上がったと高揚する気持ちもあった。
「では次に、これからの君の活動場所及び活動について説明をする。場所は中部区東エリア。その一部で現れる『アビス』の取締りだ。基本男女2名ずつ、計4名で取り締まってもらう。そのためグループとなった4人で一軒の家をルームシェアという形で過ごしてもらうことになるが、何か不満はあるか?」
『アビス』は如何に直ぐに対処できるかが鍵だ。その対抗策として、シナーを小グループで分割し、『アビス』の発生時に近いグループのところへ知らされ、対処という形が取られている。
四六時中『アビス』の発生する可能性があるため、できる限りグループがバラバラになる状態は避けたい。そこで取られた対策が『ルームシェア』だ。
男女に偏りがなく、お互いに監視できる最少人数として男女2名ずつ。だが、中には性格的に男や女がダメという人間も存在する。そう言ったものには特別な処置が取られる。
「いえ、特には」
昔は妹と一緒に暮らしていたし、愛理とも一緒にいた。クラスでは、男子との交流もしていたので、男女で生活することに不満はなかった。
「それはよかった。残り三人は一足先に生活を送っている。本当なら、四日前に全員で過ごす予定であったが、そっちでいろいろあったようだからな」
「……すみません……」
「まあ、いい。局として規則以外にも、ルームシェアにかけて個々のグループでの規則とやらも存在するから彼らに聞いておけ。我々の規則もそこで詳しく説明する。何せ物がないとわかりにくいだろうからな。ここでする説明は以上だ。最後に一つだけ私から君に伝えておく」
巳城は鋭い眼差しを凌駕の視線へと交じらせる。不意の行動に驚きはしたが、視線を背けることはしなかった。
「これから君の環境は大きく変化する。普段は見ないよう惨劇、酷い苦痛に襲われる時もあるだろう。それでも、常に自分を持て。己を見失わないよう心もて。人に頼るな。自分を救えるのは、自分だけだ。これらの言葉を胸ひめ、日々の職務を全うするように。私からは以上だ。しばし時間が空くが、それまでは楽にしておけ」
言うことを終えると、巳城は視線を避け、端末の画面へと移していった。
『自分を救えるのは、自分だけだ』。それを言った彼女は少し寂しそうな目をしていた。
きっとこれから、愛理の時と同じ経験を幾らかするのだろう。それでも、自分が本心からしたいことは変わっていない。
大丈夫だと、凌駕は自分に言い聞かせた。
楽にしておけと言われたが、あまり楽にできる状況ではなかった。
****
防衛省・中部区東エリア支部。
支部長である桐風 陽花(きりかぜ ようか)は、とある住民のプロファイルを幾らか見ていた。
ここ最近、数日おきに引き起こされる誘拐事件。街の至る所に設置されたカメラを覗くも、犯人はフードを被ることで素顔を隠し、外面を見えないようにしていたため決定的な証拠は掴めなかった。
今は捜査の方向を変え、被害者の共通点を探し、次に被害に遭う可能性のある人物を割り出そうとしていた。
「何か見つかったか?」
眺めていると、目の前に一人の男がやってくる。副支部長である狗飼 予絆(いぬかい よはん)だ。
「いや、さっぱり」
陽花は微笑を浮かべながら、両手を上げる。
「男女は関係ない。共通点があるとしたら、若い世代ってところかしら。とはいえ、これでは捜査を行うにあたっては抽象的すぎる。そっちは何かわかった?」
「俺の方もお前と同じ感じだ。あと、共通点があるとすれば、彼らの経歴でアビスの被害にあったことくらいか」
「それは当然のことなんじゃない? 今時、アビスの被害を受けていない方が珍しいくらいじゃないかしら?」
「まあ、それもそうだな。考えすぎか。それで、例の彼女はどうなったんだ?」
「白崎さんのこと?」
「ああ、あいつは重要なキーになりそうだからな。もし、記憶が戻ったのならの話だが」
「そうね。とはいえ、彼女もまだ困惑しているだろうから、今は気持ちを落ち着かせるために奈落取締局にいるわ。本当は普段の生活を送ってもらいたかったけど、シナーとなってしまった今は叶わないことだからね。定期的に連絡はとっているから安心して」
「そうか。いつになるのか分からないのを待つのは辛いが、辛抱するしかないか。それにしても、なぜ奴らは彼女だけを野放しにしたのだろうな」
「さあ、分からない。白崎さんは不要な人材だったか……記憶は消えたと言うよりも消された可能性が高いわね」
「そうなると思い出すのは、かなり難しくなりそうだな」
「ええ。希望があるくらいに思っておいて、捜査を続けましょう」
「そうだな。俺は監視カメラをもう少し詳しく調べてみる」
「お願い」
二人は少し話をしたところで、捜査の続きをすることにした。
陽花は視線を再びプロフィールの方へと向けていく。
もうこれ以上、被害を出すわけにはいかない。頭をフルに回転させ、プロフィールから読み取れる犯人の目的を考えることに注力した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます