第1-5話:失生

 凌駕はゆっくり目蓋を開ける。

 目の前に見える白の世界。それが天井だと気付くのに少し時間がかかった。

 ぼんやりとした意識の中、状態を起こす。


 その瞬間、右腕に激痛が走った。見るとギブスで固定されている。どうやら、先の戦いで重傷を負ってしまったようだ。これでは、救世活動も様になりそうにない。


 辺りを見渡すと目の前にはスクリーン、右側に窓、左側には天井と同じ白色の壁が見られた。

 日はすっかり沈んでしまっており、春の涼しい風が中へと吹き込む。


 スクリーンには、現在の自分の心拍数、及び『基本感情指数』と『現在感情指数』が見られ、さらに『正常』という文字が記載されていた。


 基本感情指数と現在感情指数は『アビス』を防ぐために開発された指標だ。

 

 基本感情指数『SEQ(Standart Emotionlal Quotient)』は普段、無意識に湧き上がる感情指数を表す。この数値の高低により、その人が『自己肯定型人間』や『自己否定型人間』か分析することが出来る。


 現在感情指数『CEQ(Current Emotional Quotient)』は文字通り、現在の自己の感情指数を表す。外界からの影響を受け、湧き上がった正の感情や負の感情が反映される。


 この『CEQ』が『SEQ』を大きく下回ったとき、『アビス』が引き起こされる。そのため日本人全員は、日々自分の感情指数を確認、ケアする必要がある。


『正常』というのは、アビスが起こりうる確率が極めて少ないという証だ。とは言っても、『アビス』が引き起こされる数値は個人によって異なるため、統計的な数字でしかない。



 だから『どの値までは大丈夫なのか』と自分の健康を自分が一番理解しておかなければならない。


 スクリーンに映された感情指数をみると、凌駕の頭の中で連想が始まる。

 ぼやけた意識は徐々に鮮明になっていく。自分が意識を失う前、何があったのか、頭の中でイメージが湧き上がってくる。


 ハッと息を吸う。同時に、扉の開く音が耳の中へと入ってきた。音のした方へと思わず視線が動いてしまう。


 少し経つと一人の女性がこちらへとやってくる。金髪のロングヘアの派手さとは裏腹な穏やかな目つきが印象的な女性だった。


「意識が戻ったようですね」


 彼女は安堵したような口調で凌駕に言う。


「はい、おかげさまで。えっと、あなたが助けてくれたんですか?」


 自分が倒れる直前、駆けつけてくれた人。なんとなくではあるが、それが彼女だと思った。


「いいえ。私は防衛省・公安局の者で、あなたの学校に行ったのは防衛省・奈落(アビス)取締局の者です」


「そうだったんですね」


「それにしても、良かったです。全員命に別状はなさそうで」


 彼女が発した言葉に凌駕は瞳を疼かせる。

 あれだけの惨事があったにも関わらず、誰一人として死にはしなかった。その事実に安堵し、口元が綻んだ。

 アビスを患った彼女も、首を絞められていた彼も、そして愛理も。無事でいてくれて何よりだ。


「愛理……いや、えっと、柊さんはどこにいますか?」


 凌駕は愛理の居場所を尋ねた。もし、自分と同じく意識を取り戻しているのならば、すぐにでも会いたい。会って、『しぶとく生きた二人』として宥めようかと思った。

 

「柊 愛理さんですか……それは……」


 目の前にいる彼女の表情が少し曇るのを感じた。同時に、自分の背筋が凍っていく感覚に襲われる。


「愛理はまだ、目覚めてないですか?」


「……あなたの言う通り、柊さんはまだ目覚めてません。だから、もし会おうとしても待って貰わなければいけません。それと……」


 話してした口は一度籠る。言うか言うまいか迷っている様子だ。


 別に死んだわけではない。先ほど、全員生きているのだと彼女の口から言ったのだ。だから不安になる必要はない。なのに、凌駕の心臓の鼓動は高鳴っていた。


「柊さんなのですが、きっと目を覚まされても、『あなたのことを覚えていない』可能性が高いと思われます」


「えっ……」


 高鳴る鼓動はより一層速くなる。目の前に写っていた『CEQ』が少しずつ下がっていく。

 ひとまず、冷静に。深呼吸を試みるが、うまく呼吸ができない。


「俺のことを覚えていないって、どう言うことですか?」


「先のアビスに襲われた時に、ひどく頭を打ち付けられたようです。命に別状はないと言いましたが、柊さんはかなり危ない状態です。良くて『記憶喪失』、最悪の場合『植物状態』もありうると医師はおっしゃっていました」


