第69話
「信用ならんな」
タウンガイドに載っていた二流店。
ダッバワラーの髭亭の主である太鼓腹の主人は、ライズの差し出した紹介状を一通り眺めると、いかにも胡散臭そうに突き返してきた。
「……はぁ?」
と、思わず眉が上がる。疑われる理由も思いつかず、自信満々に差し出しただけに、困惑も深い。
「まぁ、そんな事だろうと思いましたけど」
「ライズさんっすからね」
「上手くいく事の方が珍しいのである」
「やかましいわ!」
さも当たり前のように言ってくる三人に吠えつつも。
「どういう事だよ! この紹介状のどこが不満だってんだ!」
身を乗り出し、突き返された封筒でぺしぺしとカウンターを叩きながら声を荒げる。と言っても、本気で怒っているわけではない。悔しいが、キッシュの言う通り物事が思い通りにいかないのは慣れっこである。かといって、はいそうですかと引き下がるわけにもいかないので、とりあえず勢いに任せて興奮した振りなどをしてみている。
紹介状の中身は確認してある。おかしな事は書いていない。ライズが勇者の力に目覚めてライバーホルンに伝わる伝説のバケモノを倒したという嘘みたいな本当の話は、嘘くさいのでハンナもあえて伏せている。
その代わりに、ライズに纏わる噂は全て根も葉もなく、実直で有能なお人よしの冒険者であると、読んだこっちが恥ずかしくなるくらいには普通に褒められていた。
「黒瓜亭のハンナなら俺も知ってる。相手があんたでなけりゃ二つ返事で信じたろうさ」
カウンターの向こうで深く椅子に腰かけながら、冷ややかな目で店主が見上げて来る。
(……つまり、俺の悪名はここまで届いてるって事か)
その可能性を考えなかったわけではないが、まさか正式な紹介状を持参しても疑われる程とは思っていなかった。
「あんたの噂は聞いてるぜ。百人斬りのライズさんよ。大方、ハンナも手籠めにして唆したんだろ。ありゃイイ女だが、人の良すぎるきらいがある。昔っから、あんたみたいな冴えない雰囲気のダメ冒険者に弱いんだよなぁ」
しみじみ言うと、親父は懐かしむように遠くを眺めて長い顎髭を撫でた。
ライズは茫然として大口を開けるだけだが。
「……ひゃ、百人斬り?」
「よかったじゃないっすかライズさん、ヒモのライズよりはかっこいいっすよ!」
「ラビーニャ、どうしてライズは百人斬りなのであるか? 自分の事を好きな女の人達の告白を曖昧にしたまま街を出てきた事となにか関係があるのであるか?」
「ライズがいない時に教えて差し上げますわ。ぷっ、くふふふふ――」
ペコは励ますように親指を立て、キッシュは無邪気に尋ね、ラビーニャはひたすらに邪悪な笑みを噛み殺している。
「この世界に俺の味方はいねぇのか?」
突っ込む気も失せて呻くが。
「くふ、ふふふふ、えぇ。ライズがどんな人間かは、わたくし達がよく分かっていますわ」
「そうっすよ! 自分はどんな時だってライズさんの味方っす!」
「吾輩も! どんな時もは無理であるが、大体はいつも味方である!」
「ありがとな。おかげで余計に疑われたよ」
拗ねた顔で肩をすくめる。
ラビーニャに関しては間違いなくわざとだろうが。三人が庇うせいで、親父はほれ見た事かと眉を寄せている。
(あいつらも悪気はなかったんだろうがな)
どうしたもんかと頭を掻く。
あいつらとは、元雪月花の三人である。
人食い森の王を倒したい際、シフリル達が断固としてライズ達の手柄を主張したのが良くなかった。彼女らの心境を考えれば、命を救って貰った上に手柄まで横取り出来ないというのは理解出来るが、はたから見れば悪い噂の裏付けでしかない。
ライズは後からのこのこやってきて、白蛇亭の冒険者達が命を賭して立てた手柄を、シフリル達の惚れた弱みに付け込んで掠め取ろうとした極悪人という事になっていた。
