二巻 神殿都市アンナバウム~神がサイコロを振る時~
第65話 プロローグ
「よくぞ聞いてくれました」
男の声は文字通り、待ちかねていたように明るく、楽し気に弾んでいた。
薄暗い遺跡の中である。あちらこちらに蔓草や樹木の根が太く這いまわっていたが、よく見れば、建物自体はさほど朽ちてもいなかった――その建物の背負う長い歴史と比較すれば。
最奥にあるその部屋は広く、大仰で、厳かですらある。周囲の壁には掠れてはいたが、なんらかの神を湛える神聖な宗教画が描かれ、足元には巨大な魔術陣の幾何学模様、部屋の奥には頭部の砕かれた神体と、それを祀るようにして巨大な祭壇が鎮座している。
それらを背負うように立って、男は語っていた。
見ようによっては信者を前に説法を垂れる神官の類にも見えなくはないが、どちらかと言えば、資本家に対して怪しい儲け話を語る実業家といった雰囲気の方が強い。
実際男はそのような風貌をしていた。
美しい灰色の髪を上品に流した、女受けの良さそうな美男子である。どのような表情を浮かべようが、対峙する者になにかしらの好印象を与えそうな――そんな男だ。
仕立ての良い服を嫌味なく着こなしているが、どんな手品を使ったのか、人里離れた密林の奥の遺跡の中だというのに、服には汚れの一つもついてはいない。
「――だって、ねぇ? 私だって人の子ですから。人間は誰しも、自分語りが好きなものでしょう?」
お道化るように男が言うと、くぐもった無数の呻き声がそれに答えた――かどうかは知らないが、男は答えたという事にしておいた。
なんにせよ、猿ぐつわを噛まされた彼らが何を言おうとした所で、意味のある言葉になるはずもないのだが。だからこそ、好きなように解釈している。
「まぁ、大した理由じゃありません。改めて口にすると少し恥ずかしい気もしますが。男の子なら誰だって、御伽噺の勇者に憧れるものでしょう?」
照れくさそうにはにかんで体を揺らす。
「ご多分にもれず、という奴ですよ。自分の生まれた時代に――それも、そんな夢を見られるような年頃に王魔の時が始まるなんて、中々ない事ですからね」
ゆっくりと、愛撫するように丁寧に告げ、不意に男は肩をすくめた。
「――とはいえ、現実を見ないわけにもいきませんからね。勇者や聖人は競争率が高すぎる。だからまぁ、もう少し楽になれそうな魔王を目指す事にしたんですよ」
それに対する返事だけは意味が通った。
くぐもっていようが、悲鳴は悲鳴にしかなり得ない。
「そういうわけで、皆さんには生贄になって貰います。お察しの通りという感じですけど。そうでなければ、わざわざ悪事の内容を話す理由もありませんしね」
悪戯っぽく片目を瞑ると、男は祭壇に向き直って両手を広げた。
「さぁ神よ、贄の時間です」
響き渡る無数の悲鳴を伴奏にして、壊れた神体が輝きだす。呼応するように床の魔術陣が光を帯びて、縛られて床に転がされた数十人の老若男女の身体も同じに光り出した。
そして――見えざる何かに内側から貪られるように、人々は急速に衰え――萎み――最後には塵になった。
儀式が終わると、男は切なげにその塵に死線を流した。
実際はそう見えただけで、特に悪びれてもいなかったが。
「悪く思わないで下さい」
うっとりと、溜息が響く。
「勇者だけでは救われない。この世界は魔王を求めているんです。だから私が、それを与える」
そこで男は、堪えきれず口元を歪ませた。
「だってその方が、ずっと魔王っぽいじゃないですか」
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