第1-7話:失生

『アビス』という存在がある故、できる限り密集環境を避ける仕組みが取り続けられた。そうすることで、被害が広がらず、対処がしやすい。だから今は、デパートなどのショッピング関係の店は撤去され、ネット経由になっている。


 その一方で、密集環境でありながらもリフレッシュ環境でもある『レジャー施設』は規模を拡大することとなった。『関東水族館』もその影響で作られたものだった。


 凌駕は水中を漂う魚に視線を注ぎながら、中野の言葉を反芻していた。


『どんな結果になっても後悔しない。なぜなら、自分の本心からそれをやっているのだ』


 思えば、凌駕はどうだったか。病院で愛理の容態を知らされた時、『愛理を引き留めるべきだった』と後悔ばかりしていた気がした。今の自分はシナーとして、かなり落ちぶれた存在かもしれない。


 きっと、口では飛鳥井や雛鳥が『悪くない』と言っておきながら、心の底では『愛理を傷つけた悪い奴』と思っているのだろう。

 

 一度視線を魚から外し、自分と同じ魚に夢中になっている人たちを見渡した。また、あの名の知らない恩人がいてくれたらと願っていた。


 凌駕は中学時代にもアビス事件の被害にあっていた。


『レジャー施設』は『CEQ』改善のために残された施設であるが、稀に施設でアビスが発生する時がある。密集した環境で起こるアビスは、被害が広がるという点ともう一つ厄介な点がある。それが『アビスの連鎖』だ。

 

 アビスが出現したという事態に怯え、『CEQ』が低下することでその者自身もアビスになってしまう。これにより最初は一人だったアビスも気づけば複数人に広がっている可能性があるのだ。


 凌駕は両親と妹二人と遊びに行った時に、複数人のアビスによる被害を受けたのだ。


 家族で楽しんでいると不意にアビス出現の警告が館内に響き渡った。定められたルートで逃げようとしたが、進路を塞ぐようにアビスが現れ、前にいる人たちに襲いかかっていた。


 そうして、標的は加賀美家へと移っていった。


 凌駕は勇気を振り絞り前へと出たが、傷つく息子を両親が受け入れるはずもなく背中を掴まれ、後ろへと連れられた。


 だから標的は自ずと両親になり、傷つく姿を目の当たりにしていた。その様子をただじっと見ていた凌駕とは裏腹に、横にいた妹の二人は両親を守ろうとして『シナー』となり、アビスから両親を救ったのだ。


 自分だけがシナーとなることはできなかった。大切な人を前にして力を発揮できなかったのは、一つの理由があったのだと思った。

 凌駕は、幼少時代の記憶を失っていた。身元不明で、自分がどこで何をしていたのか分からず、加賀美家へと引き取られることとなった。つまり凌駕にとって義家族だった。


 だから実は、自分の中で大切だと思っていた両親の存在は、本心では赤の他人だと思っていたのかもしれない。


 妹二人はシナーとなり、今回のように防衛省への参入を余儀なくされた。両親はアビスにより受けた損傷を回復させるために二週間ほど面会禁止ということになった。


 そうして、家にただ一人残された凌駕は途方に暮れ、ここ『関東水族館』へとやってきたのだ。


 波打っている水を見ると何も考えず、無の感情でいることができた。心ここに在らずな状態で魚を見ていた凌駕に一人の女性が声をかけてくれた。


 それが名も知らない恩人だ。


 彼女は凌駕に寄り添って、悩みを聞いてくれた。あの時、なぜ悩みを語ったのかわからない。彼女が握った手の温もりが心地よかったからなのだろう。


 凌駕の話を聞いた恩人は、ある言葉をプレゼントしてくれた。


『誰かを大切に思うのに、間柄というものは関係ありません。君はまだ交流が足りないんです。多くの人に愛情を与えて、温もりをもらってください。人と出会うことを大切に、出会った人たちを大切にしてください。そうすれば、あなたの思いは晴れると思います』


 凌駕が救世部に入った理由の一つとして、この言葉は大きかった。

 世のため、人のために愛情を与え続けた結果、自分の思いは確かに晴れた。

 それこそ、なし得ることができなかったシナーという存在に今自分はなっているのだから。


 だが、今度は人を愛しすぎたが故の憎さに自分は追い込まれてしまっていた。

 あの人だったら、こんな時どんな言葉をかけてくれるのだろうか。


 水族館を回ってみたものの、気が晴れることはなかった。

 結局、恩人も現れることはなかった。


 ********


 行きとは違い、帰りは中野が運転をしていた。いつも自動操縦に頼ってしまっていると、いざ自分が運転しなければならない時に様にならない可能性がある。だから定期的に人為的に車を走らせているようだ。