「……」


 血の気が低く感覚に襲われる。表情を読み取られないように顔を俯かせる。


 どうあがいても、凌駕と愛理を結ぶ縁は断ち切られてしまう。行くべきではなかった。あの時、異変を感じた愛理を止めて、話を聞くべきだった。


「俺の怪我はいつくらいに治りそうですか?」


「加賀美さんの腕はただの打撲です。全治一週間と言ったところだと思います」


「そうですか……」


 自分は打撲で、愛理は脳の損傷。二人で協力したのに、割りに合わない被害の大きさだ。もう少し愛理の痛みを分けて欲しかった。


 明日からの救世活動はどうするか。コミュニティ勧誘は誰がやるのか。いろいろなことが頭を駆け巡る。


「アビス相手に右腕打撲で終えるのは、かなり運が良かったと思います」


 凌駕を励まそうとした女性の言葉は凌駕にとっては怒りを覚えるものだった。

 自分の親友が危機的状況だと言うのに、運が良いだなんて言えるはずもなかった。


「……加賀美さん、左手を出してもらっていいですか?」


 ほんの少し女性の声音が変わった気がした。その微妙な違いに気を取られ、思わず顔を彼女に向ける。


 先ほどの穏やかな目は僅かながら真剣な表情に変わる。その表情に魅了されたのか、凌駕は無意識に手を彼女の方へと向けた。


「自分の意識を左手に向けてください」


 言われた通り、凌駕は自分の左手に意識を集中させる。自分の中にある雑念を振り払うべく大きく息を吐いた。


 息を吐くことでリラックス状態となり、すんなりと左手に意識が向いた。


 刹那、左手の掌から白色の光が漏れていく。

 凌駕は白色の光に心当たりがあった。自分が倒れる前、少女に首を絞められた時に発した光だ。


「やはり、加賀美さんは『シナー』となったのですね」


『シナー(Shiner)』。正の感情により発生する『生力』を操ることのできる人間を指し、アビスと対等に対抗することができる唯一の人間。


 世に光(Shine)をもたらす存在であるがために付けられた名前だ。

 

「きっと、加賀美さんが打撲だけで済んだのは、加賀美さんの中の正の感情が『生粒子』を活性化させたことで、体に治癒をもたらしたからなんでしょう」


 言われてみればそうだった。アビス相手に、頭も殴られ、首も締められた。それが打撲だけで済んでいるのは確かに変だ。


「その……『シナー』になったってことは、俺はこれからどうなるんですか?」


 シナーは、この世界に光をもたらす存在。アビスになるのは簡単であるが、シナーになるのはかなりの労力、思いを必要とする。


 そのためシナーとなった人間は貴重な人財とされている。だから希少種であるはずのシナーが、元の学校生活を送れるはずはない。


「加賀美さんには、怪我が治り次第、私たちと同じ防衛省に入ってもらいます。残念ながら、今まで通りの生活を送ることはできないと思っておいた方がいいです」


「そうですか……」


 なら実質、凌駕も愛理も救世部には戻ることはできない。お互いにとって、かけがえのなかった場所は突如と終わりを迎える形となった。

 

「軽症であるため、全治一週間と申しましたが、退院は明日になります。それからは私たちの部署の一室で過ごしてもらうことになります。両親には、こちらからお電話させていただきます」


「わかりました」


 女性の連絡に凌駕は沈んだ表情で答える。女性は、目の前にいる少年に何か言葉をかけたほうがいいかと思考を巡らせた。


「明日から一週間、加賀美さんはある種、暇になります。せっかくですから、気晴らしにどこかに行きませんか。私が連れて行きますから」


「……」


 女性の言葉に耳を傾けるも、凌駕は答えることはしなかった。行きたい場所なんてどこにもないし、行ったとしても気が晴れるとは到底思えなかったからだ。


「では、また明日迎えに参ります。その時までに何か思いついたら、おっしゃってください。

 それと、最後に一つだけ。


 最初の質問に答え忘れておりましたが、愛理さんはこの階の右突き当たりの部屋にいます。眠っているとは思いますが、顔だけ見るのも悪くないと思います。では、私はこれで」


 今の彼には何を言っても、無駄に終わってしまう。女性は伝えるべきことを伝えると部屋を出て行った。


 右突き当たりの部屋。女性の言葉から聞いた愛理の居場所。


 行こうと思ったが、思うように体は動かなかった。怪我をしたのは、右腕だけのはずなのに。足が動かないのはなんだか変だ。


 そのうち愛理の元に行くと言う気力も無くなってしまった。


 代わりに思考は先ほどの行きたい場所へと移っていく。とは言え、行きたい場所なんてあるわけがないのだが。


 そう思ってはいたが、ある一つの場所が脳に浮かび上がる。


 以前にも今の自分と同じような気持ちを抱いていた時期があった。無力感に襲われながら放浪した際に辿り着いた場所。そこで、ある人と出会って救われたんだった。


「あそこに行けば、何か変わるかな」


 少しだけ光が見えた気がしたが、なぜだかあまり期待はできそうにないでいた。


 結局その日は、愛理の部屋に行くことはなかった。

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