エピローグ
第46話
いつも通りの朝なのかと聞かれれば答えに迷う。
誰でもそうだろうが、ライズにとっての人生は、絶え間ない変化と選択の繰り返しだった。
いつも通りでないとして、そのいつもとはいつを指すのだろう。
まぁ、屁理屈だろうが。
王魔の時が始まったからと言って、急に空が赤くなったりはしない。昇ったばかりの太陽は白く眩しく、朝の空気はいつも通り新鮮に感じられる。
(そういう意味でもないんだろうが)
どこまでも皮肉っぽく。
笑ったのには、それなりに理由がある。
諸々の屁理屈を差し引いても、やはり今日は、いつもの朝ではないのだろう。
(なんせ、この俺が勇者として旅立つ朝なんだからな)
つまり、それだけ皮肉だったというだけだが。
「納得いかないっす!」
厳かな朝の静寂に、英雄になり損ねた女達のぼやく声が響く。
「街を救ったのは自分達なのに! 誰も信じてくれなかったっす!」
「遺憾なのである! 偏見なのである!」
「仕方ありませんわ。女好きのライズが勇者の力に覚醒して、自称勇者の駆け出しが伝説の勇者の力で白蛇亭の冒険者が束になっても叶わなかった魔物を倒した。証言者は全員、ライズの囲っていた女達だけ。これではあまりに出来過ぎています」
ライバーホルンの街の境目、高く分厚い市壁に穿たれた東門の前に立って、黙っていれば美しい自称聖女が恨みがましく告げる。
まぁ、そういうわけだった。手柄は雪月花――もとい、四季の四人の物になった。本人達すら否定したが、手柄など所詮、誰が認めるかという話でしかない。ライズの悪名はここに極まり、ある意味では伝説に残るかもしれないが――それでもハンナだけは、信じて礼を言ってくれた。
「だからわたくしは止めたのですわ。こうなる事は分かりきっていましたから。手柄を立てるなら、それを認める確かな証人の前でなければ意味がありませんもの」
「俺は別に構わねぇけどな。下手に有名になると面倒事が増えちまう。それに――人知れず街を救うとか、それこそ勇者っぽいじゃねぇか」
後ろ髪を引かれたわけではないが。
三年と数か月を暮らした街との別れを惜しむ気持ちで立ち止まっている。
風の一つでも吹けば、その勢いで歩き出しそうではあったが。
じろりと、三対の目がライズを睨んだ。
「ライズさんはいいっすよね! 昔の仲間と仲直りして、勇者の力にも目覚めたんすから」
「得をしたのはライズだけなのである」
「この貸しは、高くつきますわよ」
それ以前に散々貸しがあるような気もするが――そちらは全てチャラにしてやるつもりでいた。
降参のポーズを軽くとる。
「わーってるよ。お前らには、大事な仲間の命を救って貰った。お返しに、魔王でもなんでもぶったおしてやるって言ってるんだ。残りの俺の人生を全部賭けてもな」
それだけの借りだと思っている。一生かけても返し続ける価値のある借りだ。
「……それはいいんすけど――なんか言い方が気に入らないっすよね」
「二股をかけられた気分なのである」
「そんなんだから女の敵とか言われるんですわ」
じっとりと、絡みつくような目で言ってくる。
「そういうんじゃないって言ってるだろ!」
流石に叫ぶが、ふと三人の目が自分ではなく、肩越しにその背後を見ている事に気づいた。
(……来ちまったか)
察して振り返ると、そこには四季の四人がいた――レイブンは一歩後ろで、なんで私までというような顔をしているが。
「私達に挨拶もなしに行くつもりか?」
腕組みをして、シフリルが冷たい視線を投げかける。
「お前らなら、呼ばれなくても来ると思ったからな」
冗談のつもりだったが、特にウケもしなかった。
責めるような沈黙に、気まずくなって頭を掻く。
「――まぁ、なんだ。会えば、色々と湿っぽくなっちまうだろ?」
「修羅場の予感っす」
「メロドラマなのである」
「二股男の末路がどうなるか見ものですわね」
「聞こえてるからな!?」
耐え切れず背後に叫ぶ。
シフリル達は無表情を装っているが――向こうもバツの悪さがにじみ出ていた。
咳払いで仕切り直す。
「――ともかく、俺は行くぜ。勇者らしいからな。魔王をぶちのめす使命がある」
我ながらマヌケな台詞だと思いつつ。
「あぁ、なんだ――お前らには……色々と世話になったな」
シフリルは氷のような無表情ではあった。が、長い付き合いだ。ライズにはそれが、あまりにも多くの言葉が込み上げすぎて、逆に何も言えなくなっている顔だと分かった。
(……だから、会いたくなかったんだけどな)
会ってしまえば、答えてやらなければいけない。
思いもよらぬ問い。
愛という問いに対する答えを。