 凌駕は助手席に座り、移りゆく景色を淡々と眺めていた。


 どん底に沈んだ気持ちで、これからシナーとしての勤めを果たすことはできるのだろうか。

 でも、一体どうすれば。考えても考えても、良い方法は思い浮かばなかった。


「相当困り果てている様子ですね」


 中野は虚空を見つめている凌駕に、思わず微笑んでしまっていた。


「結構、本気で悩んでいるんですけどね」


 凌駕は怒気をマジ合わせながら中野に言葉を返した。


「ごめんなさい。別に悪気があって微笑んでしまっているわけでは無いのですよ。ただ、悩んでいる人が大好きなので、気分が高揚してしまっているのかもしれませんね」


「中野さんって、見た目と違って意地悪ですよね。わざと悩ませること教えたり、悩んでる姿に微笑んだり」


「そうかもしれませんね。ですが、私は悩んでいる人はかっこいいと思ってます。悩むという行為は所謂『今の自分と向き合っている』という事です。


 自分の置かれた状態を把握し、その状態をどう覆すか、あるいはどう受け止めるか。それを考え続けるのは、かなり難易度の高いことなんです。


 大抵の場合は、考えることを諦めて他人のせいや過去のせいにしたりします。あいつが悪い、育ちが悪かったと。自分で変えられないもののせいにしても、状況は打破できないのに」


「……中野さんって説教好きですね」


「ふふっ、そうですね。きっと似たんだと思います。私を育ててくれた人に。でも、私は説教が悪いと思ってません、むしろ良いと思ってます。


 説教をすることで、今の自分にもそれを言い聞かすことができますから。加賀美さんは、説教お嫌いでしたか?」


「……いえ、多分俺も中野さんと同じです、怒られるのは嫌ですけどね」


「それに関しましては、私も同感です。話は戻りますが、まだ完治までに一週間あります。それまで、悩み続けてください。そうすれば、きっと悩みは吹き飛びます」


 中野の言葉に少し、気が緩んだ。

『出会った人全てが師』。名の知らない恩人でなくとも、自分を励ましてくれる人はたくさんいるのだと凌駕は思った。


「音楽でもつけましょうか。歌ではなく曲のみになりますが、気分を落ち着かせるにはかなり効果があると思います」


 中野はハンドル横の機器に手を伸ばし、パネルを押した。すると、穏やかなメロディーが流れ始める。 凌駕はそのメロディーを横耳に移りゆく景色を再び眺めていた。

 

