番外編~この世の中にありふれた、よくある理不尽な話~
第47話
二巻の内容が納得いく形で書き終わるまでは暫く番外編になります。
†
それはまだ、四人が借金の返済に追われていた頃の話――
「ふぃ~さっぱりしたっす!」
「ちょっとペコ! 頭を振らないで! 雫が飛んでますわ!」
「ペコは本当に犬みたいなのである」
「犬は犬でも狂犬だけどな」
濡れた頭を気持ちよさそうに振り回すペコに向けて口々に言う。
借金まみれの生活でも、仕事終わりの一風呂はやめられない。
そういう訳で一仕事を終えたライズ達名無しの一団は、いつも通り風呂屋でさっぱりし、夕食を食べに黒瓜亭に向かっていた。
「そこは忠犬って言って欲しいっす!」
「自分で言うか?」
「迷犬の間違いなのである」
「顔は狸みたいですけどね」
「はが!? だだだ、誰がへちゃむくれの狸顔っすか!?」
「わかってんじゃねぇか」
「だったらラビーニャは狐であるな」
「狐は狐でも女狐って所か」
「女狐、大いに結構! 誉め言葉と受け取っておきますわ。おーっほっほっほ!」
「狸だって可愛いじゃないっすか!」
と、特に内容もないのような話をしつつ歩いている。
「そんな事より早く帰ってご飯にしたいのである。吾輩もモモニャンもお腹ペコペコなのである」
きゅるるる~と、可愛らしい腹の虫鳴き声をひっきりなしに響かせてキッシュが言う。深淵の魔王の眷属とやらを飼っているせいか、はたまたただの食いしん坊か――まぁ、その両方だろうが――キッシュはとにかく燃費が悪い。
身体は小さい癖に、普段からライズの倍以上食べ、仕事をするとさらに食べる。なんなら、別に働かなくてもそれくらい食べるのだが、金がないので抑えて貰っている。加えて、腹が減るのも人一倍早いという、はた迷惑な胃袋の持ち主だった。
とは言え、腹ペコなのはキッシュだけではなかったが。
近頃は王魔の時が始まるのではと噂になるだけあり、街の外では危険な魔物が増えている。そういうわけで冒険者の仕事は多く、その日は遅くまで近隣の村に出没した魔物退治を行っていた。
日も沈み切った夜である。空には雲一つなく、丸い月の明るさが星々の煌めきをかすませている。
「今日は頑張ったんで、いつもより良い物食べたいっすね」
「そう言えばハンナが今朝、良い鹿肉が入ったとか言ってましたわね」
「じゃ、今日はそいつで決まりだな」
「じゅるるるる……想像しただけで涎が出てきたのである……」
「てぃりりり!」
キッシュの影から少しだけ顔を覗かせてモモニャンが鳴く。
物騒な噂はさておいて、どこまでも平和ないつも通りの夜だった。
――少なくとも、この時までは。
「あれ?」
唐突なのはいつもの事だが、視線を上げてペコが言った。
「どうした?」
なんの気なしに尋ねると、ペコが視線の先を指さす。
「あそこ、時計台の屋根に誰か立ってないっすか?」
「あぁ?」
言われるがままそちらを見る。
すると確かに、ライバーホルンの街を見下ろす高い時計台の屋根に、小さな人影がぽつんと立っているように見える。
「本当ですわね」
「なんだか怖いのである……」
「飛び降りっすかね?」
「縁起でもねぇ事言うなよ……」
と、言ってはみたが、内心ライズも同じ事を思い浮かべた――と言うか、あれを見てそう思わない者もいないだろうが。
平和な夜は一転してきな臭くなり、思わず足を止める。
「どうするっすか?」
「どうするってそりゃ、止めるしかねぇねぇだろ……」
とくに危機感もなく聞いてくるペコに言い返す。視線は人影に向けたままだが。
「おい! なにしてる! そんな所立ってると――」
と、口元を手で囲って叫ぶのだが――
「ぁ」
「おおおお落ちたのである!?」
「ライズのせいですわよ」
呼び掛けられて驚いたのか、人影が足を滑らせて屋根を転がった。
「言ってる場合かよ!」
ぞっとして叫びつつ、その時にはライズも駆けだしていた。
(クソッタレ! 俺のせいか!?)
