一章
第66話
――立ち上がって、口の中でも切ったのか、ペコは血の混じった唾を地面に吐いた。
散々転がされ、あちこち土塗れだが、諦める様子はない。安物のガラス玉みたいな大きな目を無暗に輝かせ、口元は楽し気に笑っている。
(そんなに楽しいもんかね)
呆れ半分――もう半分は照れくささが滲んだ。まぁ、これだけ楽しそうに――そして飽きもせずに――向かってこられると、教える方もそれなりに甲斐がある。
ペコが深く息を吸う。呼応して、ずんぐりとした身体に魔力が満ちる。
「うぉおおりゃあああああああ!」
練り上げた魔力を身に纏い、練気術によって身体能力を強化したペコが突っ込んでくる。右手には新品の――代わり映えしない安物だが――小剣、左手にも同じく新調した小盾を構えて。
「一々叫ぶな。わざわざ敵に気勢を知らせて良い事なんか一つもねぇぞ」
「うっす! うりゃぁ!」
言ってるそばから叫びつつ、ペコが上段に構えた小剣を振りかぶる。
「大振りもやめろって言ってるだろ。馬鹿な魔物じゃなけりゃそんな攻撃――」
あっさりと間合いを見切り、半歩下がってライズは言うが――
「――っ!?」
ペコは空振りした勢いで前宙を行い、ライズの脳天めがけて空中でカカト落としを繰り出してきた。
上体をそらしてギリギリで避けると、着地したペコが足元を狙って剣を薙いでくる。ライズは適当に握っていた長剣を地面に突き立てて防ぎ、がら空きになった顎をつま先で蹴り上げた。
「ぎゃいん!?」
と、蹴飛ばされた犬のような悲鳴をあげてペコが吹き飛び――ダメージを軽減する為に自分から飛んだようだが――着地に失敗して地面を転がった。
「わりぃ、やりすぎた」
舌を噛んだような顔で謝る。咄嗟の事でつい身体が動いてしまった。
「大丈夫じゃないっすよ! 乙女の顔を蹴るとか鬼畜すぎっす!」
涙目で顎をさすりつつペコが言ってくる。
蹴ったのは顔ではなくて顎なのだが、だからどうだという話だろう。
「悪かったって。つい足が出た。そんだけヤバかったって事だ」
少しズルいと思いつつ告げる。嘘ではないが。
「マジっすか!?」
案の定、ペコは痛みも忘れて飛び上がった。
(単純な奴だぜ)
と、思うだけにしておくが。
「あぁ。今のは初見ならそこそこの使い手でも引っかかるだろ。特にお前は見た目がアレだからな。油断してる所にズドンだ」
「そうっすよね! 自分みたいな美少女があんなアクロバットな動きするとは思わないっすよね!」
「言っとくが、アレに入るのは素人感丸出しの田舎娘だからな」
「わざわざ怒らない方向に解釈したのに言い直す事なくないっすか?」
自分でも自覚はしていたのか、拗ねた顔で睨んでくる。
「まぁ、好みは人それぞれだしな」
誰かにとってはペコも美少女だろう。
「わかってないっすねぇライズさんは。実際にモテるのは絵に描いたような美少女じゃなくて、自分みたいな手の届きそうなタイプなんすよ。これでも自分、村じゃ結構――」
自称美少女を放棄してまでそんな事を言ってくる。
ライズは嫌そうに顔をしかめた。妹などいないが、もしいたのなら、妹の色恋話を聞かされる兄の心境とはこのようなものなのかもしれない。
「聞きたかねぇよそんな話」
「なんすか? 嫉妬っすか? 心配しなくても、そっちの方は大切な人の為にちゃんと――」
「――だから聞きたくねぇっての! 年頃の女ならちったぁ恥じらいを持てよ!」
こちらも毎度言っている事だが、直る気配はない。
「うひひひひひ。だって、やられっぱなしじゃ悔しいじゃないっすか」
仕返しのつもりだったのか、口元に手を当てて、いたずら小僧の笑みで言ってくる。
言い返してやりたいが、それでは子供の喧嘩だ。
溜息一つで堪えると――
「ともかくだ。対人戦なら、お前の素人臭さは強力な武器になるって話だ。どれだけ実力があったって、そいつを発揮する前に倒しちまえばそれまでだからな」
「なんか、あんまり褒められてる気がしないっすね。結構動けるようになったと思うんすけど、そんなにダメっすか?」
