第38話

「ライズさんは悪くないっす!」


 黒瓜亭に逃げ込んで一息つくと、待ち構えていたようにペコが言い出した。


「……駆け出しの頃から面倒見てたんだ。あんな風に育てちまった俺にも――」

「悪くないって言ってるっす!」

「んご!?」


 顔面を殴られ、ライズは無理やり口を閉じさせられた。


「……でも、あいつらはなんであんなに怒ってたのであるか?」


 理由がなければあれ程怒りはしない、とライズを責める気はないのだろうが、無邪気な疑問をキッシュが浮かべる。


「それがわからねぇから困ってるんだ。いや、色目を使われたとか話がつまらんとか、女三人に男が一人は体裁が悪いとかは言われたが……」

「女四人で付き合うから追い出されたのでしょう」


 ラビーニャの言葉に酒を噎せる。


「な、なんで知ってんだよ!?」


 と、言ってしまってから馬鹿みたいに口を塞ぐ。


「ペコから聞きましたわ」

「ちょ! ナイショの約束っすよ!」


 叫んでから、バツが悪そうにペコが言う。


「……だって、ライズさん良い人なのに、追い出すとか信じられないっす。なにか理由があるのかと思って――その……」


 義理を通したという事なのだろう。その先をペコは濁した。


「ハンナから聞きだしたってわけか」

「なんでわかったっすか!?」


 と、先ほどのライズの再現のように口を塞ぐ。


「他に聞き出せるような相手もいないからな」

「ハンナさんは悪くないっす! 自分が無理やり聞き出したっす!」

「怒りゃしねぇよ。てか、責められるなら、隠してた俺の方だろ」


 隠していたというよりは言わなかっただけなのだが、違いがあるかといわれればないようなものでもある。


「……わ、吾輩もその、知っていたのである……」


 悪戯の共犯を白状するようにキッシュが言った。

 ペコは自分じゃないと首を振るが。


「気になっているようでしたから、わたくしが教えましたわ。別に問題はなかったでしょう?」


 しゃあしゃあとラビーニャは告げるが、今となっては、言いづらい事を代わりに言って貰ったような心地である。


「……あぁ。面倒掛けたな」

「これでも色々気を使っているのですわ。そういうわけなので、お小遣いの値上げを――」

「借金がどれだけ残ってるか教えてやろうか?」


 半眼になって呻く。ラビーニャは借金と聞いて即座に視線をそらしたが。


(……こいつなりに励ましてるつもりなんだろうが)


 随分捻くれたやり方ではある。直接触れられるよりは、そんなやり方のほうがありがたい時もあるが。

 溜息一つでライズが流すと、ラビーニャは向き直って言ってきた。


「まぁ、わたくしの見立てではただの嫉妬ですわね」


 自信満々というよりは、見たままの事実だとでもいうように言ってくる。


「嫉妬だ?」


 ライズは顔をしかめた。どこを捻っても、そんな考えは出てこない。


「捨てた男がわたくしのように美しく有能で気品あふれる聖女と組んで鼻の下を伸ばしているのが面白くないのでしょう」

「そんな奴どこにいるんだ?」

「テーブルの下にでも隠れてるんすかね?」


 わざとらしく周りを探すと、ペコが息を合わせてテーブルの下を覗いた。


「……チッ」


 と、綺麗な事は認めるが、気品など欠片もない悪人面でラビーニャが舌打ちを鳴らす。


「だ、大丈夫なのである。ラビーニャは喋らなければ美人さんなのである!」

「余計なお世話ですわ」


 ジト目で睨み、ラビーニャはキッシュの頬を左右に伸ばした。


「な、なんれれあうあ!?」

「なんにしてもだ。今日の一件で俺もいい加減決心がついた――まぁ、今までついてなかったのかといわれると言い訳もできねぇが。あいつらはもう他人だ。金輪際、綺麗さっぱり忘れるよ」

「当たり前の事を偉そうに言われても困るのですけど」

「うっ……まぁ、そうなんだが」

「大体そんなだから、女絡みの女々しい噂を立てられんじゃないかしら?」

「……言っとくが、大の男だって泣くときは泣くからな」

「犯罪級の鈍感さの持ち主は、少しくらい泣きを見た方がいいと思いますわね」

「どういう意味だよ」

「別に。そこまで首を突っ込む筋合いもありませんし」


 わけが分からないが、説明する気もないらしい。


「ライズはそれでいいとして、向こうはどうするのかしら? あの様子では、顔を合わせる度にペコと流血沙汰を起こしそうですけど」

「自分は間違った事はしてないっす!」


 ラビーニャに視線を向けられ、ペコは胸を張って断言する。頼もしい反面、危なっかしくもある。シフリルが剣を引かなければ死んでいたかもしれないのだ。だからと言って、自分を庇ってくれた仲間を悪く言う事は出来なかったが。