理不尽な想いを感じつつ、とにかくライズは走った。全身に魔力を漲らせ、練気術で身体能力を強化して、風のように駆け抜ける――が、遠い。
(間に合わねぇっての!?)
だが、そうも言ってはいられない。間に合わなければ、落下しつつある誰かは路面に叩きつけられる。どう贔屓目に見ても助かる高さではない。
「風よ!」
魔力を練り上げ、猛烈な追い風を生み出して加速する。夜遅く、通りに人の姿が少ないのは幸運だった。この速度で人にぶつかれば、お互いに無事では済まない――が、それでも間に合うかは怪しい所である。
「遠すぎるんだよ!」
なにかに八つ当たりするような心地で叫びながら、人影――身なりの良い制服めいた服を着た小僧か? ――に向けて右手を突き出す。
「飛べ!」
重力中和の術を試みるが、言葉通り遠すぎる。それなりに高度な上に元々射程の短い術である。多少は減速もしたが、だからどうしたという感じである。
(こんな事で奥の手を使うのかよ!)
理不尽に思うが、こうなったら出し惜しみはしていられない。
「力よ!」
練り上げた魔力を右の拳に込めて、見えないナイフでも突き立てるように左胸を叩く。魂の在処にして魔力の源とも言われる神魂を刺激し、一時的に魔力の出力を上げる秘術だ。反動と負担が大きく、加減を間違えれば神魂もろとも心臓を破壊しかねない危険な術でもある。滅多な事では使いたくないが、こうでもしなければ間に合いそうもない。
(間に合った所で助けられるのか?)
という疑問もないではないが、そんな事を考えている余裕もない。
(とにかく、即死さえしなけりゃラビーニャがどうにかするだろ!)
と、癒しの奇跡もそこまで万能ではないのだが、それでも死は間逃れるはずだ。
「うおぉおおおおおおおおおおお!?」
最後は気合である。破れかぶれで地面を蹴り、両手を前に突き出して飛び込むが――
(無理だ――間に合わねぇ!)
ほんの僅かに、あと数歩。たったそれだけの距離が埋められない。
極限まで強化した感覚の中で、少年の落ちる様が酷くゆっくりに見える。悲鳴も上げず、目を閉じてぐったりしているのは気絶しているからだろう。間に合わないのであれば、彼にとってはその方が良いのかもしれないが。
この後に聞こえてくるだろう忌まわしい落下音に備えるように、ライズは目を閉じた。
そして次の瞬間――
「はいよー! モモニャン!」
「ふごぁ!?」
後ろから走ってきたモモニャンにはね飛ばされて、ライズは宙を舞った。
高く、すごく高く、それはもう高く――
なんなら時計台よりも高く――まぁ、それは流石に言い過ぎだが。
実際にはそれほど高くもなかったろう。速度が速度だったので川辺に投げ込んだ石ころのように地面を跳ねて転がった。
「うげ!? おが!? うぎぃ!?」
と、癇癪を起した子供に放り投げられた人形の心地で叫びつつ。
止まる頃には立派な血だるまである。
「ふぃ~。間一髪だったのである」
滑り込んだモモニャンの頭部をクッションに変身させて少年を受け止めつつ、背中のキッシュがホッと胸を撫でおろす――と、ハッとしたようにこちらを振り向き青ざめた。
「ら、ライズ!? 大丈夫なのであるか!?」
「……こ、これが、大丈夫に、見えるか?」
死にかけの虫のようにひくひくと痙攣しながら呻く。
「折角お風呂入ったのに汚れちゃったっすね」
「飛び降り自殺を助けようとして死にかけてはざまぁないですわ」
と、遅れてやってきた薄情者どもが薄情な事を口にする。
言いたい事は山ほどあったが、とりあえずライズはこれだけ言った。
「いいからとっとと癒してくれ……」
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