まだ三割程拗ねつつ、足元の小石を蹴る。
「ダメとは言ってねぇよ。実際、さっきだっていい線いってたろ? 調子に乗るからいいたかないが、お前には戦士の才能がある。そんだけ動けりゃその辺の二流冒険者なら負けやしないだろ」
「でも、ライズさんには手も足も出ないっすよ?」
不思議そうに言ってくる。
「あのなぁペコ。俺はこれでも、白蛇亭で仕事を受けてた一流冒険者だぞ? 大体、お前の動きは毎日訓練で嫌って程見てるんだ。そう簡単に手も足も出されてたまるか」
と言いつつ、先ほどは冷や汗をかかされたのだが。いつもの訓練だと油断していたとはいえ、ペコの動きには予想出来ない意外性がある。
(ただの剣だから防げたが、あれが勇者の剣なら、膝から下がなくなってたぜ)
勿論、ペコも訓練ではそこまでしないし、もしそんな気配があればライズも身構える。ペコの勇者の剣は相変わらず短く、光剣の勇者ロッドが使ったとされる伝説の秘術とは違い、なんでも断てるという程でもない。防ぐにしても躱すにしてやりようはいくらでもある。
「それはわかってるんすけど、それにしたってライズさんって殴り合い強くないっすか? 魔術士の癖に」
「魔術士じゃなくて魔術戦士な。ペコがいるから普段はあまりやらないが、格闘戦だって普通に強いんだぞ」
毎日のように稽古の相手をしているので、今更言うまでもない話だろうが。
ペコはどうも納得しない様子だ。
「ん~。正直剣はそんなでもないんすよね。別に普通っていうか。むしろ体術っていうか、さっきみたいにいきなり蹴ってきたりとか、そういう喧嘩殺法みたいなのが凄いみたいな。教え方も妙に上手だし、ライズさんってなにもんなんすか?」
唇の先で人差し指を咥えつつ、なんとはなしに聞いてくる。
(……なんでこいつはこういう時だけ無駄に鋭いんだ?)
嫌がらせのように感じながら、ライズはついつい聞かれてもいないのに言い訳をしてしまった。
「……まぁ、なんだ。昔道場みたいな所に通ってたんだよ」
言ってから、余計な事を言ったと後悔する。
「本当っすか? なんか嘘っぽい臭いがするんすけど」
ひくひくと小さな鼻を動かして言ってくる。嘘が苦手な自覚はある。顔色を読んだだけなのだろうが。
だからというよりも、バツが悪くなって顔を背ける。
「……あんまり良い思い出がねぇんだよ」
「そっすか。じゃ、聞かないっす」
あっさり諦めてペコは言った。
「それはそうと、あの力まだ使えないんすか?」
露骨に話題を変えて来るが、それはこちらも望む所である。
あの力とは言うまでもない。
森の王――ガル……忘れたが、人食い森のバケモノと戦った時に発現した力の事だろう。
「まだっつーか、あれ以来さっぱりだ。一応色々試してみたが、切っ掛けすら掴めそうにねぇ」
少なくとも、普通の魔術とはまるっきり扱い方の違う力という事らしい。
「やっぱあれっすかね。仲間のピンチじゃないと発動しない的な?」
「アホらしいが、そうなのかもな。どこの物好きな神様がくれたのか知れないが、どうせ寄こすならもっと使い勝手のいい力がよかったぜ」
「いいじゃないっすか、ピンチの時に使えるなら。あの力があれば、自分も勇者になれるっす」
「ま、それもそうだな」
特に深くも考えず。
ないよりはマシだろうという程度に頷いておく。
「ライズ~! ペコ~! 朝ごはんが出来たのである~!」
街道から少し離れた岩場の影の野営地――からわざわざ戻った街道の真ん中で、朝の稽古をやっていた。周りが密林で、他に手頃な場所がなかったからだが。
「おう、今行く」
「そういえば、今日の朝ごはん当番はラビーニャっすか……」
一か八かの創作料理の味を思い出してペコが顔をしかめる。
呼びに来たキッシュに返事をしつつ。
そんな感じで、今日も魔王を倒す旅が始まるのだった。
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