あるいは、最後まで飲み込んで終わるのかもしれない。
口にすれば、彼女達の友情は壊れるのだろう。
それ程の価値が自分にあるとは、ライズには到底思えなかったが。
長い、長い沈黙。
その末に窒息しかけて、シフリルは喘ぐように息を吐き―—
喉元まで込み上げた言葉を飲み込んだ。
「あたし、ライズの事が好き!」
押しのけるように、ユリシーが前に出た。
シフリルは、裏切られたような顔で茫然としている。
「優しい所も、ヘタレな所も、情けない所も――パッとしない顔も、つまんない話も、匂いも、声も、鈍感で、馬鹿で、向こう見ずで、保護者ぶってる癖に微妙に頼りない所も――」
「……それ、好きな理由だよな?」
半眼で尋ねるが。
「仕方ないじゃん! そんな救いようのない男の事好きになっちゃんたんだから!」
ぼろぼろと――すっかり昔の泣き虫ユリシーに戻りながら。
「ユリシー……」
途方に暮れて呟くシフリルに、ユリシーが言い返す。
「ごめんシフリル。でも、やっぱ無理! このまま気持ちを伝えないで別れるとか、あたしには出来ないよ!」
そういうからには、本当にただの見送りのつもりだったらしい。
見つめ合う二人をよそに、クレッセンが大きく深呼吸をして、一歩前に踏み出した。
「私もライズの事が好きでした」
そして、シフリルを横目に見る。
「きっと、最初からこうするべきだったんです」
慰めるように。あるいは、許しを与えるように言って、こちらに向き直る。
「今も好きです。これからも、ずっとずっと好きだと思います。本当はもっとライズと一緒にいて――出来る事なら、あなたが勇者になる所を見届けたかった」
堪えきれず泣き出して顔を伏せる。
仲間の元に戻りながら、呆けた顔のシフリルに囁く。
「言わなければ、きっと一生後悔しますよ」
涙を拭いながら。
言われてシフリルは、恐る恐るという風にこちらを見て、びくりとして目を背けた。改めて見れば案外小さな手を固く握って、顔を上げる。
「ライズ……私は……」
瞳が揺れた。
開きかけた口の中で、見えない何かに圧し潰されたるように舌が引き攣っている。
ゆっくりと静かに、涙があふれた。
「嫌だよ……行くな……もう一度、私達と一緒にパーティーを組もう……そして……以前のように、みんなで楽しく……」
言葉を嗚咽が遮った。
耐えようとしても耐えれず、その場に崩れて子供のように泣きだす。
「最低だ――だから私は――醜い――死んだ方が――お前に愛される資格など――」
地面を叩き、呪詛のように呟く。
ライズは困ったような――哀しそうな――苦しむような――そのような表情で見つめると、不意に傍らに跪いて、朝日に輝く銀髪を優しく撫でた。
「ありがとな。けど、俺は行くよ。そう決めたんだ」
シフリルが喉を詰まらせる。後ろの二人もまた泣いていた。
そちらにも視線を向ける。
「泣くなよ。今生の別れってわけじゃない。生きてさえいりゃ、またどっかで会えるだろ」
冗談めかして立ち上がり、居心地悪そうに俯くレイブンに視線を投げる。
「俺が言うのも変な話だが、お前さんにも色々と世話を掛けたな」
「……当然だろ。こいつらは、私の仲間でもあるんだ」
鼻を鳴らして、挑むように睨んでくる。が、それはポーズだったのだろう。不意に力を抜いて笑ってみせた。
「あんたの後釜が務まるか不安だよ。こいつらは本当に、あんたの事を――」
(愛している、か)
濁した言葉に肩をすくめる。
「大丈夫だろ。あんたも大概なお人よしだ。次はそっちが惚れられる番かもな」
レイブンは、どういうわけかバツが悪そうに鼻を掻いた。見ないようにしていたようだが、それでも黒い瞳は一瞬ユリシーの方を向いていた。
「……マジかよ。それじゃあ、本当にユリシーと?」
赤くなって照れながら、女にしては男前な魔術士は、気まずそうに咳払いをした。
「ユリシーなりには、お前の事を忘れようと頑張ってたんだ」
「別に、ライズの代わりってわけじゃないし」
視線を向けると、ユリシーは拗ねるように口を尖らせていた。
それこそ、肩をすくめるしかない話だが。
「なんでもいいさ。お前らはこれからもずっと、掛け替えのない大切な仲間だ。俺に言えんのはそれだけだよ」
「あのさーライズ、それってむしろ残酷だからね?」
「私達、振られる覚悟で告白したんですけど」
ユリシーがジト目で、クレッセンは呆れ顔で肩をすくめる。
「だが、お前らしい。そんな男だから、私達は好きになったのだろう」
気が済んだのか、シフリルは不意に立ち上がると――鍛え抜いた戦士の動きで不意を突き、ライズの唇を奪った――一瞬触れただけだったが。
「「「うぎょるぅぁばぁ!?」」」
