七章
第39話
「っしゃああああ! っす! ついにこの時がやってきたっす! 王魔の時! すなわち魔王の誕生! 勇者ペコの伝説が今ここから始まるっすよ!」
いつものように黒瓜亭。
いつもの席に集まったライズは、いつものようにペコの失言をたしなめた――具体的には軽い拳骨で。
「――うぎゃ!? なにすんすかライズさん!」
大袈裟に頭を押さえると、上目遣いでペコが睨んでくる。
それをジト目で見返して。
「不謹慎だっての」
呆れた溜息とともに言う。
いつも通り頬を膨らませ、ペコは抗議するように他の客――つまり冒険者だが――を指さした。
「他の冒険者だって喜んでるっす!」
(まぁそうなんだけどな)
と、苦い思いでライズは肩をすくめる。
いつも通りはそこまでで、黒瓜亭は異様な熱気に支配されていた。
店の冒険者の大半は王魔の時の到来に、勇者になって伝説に名を残す機会が巡って来たと興奮している。幾つもの国を名もなき遺跡に変え、大勢の命を塵のように吹き飛ばす厄災の時を不安に思う顔も僅かにはあったが、言い出せる空気ではなかった。
(……まさか、本当に王魔の時が始まっちまうとはな)
今になって認めれば、ライズはラビーニャの啓示など欠片も信じてはいなかった。自分が勇者である――少なくとも、可能性くらいはある――という事も、自分の代で王魔の時が始まると言う事も。後者はともかく、前者はいまでも信じていないが。
これまでは、魔王がいないのだから勇者になりようがないと言い訳をする事が出来た。王魔の時が始まってしまえば、それこそ、ライズの覚悟次第という事になる。
(覚悟だと? クソッタレ! どんな覚悟をしろってんだよ!)
戸惑いは怒りに転嫁され、行き場を求めて博打好きのクソ女神へと向かった。が、そんな啓示でもなければラビーニャと出会う事もなく、もしかすると、キッシュを仲間に加える事もなかったのかもしれないが。
(つまり、運命の女神って奴は相当な皮肉屋なんだろうよ)
押し付けられた運命を持て余し、それこそ皮肉な心地で思うのだった。
「信じてなかったという顔ですわね」
見透かしてきたのは、例によってラビーニャだった。
「……悪かったな。俺は不信心なんだよ」
神官ではないし、神話にも疎い。どこから湧いて出たのかもしらない神様とかいう連中をありがたがる気持ちは、ライズには今ひとつ理解出来なかった。
「別に謝る事もないでしょう? わたくしだって驚いてますし」
「あぁ?」
聞き咎めるという程でもないが、妙な話ではあった。
「信じようと決める事と信じる事は違うという話ですわ」
ただそれだけという風に見えて、ラビーニャの目もよくよく見れば興奮に揺れていた。
「……たいしたタマだよ」
肩をすくめる。これでも一応神官だという事は、今更思い知らされるまでもないはずだが――時折飛び出すそんな言葉には、いまだに一々驚かされる。
「それよりも、始まってしまったからには、いつまでも答えを保留には出来ませんわよ」
釘をさすというよりは忠告のように告げる。
言われるまでもないが、言いたくもなるだろう。
(それこそ、勇者なんてまるで似合わない俺だからな)
「……てか、そもそも選択の余地なんかあるのか?」
「あるわけないでしょう」
呆れるようにラビーニャが睨みを利かせる。まぁ、それこそ今更の話である。
「選べないからこそ、覚悟が必要なのですわ」
真面目な顔をしたかと思うと、さほど長持ちせずに崩れたが。
「まぁ、ライズのようなヘタレ野郎は、なし崩しに流されるのがお似合いなのかもしれませんわね」
「……うるせぇよ」
そんな言葉しか返せなかったのは、我ながらそんな気がしたからだが。
「お待たせなのである! 説明会は――まだ始まってないようであるな」
ぱたぱたと手を振って雫を払いつつ、トイレから戻ってきたキッシュが言う。
いつも通りでない理由がもう一つあった。
以前から予告されていた事ではあるが、王魔の時の始まりが宣言され、例の人食い森の大掃除が決行される事になっていた。
ライバーホルンの全ての冒険者の店が合同で行う、大規模な掃討作戦である。これから行われるわけだが、その前に説明があるという事だった。
使い込んだフライパンをオタマで叩き、ハンナが静寂を要求する。
「静かにしな! 作戦の説明を始めるよ!」
珍しくハンナは緊張した面持ちだった。無理もない。これ程の規模の大仕事は冒険者のみならず、店側としても初めてだろう。
冒険者達は口こそ閉じたが、これから始まる大仕事を前に、武功を期待するようなギラついた気配は、ある種の騒がしさすら感じさせた。