 車は高速道路を走り続ける。平日だからかスムーズに車を走らせることができていた。

 やがて、自分たちの地域へとたどり着き、高速道路を降りる。


 いつもと変わらない見慣れた光景だが、なぜだか懐かしさを覚えてしまう。まだ、一日も経っていないというのに。


 それだけ、自分の悩んでいた時間が濃いものだったのだろう。


 高速道路を降り、少し行くと川辺が見えてきた。川辺では、繁っている草はらの部分を何やら探索している人たちの姿が見えた。


 何を探しているのだろうか。


「中野さん、あそこの川辺に行ってもらっていいですか?」


「えっ! わかりました」


 不意に吐く凌駕の言葉に中野は戸惑った。だが、すぐに状況を判断し、車の方向を川辺へと走らせていく。


 程なくして、川辺近くに着くと凌駕は車から外へと出た。


「私は車を邪魔にならない場所に止めてから、そちらに向かいます」


「わかりました」


 凌駕は中野の言葉に答えると、すぐに川辺の方へと足を向けた。


 草はらを掻き分けているのは、二人。男女だが、歳の差が離れているように見える。兄妹と言ったところだろう。


 ゆっくりと足を進ませ、彼らへと近づく。


「何をしてるんだ?」


 近い距離にいた女の子に声をかける。

 一生懸命探していた少女だが、声に引っ張られるように凌駕の方へと視線が行く。


「あの……えっと……」


「別に怪しいものではないよ。ただ、草はらをかき分けていたから気になっただけ。何か探し物か?」


「えっと……」


 知らない人に声をかけられて慌てている女の子を宥めるように喋った。


『怪しいものではない』なんて怪しい人が使いそうな常套句を口走ったのは失敗だった。

 ただ、それしか言葉が出てこなかったから仕方がない。


「すみません、うちの妹に何か用ですか?」


 少女が困っていると、こちらに少年がやってくる。やはり、兄妹だった。


「用っていうほどのことではないんですけど。草はらをかき分けてじっくりと見てたから、何か探し物をしているかと思って。何か役に立てたらなって」


「それは、ありがとうございます。でも、もう小一時間探してて、見つからなかったので、また買ってやろうと思います」


「いやだ!」


 半ば諦めている兄に妹は大きな声をあげて、否定した。


「仕方ないよ、千賀(チカ)。これだけ探してなかったんだ。それなら買ったほうがいい。そんなに高いものじゃなかったからさ」


「いやだ、いやだ。だって、あれ千賀が誕生日の時にお兄ちゃんが買ってくれたものだもん」


 妹は半泣きになりながら、諦めることを拒んでいる。


 物は単体で意味をなすのではなく、そのシチュエーションに合わせて価値が高まる。普通の物であっても、『誕生日に兄からもらった』というシチュエーションがつくことで、当事者にとって、そのものの価値は跳ね上がる。


「千賀……」


 兄の方も、そこまで自分のあげたプレゼントを大切にしてくれていて、嬉しい様子だった。


「俺も一緒に探しますよ」


「すみません、ありがとうございます」


「加賀美さん!」


 話のキリが良いところで中野がこちらへと向かってきた。


「えっと、この方は?」


「特に接点はないんですけど、何やら探し物をしていたみたいで。少し手伝ってもいいですか?」


「そういうことでしたか。もしよろしければ、私も手伝います」


「ありがとうございます。でも、本当によろしいんですか? その、腕が……」


 男の視線が凌駕の右腕へと移っていく。どうやら自分の体の状態を心配してくれて言えるようだ。


「ああ、これですか。大丈夫です。片方の腕さえあれば、草くらい掻き分けれます」


「……そうですか、本当にありがとうございます」


 男の子は凌駕と中野に深くお辞儀をした。

 二人はひとまず、失くした物、この一時間で探した場所、どの辺を遊んでいたのか聞いておく。そこから大方のありそうな場所を検討した。


 失くし物はネックレス。細身であるため、注意していないと見逃す可能性がある。


 片手でも草をかき分ける事はできるが、両手でかき分けた場合と比べて、若干見える範囲は減る。それはかき分ける量でカバーするしかない。


 探している最中、凌駕はふと一年前のことを思い出していた。

 救世部の初仕事も『物探し』だった。

 

 当時、依頼なんて全くなく、街を歩いて助けられそうなことがないかを探っていた。そうして見つけたのが、公園での失くし物探しだった。


 ここで見つけることができれば、これからの依頼の宣伝になるということで奮発して探索に励んだのだ。


 公園の敷地は広い上に掃除用ロボットのゴミ箱に入れられている可能性があった。懸命に探したが、日が暮れても見つける事はできなかった。


 子供は門限のため先に帰ったが、愛理はずっと探し続けていた。人を助けることが自分の信念であることを告げて、夜闇の中、探し続けた。

 

 その姿に凌駕は惹かれて、仮登録だった救世部に本登録を決めたのだ。

 見つけても子供の家を知らず届けられないのに、それでも一生懸命探している大馬鹿に魅了されたんだ。自分もこの人みたいになりたいって。


 探している間は、自分の中のモヤモヤが消えたような感覚だった。

 代わりに救世部の思い出に穏やかな気持ちにさせられていた。一年ほどやってきたためか、こうしている時が一番自分らしかった。


 探し物をしながら、自分の心の中が少しずつ開いていく。

 自分が本心からやりたいと思う事、それはきっと、ずっと変わっていない。


「あった!!」


 草をかき分けていると、ふとそんな声が聞こえてきた。

 大きな声に、思い出していた記憶が全て吹き飛んでいく。視線は無意識に声のする方へと動いていた。


 視線の先には、ネックレスを手にぶら下げた女の子の姿があった。見つけたことがとても嬉しかったのか、その場でステップを踏んでいた。

 そんな彼女を、凌駕は瞳を大きくして見つめた。

 

「見つかってよかったですね」


 近くにいた中野が凌駕の元へとやってくる。中野の言葉に耳が傾くも反応する事はできなかった。少しの間、自分自身の内側に意識を向ける時間が欲しかった。


「加賀美さん?」


 反応がないことが分かり、中野は凌駕の方を覗く。凌駕は少し経ってから中野の方に視線を合わせていった。そうして、口を開く。


「中野さん、この一週間。やりたいことが見つかりました。だから、少しお願いしてもいいですか?」


 中野は鮮麗な視線を向ける凌駕に、目を大きくした。


「どうやら、何か見つけたみたいですね。いいですよ、この一週間好きに使ってください」


 微笑を浮かべながら了承をする中野に、凌駕もまた微笑を浮かべるのだった。


 茜色に光る夕日に、川辺に吹く春風を心地よく感じながら、未来に思いを馳せた。

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