第1-3話:失生

「付き合うって、これか……」


 凌駕はそんな小言を言いながら絵の具を使って、木に色を塗っていた。

 木で作られた看板。去年愛理が『コミュニティ勧誘』の時に作ったものだ。


 今年も同じものを使うのは芸がないと言うことで、凌駕は書かれた字を消すために看板の色と同色を使って塗っている。


 その間に、愛理は看板に書く内容をひたすら紙に書いて、そして消していた。


「もうそろそろ、こっちは終わりそうだぞ」


「ありがとう。こっちはあと数時間はかかるかも」


「どんだけかかるんだよ……」


 必死に悩んでいる愛理を横目に凌駕は目の前の看板に意識を注ぐ。


 去年の看板は、雑に書かれていて何が言いたかったのか分からなかった。でも、一生懸命書いたのだけは分かるし、これと愛理の呼びかけに惹かれていったのだ。


 我ながら単純な男だと凌駕はひとりでに優しく笑みを浮かべる。


「去年のは、華がなかったから凌駕みたいな単純な子しか入らなかったわけだし」


「単純とか言うなよ。もうちょっと、メンバーをいたわってくれ」


 自分で思う分には構わなかったが、人に言われるとなんだか腹が立つ。


「ごめん、ごめん。じゃあ、純粋で良い子」


「それなら、許す」


「ははは、意外とチョロいね。でも、やっぱり華がないのは確かなんだよね。メンバーを取り入れるために何をするべきか……偽造?」


「救世部が、偽造なんておっかない言葉使うなよ」


 このままでは、拉致があかなさそうだ。

 凌駕は看板をおいて愛理の方へと歩いていく。


 愛理が対峙している紙を覗き込むと、多大なる量の文が並べられていた。


 書かれた情報量の多さに、ぎこちなく微笑んでしまう。これはもしかすると、せっかく消した看板の内容と同じになるかもしれない。

 

 でも、これはこれでいいとは思う。愛理らしいと言えば、愛理らしいのだから。


「本当はまだ言いたいこといっぱいあるんだけど、どこに書こうかな」


「まだ書くつもりなのかよ。まとめられるところはまとめた方が良さそうだぞ」


 凌駕は愛理の横に腰をかけ、書かれた内容を眺め始めていった。


 救世部の理念や業務内容、福利厚生が書かれている。もはや企業だ。帰り道に話していた救世部五箇条も案の定入っている。とはいえ、四つはまだ決まっていないため実質一箇条だ。


「もうちょっと、コンパクトにした方が良いんじゃないか。最悪、理念だけでも」


「でも、あまり私たちについて伝えられてない気がするのよね。この一年色々あったし」


「じゃあ、去年やったことと今年やりたいことを書くのは?」


「ああ、それ良いかも。流石は凌駕。良いこと言うね」


 そうと決まれば。愛理は去年やってきたことを事細かに書いていく。


 だから、それだと情報過多になるんだよな。凌駕は呆れながらも微笑ましく見つめていた。


「それで、凌駕は今年何やりたい?」


 愛理は目を光らせながら凌駕の方を覗く。


「今年か……」


 凌駕は一度深く考える。やりたいことと言われてもいまいちピンとくるものはないが。


「俺は、もっとたくさんの人と出会えればいいさ」


「なるほど、それが凌駕の理念なんだもんね」


「理念って言うほど大層なものではないけどな」


 それでも、『人と出会うことを大切に』は凌駕の中でかけがえのないものだった。落ち込んでいた自分に名前の知らない恩人がかけてくれた言葉。それがあったからこそ、今こうして明るく暮らせている。


「そうなると、区を超えての救世部活動とか」


「さすがに、移動だけで活動時間が終わるんじゃないか?」


「夏休みとか、長期休暇を利用すればうまくできると思うんだよね」


「確かに、それなら良いかもしれないな。でも、問題はどう依頼を受理するかだな」


「そこはなんとかなるでしょ。創立当初を思い出してみなさいよ。あの時は全く依頼なかったけど、今は依頼をたくさんもらえているんだから。ふふふっ、まさか救世部が全国デビューなんて夢のようね」