「流石に向こうもそんな事は望んでないと思うが――いざとなったら、次からは俺が相手をするさ」

「それで、わたくし達のパーティーの面子が丸つぶれになるまで好きなだけ殴らせてやるんでしょうね。素晴らしい名案ですわ」


 見てきたように皮肉を言う。


「そんな事は……」


 咄嗟に否定しかけるが、言い切る事も出来なかった。


「人の性根はそう簡単には変わりませんわ。底なしの甘ちゃんに生まれたからには、死ぬまで底なしの甘ちゃんのままだと思いますけど」

「お、俺だっていざとなりゃ!」

「いざという時にまともな判断が下せるような男なら、借金まみれのギャンブル女を仲間に加えたりはしないと思いますけど」


 テーブルに頬杖をついて、欠伸までして言ってくる。


「褒めてんのか? 貶してんのか?」

「良かれ悪しかれ」


 からかうように言ってラビーニャが肩をすくめる。


「ラビーニャじゃないっすけど、自分もライズさんには出来ないと思うっす――っていうか、そんな事、して欲しくないっすよ」


 入り込めない隙間を覗くように、寂し気にペコが呟く。


「あいつらと向き合ってる時のライズは……見てられないくらい辛そうだったのである……」


(チビ共にまで見透かされてちゃ世話ねぇな……)


 強気な事を言ってはみたが、いざその場になれば、シフリル達と戦う自信はなかった。仲間とは、守る物だ。そう思って生きてきた――少なくとも、あの時からはずっと。


 仲間ではないと口で言うのは簡単だが――己の身体が納得していないのは、ライズ自身も嫌になる程分かっていた。


「この街を出るという手もありますわね」


 明日の朝食でも相談するように、気軽にラビーニャは言ってくる。


「わたくし達の目的を考えれば、いつまでも一つの街に留まっているわけにもいきませんし」


 意外ではない。抜け目のないラビーニャである。借金の返済に忙殺されても、その事は忘れていなかったらしい。


「……正直、俺もそれは考えたが――」


 このタイミングでそれを言うのは、ラビーニャを責める様で心苦しい。


「借金はどうすんすか?」


 と、そんな気遣いなど頭にないのだろう。他意もなくペコが言った。


「別に、どうする必要もありませんわ」

「踏み倒すつもりあるか!?」


 同じ事をライズも思った。いかにもラビーニャの考えそうな事である。


「踏み倒せるならわたくしもそうしたい所ですけど。この街から離れた所で、取り立てに来るヤクザが変わるだけですわ」


 ストラッドの話を思い出す。連中は債権を売り買いする事で、債務者に逃げられるリスクをなくしているそうだ。


「流石借金のプロっすね」

「嫌なプロなのである」

「じゃかあしいですわ」


 頬を抓ろうとラビーニャが手を伸ばすが、今度はキッシュが避けた。

 舌打ちを一つ。


「別に急ぐ必要もありませんけど。その気になれば、いつでも出ていく事は出来るという事ですわ」

「まぁ、街を出るにも先立つものがないからな。ヘソクリを溜めてからって所か」

「それだって、大きな仕事を一つこなして、そのままドロンで事足りますわ。必要なのはお金ではなく、ライズの覚悟だと思いますけど」


 一々正論だった。普段からこれくらい真面目にしてくれればと思うが、それはそれで息が詰まりそうでもある。勝手な悩みなのだろうが。


「あいつらを捨てる覚悟か」


 ひとり言のつもりだったのだが、ラビーニャは言い直してきた。


「わたくし達と共に勇者になる覚悟ですわ」


 見つめる瞳は、初めて見るような真剣さを纏っていた。

 他の二人も、似たような色で見つめてくる。


(……それはそれで、向き合わないといけない問題だよな)


 いままで曖昧にしてきたが、この三人には同じ目的があった。

 笑うつもりもなければ、邪魔する気もない。他の夢であれば、悩みもせずに手を貸しただろうが。


(……どう考えたって、こんな俺が勇者なはずないだろうが)


 王魔の時が来なければ、魔王もいない。魔王がいなければ倒しようがないし、魔王を倒せなければ勇者や聖女にもなりようがない。


 と、そんな問題の以前に、ライズにはどうしても自分が勇者になれるような器の持ち主には思えなかった。認めたくはないが、冴えない上に甘ちゃんのヘタレ野郎だ。真っ向から敵対するかつての仲間すら見限れない。そんな馬鹿な自分の為に格上の相手に喧嘩を挑み、恐れることなく血を流したペコの方が、余程勇者の器のように思える。


 ラビーニャとて啓示にしたがっているだけで、ライズに勇者の資質を見出したわけではないのだろうが――なれもしない勇者を目指すふりをして、三人の夢を振り回すのは不義理だろう。と、そんな悩みも呑み込んで、己を信じて勇者になる覚悟をしろと言っているわけだ。街を出るなら――つまり、このパーティーと共に歩もうとするのならば――なによりもその覚悟が必要なのだろう。


「……そうだな」


 心苦しく呟くと、ライズは向けられた視線から逃げるように酒を呷った。誤魔化すつもりはなかったのだが――実際は、誤魔化しているのと同じだろう。


 その話はそれで終わった。


 休日も終わり、翌日からはこれまでと同じ借金生活が続いた。


 それからしばらくして、ユーティア教会は正式に、王魔の時の始まりを宣言した。

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