と、一斉に聞こえた悲鳴を合わせればそのような感じだろう。
言葉を失って立ち尽くすライズに、自分でやっておいて真っ赤になったシフリルが、裏返った声を震わせて言ってきた。
「ぉ、お前の仲間の借金は、か、代わりに、かかかか、返しておいたからな。ぅん、その、なんだ。今までの、恩返し的なアレで――」
「マジですの!?」
「やったのである!」
「これでライズさんも晴れて本物のヒモっすね!」
と、背後で聞き捨てならない声が聞こえたような気もするが。
「……はぁ」
深々と溜息をつく。
突けばまた泣きそうな青い瞳に向かってニヤリと笑った。
「余計な事しやがって。そんなデカい借りを作ったら、返しに戻って来なきゃならねぇじゃねぇか」
シフリルはキョトンとして、その意味に気づいたのかフッと鼻で笑った。
「そうとも。とんでもない額だ。利子を数えて待っているぞ」
「おっかねぇ」
約束に肩をすくめる。
涼やかな風に吹かれて、ライズは置いていく仲間達を眺めた。
「そんじゃ、またな」
「……あぁ、また会おう」
「戻ってきて、知らない女の子供が一緒だったら射るからね」
「私は、生きて戻ってさえくれれば充分です」
ユリシーの目が本気だったのは見ないふりをして、レイブンにも視線で別れを告げる。
「そっちの女達にも惚れられたら、それこそ修羅場だぞ?」
(ここでそれを言うか?)
心底呪いつつ。
「そんなんじゃねぇよ」
笑って返すが――シフリル達は怖い顔をしていた。
「いや、マジでねぇから……」
言った所で納得した様子もないが。
「心配ないっす! 自分、年下の可愛い系がタイプっすから!」
「吾輩はもっと年上のダンディーな人が良いのである」
「わたくしと釣り合う顔と甲斐性がなければ論外ですわ」
そんな事を言われても、バツが悪いだけだろう。
しかめっ面で見つめ合うと、誰ともなく笑い出す。
最後にもう一度別れの挨拶をして、ライズは新たな仲間と門をくぐった。
†
「ところで、パーティー名はどうするっすか?」
なんとはなしに街道を歩きながら。
一通りシフリル達とのメロドラマを冷やかされた後、出し抜けにペコが言ってきた。
「いい加減名無しの一団では恰好がつかないのである」
「上げる名がなければ活躍した所で、というのはありますわね」
「『日の出』ってのはどうだ?」
昇りゆく朝日を前にふと思いつく。
「これから伝説に登り詰める俺達には、お似合いの名前だろ?」
「日の出の一団の勇者ペコ……悪くはないっすね」
飴玉の味でも確かめるようにペコが言葉を転がす。
「うむ、日の出というのはなんとなく善人チックな響きがあるのである」
「そうですわね。
「……っち、バレたか」
見抜かれて、舌打ちを一つ。
ジト目で睨むチビ達が頬を膨らませて詰め寄って来る。
「ズルいっすよライズさん! こっそり自分の名前入れようとして!」
「吾輩達の時はダメって言ったくせに!」
「こっそりやってる分まだマシだろ!」
追い立てられれば走り出し、走ったからには追いかけられる。
「待つっす!」
「待つのである!」
「やなこった!」
そんな三人を遠目に見て、あくまでマイペースに歩く自称聖女が呟いた。
「こんな男が勇者だなんて、本当、悪い冗談ですわ」
言葉ほどは嫌そうではなく。
なにはともあれ、魔王を倒す長い旅が始まったのだった。
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一巻ご愛読ありがとうございます。
この後の番外編はこぼれ話ですので、飛ばして二巻に進んでも問題ありません。
面白いと思って頂けましたら、応援、レビュー等頂けたら励みになります。
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新作の宣伝です。
異世界ファンタジーな拳と魔法の学園ラブコメです
魔拳の勇者~適性がないと捨てられた大魔術士の子、拳聖に育てられ魔拳使いとなって戻って来る
https://kakuyomu.jp/works/16816927859269612374
†
こんなアンチ追放物みたいなエピローグを書いといてお前どうした? みたいなタイトルですが、読んで頂ければそれなりにご理解頂けると思います。
【マスター権限】ってなんですか? 無能な上にスキル無し、彼女もNTRれ追放された僕だけど、可愛い奴隷少女のご主人様になって無双します。今更戻って来いと言われても、国作りで忙しいのでごめんなさい。
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