駆け出しの多い三流店である。中には緊張で震える者も少なくない。
そういった者達に対するガス抜きのつもりか、ハンナは一息つくと、砕けた笑いを作ってみせた。
「なに身構えてんだい。こっちだって、勝って気ままなあんたら冒険者を都合よく顎で使えるとは思っちゃいないよ。作戦と言ったって、店ごとに持ち場が決まってるくらいさ。それ以外はいつも通り、好き勝手暴れて貰って構わないよ」
さして面白い事を言ったわけではないのだが、お道化たようなハンナの口調に冒険者の間で笑いが漏れた――つまりは、緊張も解けたわけだが。
「黒瓜亭は第一陣だ。森の入口付近に広がって、片っ端から魔物を倒しながら進めるだけ進む。無理はしなくていいよ。後ろには他の店の連中が大勢控えてるからね。死なない事が仕事だと思いな!」
「なんだよ! 俺達の仕事は他の冒険者の露払いか!」
見覚えのある顔が食って掛かった――舐めた口を聞いてペコに蹴飛ばされた奴だったか。
「伝説じゃ、人食い森の最深部にはガルゲンなんたらとかいう大物がいるそうじゃねぇか! 俺達にも手柄を立てさせろよ!」
「そうだそうだ!」
「俺達は踏み台じゃないぞ!」
血気盛んな冒険者である――ただの馬鹿と言い換えても良いが。この程度の作戦ですら、足並みを揃えるのは難しい。一度不満が飛び出せば、あちこちから似たような声が上がった。
(口だけは達者な奴らだ)
ライズとしては呆れるだけだが。店の冒険者の実力はハンナが一番分かっている。人食い森に関わらず、大抵の魔境は奥に進むほど魔力が濃くなり、魔物の強さも増す。以前は駆け出しの修行場などと言われていたが、最近は相当危険な場所だと聞いている。最も安全な入口付近を確保したのは、ハンナなりの気づかいだろう。
一応は白蛇亭で仕事を貰えるまでに登り詰めたライズである。黒瓜亭の客には元から煙たがられている立場でもあり、助け船の一つでも出してやろうかと思いもしたが。
「――弱小冒険者が生言ってんじゃないよ!」
ハンナとて、伊達で冒険者の店の主を張っているわけではない。カウンターを掌で叩き、一喝で冒険者達を黙らせる。
「王魔の時が始まって、人食い森は前と比べ物にならない程危険になってるんだ! 正直言って、入口だってうちの連中には手に余るくらいだよ! 当然奥はもっと危険さ! あんたらは知らないだろうがね、伝説のバケモノを確かめる為に白蛇亭から送り出された一団が三つ、内二つが全滅してるんだよ! それだけ危険な仕事なんだ!」
ハンナの言葉に、調子に乗った冒険者達は色を変えて震え上がった。
「白蛇亭の一団が全滅?」
「嘘だろ……」
白蛇亭はこの街でも腕利きの冒険者ばかりが集まる一流店である。言葉だけで危険だと言われるよりも、よほど分かりやすい例えだろう。
ライズは別の事を考えていたが。
手をあげて尋ねる。
「……ハンナ。白蛇亭がそいつらを送り出したのはいつ頃の話だ」
話の腰を折られて、ハンナは一瞬怪訝そうな顔をしたが、ライズの顔に浮かぶ表情を見て意図を察したらしい。
「半月前だよ」
と、それだけを答えた。
ライズ達が休みを取っていた頃である。
(……生き残ったのは、シフリル達か?)
思い返せば、あの日のシフリル達は随分ひどい姿をしていた。余程の苦戦を強いられなければ、ああはならない。だからどうしたという話かもしれないが――そうだとすれば、あの日の三人の態度は、多少は違った意味を持つように思えた。
ふと視線を感じる。
見れば、三人がそれぞれ、なんとも言えない表情でライズを見つめていた。
恐らくは、ライズが尋ねた理由を察したかだろうが。
「……悪い。つい、な」
「別に悪くはないっすけど」
「昔の仲間である。心配するのは仕方ないのである」
「だからと言って許そうと思っているなら、お人よしを通り越してただの馬鹿ですけど」
キッシュは同情していたが、ペコは拗ねるような気配があった。ラビーニャは呆れ顔を隠しもしない。予想していたよりは、ずっとマシな反応だったが。
それから店は葬式のような空気が続いた。
流石にハンナも言いすぎたと思ったのか、多少のフォローは入れたが。
「無理をする必要はないが、出来るんだったら奥に進んだっていいんだよ。それこそ、伝説のバケモノのいる所までだってね」
冗談のつもりだろうが、今度は誰も笑わなかった。
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