第1-2話:失生

「痛って……まだ腹がうねりをあげてやがる」


 救世活動を終え、学校に向けての帰路を歩いていた二人。

 愛理から受けた肘打ちの痛みが和らぐはずもなく、凌駕は腹を押さえ続けている。


「ごめん、ごめん。まさか、あそこに凌駕がいるとは思わなかったんだ」


「信頼が薄すぎないかね」


「そんなことないよ。ただ、あんな状態だと他に気を回している余裕なかったというかさ」


「それは……一理あるかもしれないな」


 もし自分が数メートルの高さから落ちたとしたら、この状況をどう脱するか以外に気がまわらなさそうだ。


「せめて、声をかけるべきだったかもな」


「連携不足だったね。一年一緒にいても、お互いのことは分からなかったか」


「これからまた知っていけば良いさ。一年で分からないくらい人として濃いって事だろ」


「嬉しいこと言うね。そうだね。私も凌駕について分からないことたくさんあるからな。例えば、過去のこととか」


「それは、俺自身が知らないから」


 凌駕は小学生時代以前の記憶を持っていない。なぜそうなってしまったのかは聞かされていないが、何か事故に巻き込まれたのは確かなようだ。


「私だけ過去のことたくさんしゃべったのに、凌駕については秘密が多いからな-。ずるい」


「悪かったな。思い出したら、すぐに話すよ。きっかけさえあれば、思い出すかもしれないしな」


「早く思い出すと良いね」


「……そうだな」


 すると、愛理の足が止まった。凌駕は「どうした?」と言おうとしたが、愛理が慌てた様子で空中に『C』の文字を書いたことから何となく察しがついた。


 現在の携帯端末の役目を担っているのは自分たちの目に取り付けられたコンタクトレンズだ。


 SCL(Smart Contact Lens)は『C(Call)』の文字を空中に描くことで起動する。


 愛理は目を光らせながら、画面を開いた。メッセージボックスに一件のメールが入っており、内容を開く。内容を確認したところで表情はすぐに儚げなものへと変わった。


「何だった?」


「ただの荷物配達完了の通知」


「へー、荷物って?」


「ああ、それはね……っ!」


 愛理はしゃべろうとした自分の口を勢いよくつぐむ。それからゆっくりと口を開けていく。


「秘密……」


「さっき、秘密はずるいとか言ってなかったか?」


「女の子には秘密の一つや二つくらいあるのよ。それにこれでトントン、いや、それでもまだ凌駕の秘密の方が多いけど」


「それを言われちゃ、返す言葉がねえな。でも、まだ連絡来ないのか」


「えっ……あ……うん。あれから一ヶ月音沙汰なし」


 愛理は中学三年の時に、ここ関東区に引っ越してきた。それまでは中部区にいたらしく、そこで大親友と呼べる女の子といつも一緒に遊んでいたようだ。


 その子とは、ここに引っ越してきてからも連絡を取り合っており、凌駕もホロウウィンドウを見ながら笑みを浮かべている愛理の姿をよく見ていた。


 だが、一ヶ月前を境に親友からの連絡が一切途絶え、こちらから連絡をかけても全く返事がなかった。


「機器が急に破損して、新しいものに変えたは良いけど、連絡票消えたとか」


「でも、私の番号知っているから。それで電話かけてくれると思う」


「じゃあ、機器の調子が悪くて修理中とか」


「一ヶ月も?」


「……それはないな」


 技術革新が進んでいるこの時代に、修理に一ヶ月かかるなんて思えない。なんなら、故障が起こるのも極稀だ。


「じゃあ……」


 言い訳のような仮説を立てていると、不意に遠くからサイレンの音が聞こえてくる。

 

「事故に巻き込まれたのかな……」


 そのサイレンに流されるように愛理は口ずさむ。彼女を傷つけないために必死に作ろうとした壁を一瞬で取り除かれたような気分だった。


 2032年の光る雪降る聖夜『フォトン・クリスマス』を境に、現れるようになった『アビス』と呼ばれる人間の存在。それによって、引き起こされる事件は後を絶たない。


人口は当時の数十分の一ほどまでに減少。周囲を巻き込むその病は今もなお、強く恐れられている。


 その『アビス』の影響を愛理の親友も受けてしまっている可能性が高いと言うこと。決して拭いきれるような予想ではない。一ヶ月も音沙汰がないと言うことが何よりの証拠だろう。


「今週末、家に行ってみたらどうだ? 場所は分かるんだろ?」


「う、うん。前と変わっていないとは思うから。でも……」


 愛理はその後の言葉を言わずに、口をつぐむ。凌駕は言おうとしていることを少し察する。


 もし、親友が予想通り事故に巻き込まれていたとしたら。その事実を目の当たりにしたとき自分はどうなってしまうのか。それを考えるのが怖いのだろう。


「良ければ、俺も行くけど?」


「えっ……」


「いや、こんな状態の愛理を一人で行かせるのはさすがに酷な気がするから。せめて、誰か一人そばにいた方が良いかなって」


 親友のことを凌駕はよく知らない。事件が起きていたとしても凌駕には何もできない。けれど、今目の前にいる彼女に対して何かはできると思う。そういうわけで発した言葉。

 

 愛理は凌駕の言葉に呆然とした表情を向ける。

 そして、段々と表情はほころび始めていく。


「ふっ。はっはっはっは、ははは」


「結構真面目に言った言葉なんだけどな」


「いやいや、そう言う意味で笑ったわけじゃないよ。くよくよするなんて、私らしくないね。『どんな結果になっても最後までやり抜く』それが、救世部五箇条の一つ」


「いつの間にそんなんできたんだ」


「今私が早急に考えた。まだあと四つは決まってない」


「そんな無茶苦茶な。でも、『どんな結果になっても最後までやり抜く』か。いいかも」


「でしょ。結果は変えられない。だから結果を受け止める力を身につけるべしってね。くよくよせずに週末に行く。凌駕も付いてきてくれる?」


「提案した身だからな」


「ありがとう。そうと決まれば、まずは明日の勧誘だね。頑張らなくちゃ」


「そういえば、明日からの依頼は、俺一人か。この状態で大丈夫か」


 打撃の痛みは後からやってくるパターンがある。もし、そうなれば明日の自分はうまく動けるのだろうか。少し不安が募る。


「がんばれ、がんばれ。私はそばにいてやれないけど」


「そこは、せめてそばにいて欲しかったな」


「勧誘があるからねー。ドンマイ」


「……まあ、これで人員が補充できるのならば、頑張るしかないか」


「おうおう。がんばれ、がんばれ」


「お前もだぞ」


「そうだ!」


 愛理は何かをひらめいたのか、表情を輝かせる。


「まだ、時間はあるよね?」


「今日は早く終わったからな」


「じゃあ、ちょっと付き合って欲しいことがあるんだけど良いかな?」


「いいけど」


「よしっ! ありがとう、凌駕」


 話が決まったところで愛理は早歩きで帰路を歩き始める。そうして、またいつも通り、明るい夕日に照らされながら帰路を歩いて行った。


 その最中、愛理は小声で『ありがとう』ともう一度彼に伝えた。

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