なんだかなぁとは思いつつ、シフリル達とは和解したし、今は新たな仲間と楽しくやっている。古巣のライバーホルンを離れて、ライズとしては心機一転のつもりだったのだが。
「まぁ、モテる男の勲章とでも思うしかありませんわね。あの子達にも、借金を肩代わりして貰いましたし、わたくしは気にしませんわ」
流石に可哀想だと思ったのか、慰めるような事を言ってくる。
「ラビーニャ……」
見た目だけは美しい女神官を半眼で見返す。
「調子の良い事言っても小遣いはやらねぇからな」
「ケチ」
愛想笑いを引っ込めてラビーニャが言った。
「うっせ。無い袖は振れねぇんだよ」
割と本気で金がない。
ここで仕事にありつけなければ、明日の食事も怪しい程だ。
どのみちラビーニャも本気で小遣いをねだるつもりはなかったのだろう。適当に肩をすくめて言ってきた。
「仕方ありませんわね。ここはわたくしがどうにかしますわ」
気楽に言うと、ライズを押しのけて前に出る。
「どうにかって、どうすんだよ」
「まぁ見ていなさいな」
軽く手を振って店主と対峙する。
「女が相手だって答えは変わらんよ」
特に警戒するでもなく、人生経験の浅い小娘を侮るような目で店主が言う。
「そうかしら?」
ねっとりと、蜂蜜のような声を出すと、ラビーニャは勿体ぶった笑みを浮かべてカウンターに身を乗り出した。意味もなく焦らすように視線を投げつつ、窮屈そうに水着のような上着の肩紐をいじる。
呆れるくらい見え透いた色仕掛けだったが、そもそも色仕掛けに小細工もなにもないのだろう。
精神支配でもかけられたように、店主はあっさり目の色を変えて唾を飲んだ。悔しいが、男とはそういう生き物なのである。破廉恥な格好をした良い女に正面から誘惑されたら、平静を保つのは難しい。
たちが悪い事に、ラビーニャは自分の武器を良く理解している。たっぷりと時間をかけて――という程手間もかからなかったが――親父の本能的な部分に働きかけると、意味もなく身体をくねらせながら甘い声を出した。
「冒険者の素行なんてどうでもいいじゃありませんか。大事なのは、仕事が出来るかどうか。そうでしょう?」
「そ、そうは言ってもだな、店の女客に手を出されちゃ困るし……」
「そんな真似、このわたくしが許しませんわ。それに、考えてみてくださいな。わたくし達に仕事を下されば、この美貌を眺め放題ですのよ?」
ラビーニャの上手い所である。面倒な問題は迂回して、その場ではそうかもしれないと思うような理屈を並べてくるのである。ただの屁理屈なのだが、色仕掛けで麻痺した頭では中々言い返せるものでもない。
「うぅむ……まぁ、それはそんなんだが……」
親父の視線が紐で繋がれたように、ラビーニャの胸とカウンターの間を行き来する。
こうなってしまえば、あとは時間の問題だろう。
(全く、頼もしい仲間だぜ)
半分は皮肉だが、もう半分は割と本気だ。
ラビーニャもそれ以上余計な事は言わず、胸元を強調して時間を潰している。
が、それが良くなかったのだろう。
不意に親父は夢から醒めたように、煙たそうにしかめていた目を見開いた。
「――あんた、ダイアース教徒か」
尋ねる声もはっきりして、やはり夢から覚めたようではある。
ラビーニャもそれは感じたのだろう。今まさに釣り上げようとしていた魚の口から針が抜けたような顔で聞き返す。
「それがなにか?」
「性悪の女神に関わるとろくなことがねぇ。おかげで目が覚めたぜ」
特に理由も説明されず、とにもかくにもラビーニャの色仕掛けは失敗した。
こうなってしまえば他に打つ手もなく。
日の出の一団はすごすごと店を後にするのだった。
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