 愛理は全国で活躍する自分を思い浮かべているのか、うっすら笑いを浮かべながらぼけっとしている。お花畑に囲まれているかのような雰囲気だった。


「そういえば、愛理はどうなんだ? 今年やりたいこと」


 自分だけ言って終わりなんてことはさせない。きちんと愛理の目的も聞いておかなければ。お花畑に囲まれていた愛理は我に返り、ふと考え始める。


「私……私はそうだな……まずは、救世部の旧メンバー、凌駕のみだけど。それから新メンバー、来るか分からないけど。その人たちと楽しく過ごしたいかな」


「それには俺も賛成だな」


「そっか。よかった、私だけじゃなくて」


「居心地良いからな。ずっと活動続けてたいくらいさ」


「高校卒業しても、続けるって?」


「愛理がその気ならな」


「そうだね……ふふっ、きっとその気になっていると思う。あ、じゃあさ……」


 愛理は不意に体をもじもじさせる。何か言いたげだが、言おうか言うまいか迷っている様子だ。


「どうしたんだ?」


「いや、そのね……さっき、『まず』ってつけたじゃん。実はもう一つやりたことがあってね」


「ああ、そうだったな。それで」


「そのね……これは私のわがままなんだけど、もしかすると凌駕を傷つけちゃうかもしれないし」


 愛理の前向きさが嘘のように言うのをためらっている。いつもなら、もっと突発的に言うはずなのに。帰路の件と言い、ちょっとおかしな様子だ。


「今まで散々わがままに付き合ってきたんだから、別に何言われても気にしないと思うけど」


 ひとまず、愛理の言葉を誘うように仕向けてみる。


「そう……それじゃあ、私ね……」


 なんだか、雰囲気がいつもと違うような。よほど言いにくいことなのか、後ろめいた異様な口調で語り始める。


 急に色っぽくなる愛理と窓から差し込む夕日がマッチして、考えていなかった事が脳裏に湧き上がってくるのを感じた。こちらに向ける愛理の瞳がまぶしい。


「私ね……凌駕に……あ……っ!」


 刹那、潤っていた愛理の瞳がとっさに乾くのを感じた。言葉が切れ、愛理の視線は凌駕を大きくはずれていく。


「愛理……」


 凌駕は心配そうに見つめる。表情がこわばっているように感じた。こんな表情の彼女を見た記憶はなかった。


「まずい……」


 愛理は、突如として席を立つ。何を焦っているのか、椅子を倒す勢いで立ち上がると、扉の方へと走っていった。


 何が起こったのか分からず、凌駕の動作が数秒遅れる。だが、すぐに我に返ると「愛理!」と叫び、勢いよく椅子から立ち上がり愛理を追いかけた。


 素早く廊下へ出ると、階段を上がる愛理が視界に入る。


 一体何が起こっているのか? 

 それを考えるのは、後。今はひとまず、愛理を追いかけることに意識を向ける。


 凌駕は勢いよく階段を駆け上がり、愛理との距離を詰めていく。愛理は走ることに必死で、追いかける凌駕のこと気にかける暇は全くない様子だ。


 コミュニティ活動時間も終わりに近い。そろそろ全生徒が下校をする時間。だからか誰一人会うことなく階段を駆け上がる。


 最上階に向かう階段を駆け上がったところで、愛理は不意に手すりに足を引っかけ、壁に取り付けられた、はしごに飛び乗った。


 凌駕は急な愛理の行動に呆気にとられる。

 はしごは屋上に行くためのもの。普通の場合、屋上に行くには職員室にある鍵を使い、扉から入る。


 だが、別の手段として、最上階の階段に設置されたはしごを使う場合がある。


 このはしごは、生徒に悪用されないように高い位置に設置されているため掴むのは困難である。だが、それをまさか手すりをジャンプ台にして掴もうとは思わなかった。


 凌駕は呆気にとられ、スピードを落としてしまう。一旦後ろに下がり、愛理と同じように手すりを助走代わりにしてはしごに飛び乗った。


 なんとか一番下の段を掴むことができたところで全身を使いはしごを登る。腹部が激痛に襲われるが、今は気にしている暇はない。


 体制を安定に保てたところで一度見上げてみる。そこに愛理の姿はなかった。代わりに、はしごの終わりが見える。屋上までの距離はあまりないようだ。


 はしごを伝うと、すぐに屋上にある戸建てへとたどり着いた。


 風がこちらへと押し寄せてくる。どうやら、この戸建ては扉がなく、開放式になっているようだ。その開放部に愛理の姿があった。


「愛理、急に、どうし……たんだ?」


 先ほど全力で走ったことにより、呼吸が乱れる。少しゆっくりとした歩調で愛理の方へと歩いていく。

 

 その段階でふと、視線は愛理が見ているであろう屋上の方へと移っていった。同時に、放送を知らせる合図が屋上を含む校内全体に流れていく。


「緊急速報、緊急速報。『生力負荷領域』を確認。『アビス』出現の可能性あり。学校の生徒は直ちに、校外へと出てください。繰り返します」


 吹く風がより一層強まったように感じられる。実際はそうではないが、そう思えるほどの強い衝撃を受けたのだ。


 体が震えているように感じるが、それは腕に取り付けられた端末が振動しているからだろう。


 視界に現れた『危険』と書かれた文字。加えて、『アビス発生場所』と『自分のいる場所』を映し出した地図が流れる。


 二つのポイントは見事に重なっていた。


 凌駕はメッセージと文字を削除し、目の前に映る光景に目を向けた。


 視界に写るのは、二人の男女。一人はまるで魂を抜かれたかのように虚ろな目をした少女。

 

 だが、身体ははっきりと意識を持っているようでもう一人の少年の首を閉めていた。


 少年は頭から血を流し、手や足は脱力するように垂れ下がっている。


 一瞬で、血の気が引くような感覚に凌駕は襲われた。目で見た情報。耳で聞いた情報。疑うこともなくはっきりと自分の状況を理解する。


 自分は今、魂を失くした動く屍『アビス』と対峙してしまっていると。

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