六章

第29話

「なんだい、今日はやけに遅いじゃないか」


 翌日。

 美味しい仕事は愚か、まっとうな仕事ですらとうに捌けた頃合い――つまりは昼に近い時間だが。

 いつも通り黒瓜亭にやってきたライズに、ハンナは少しばかり意外そうに声をかけてきた。


「一人かい?」


 と、やはり物珍しそうに。


「今日は休みでね」


 皮肉っぽく笑ってやると、いよいよハンナも驚いた風である。


「休み? 借金はいいのかい?」

「いいや。まだまだたんまり残ってる」


 余裕ぶって告げるのは、貴重な朝の時間を惰眠で無駄にするのと似たような背徳感がある。


「臨時収入が入ったんだ。あいつらと組んでから働きづめだったしな。ここらでちょいと羽休めだ」


 そういうわけだった。女共にも多めに小遣いを渡して、今日は各々自由行動である。

 種を明かせばどうという事もない理由に、ハンナはふぅんと気もなく肩をすくめた。


「ま、無理して怪我しちゃ元も子もないしね。この辺りもいよいよ物騒になってきた。デカい仕事が入る前に、休みを取るのはいい事だろうね」

「デカい仕事? 何の話だ」


 聞き咎めて尋ねる。


「近頃危険な魔物が増えてるのは知ってるだろ? ついに王魔の時が始まったんじゃないかって話さ」

「たまたまだろ」


 女給に遅い朝食を注文しつつ言う。なにかの拍子に魔力が濃くなり、一時的に凶暴な魔物が増える事は珍しくもない。学者の話では、魔力は風のようにこの世界を流れており、様々な要素の影響を受けて濃くなったり薄くなったりする。大規模な魔力の偏りは魔力嵐とも呼ばれて、文字通り嵐のように不意に訪れ、厄介な魔物を大量に発生させる。その度に、王魔の時が来たと騒ぐ者が現れるが、本当だった試しはない。


(そんなもん、一生経験したくはないがな)


 内心で思う。王魔の時とは破滅の時でもある。魔物が増え、魔王論者も活気づく。魔王こそ、間違った世界を正す為に正しい神の遣わした真なる勇者であると信じるいかれた連中だ。悪人や、統治者に不満を持つ連中も、ここぞとばかりに悪だくみを始める――というのが、一般的な見方だろう。王魔の時を待ち望むのは、それこそ魔王論者か英雄志望の冒険者くらいである。ペコ達には悪いが、魔王など現れてくれるなというのが正直な気持ちだった。


「あたしだって最初はそう思ってたんだがね、近頃の魔物の増え方はどうもいつもとは様子が違う。行商人や遠くから来た冒険者の話じゃ、他所も似たようなもんらしい。ユーティア教会が近々宣言を出すって噂もある」

「そりゃ、噂ならなんでもありだ」


 噂と聞いて、反射的に顔をしかめるが。


(本当なら、ただ事じゃないな)


 と、多少の用心は生まれる。

 クレッセンが信仰している秩序と法の神ユーティアは、数ある神殿勢力の中でももっとも力が強いと言われている。ユーティア教会などと呼ばれるのも、街や国を越えた組織力を誇るが故である。秩序の神にして神々の王などと呼ばれるだけあり、王魔の時とも関りは深い。ユーティア教会の総本山では、啓示を受ける事に長けた特殊な神官を育成しており、世界の秩序を乱すような有事に先立って、大神ユーティアから啓示を得ようと備えている。有事には当然、王魔の時も含まれる――と言うか、元々はその為の備えなのだろうが。


 そういうわけで、王魔の時の始まりは、ユーティア教会の宣言によって確定される事になってはいる――が、この手の噂も、よくある事とは言わないが、稀にならある事だった。クレッセンの言い分では、啓示とは抽象的で、解釈が難しく、ただの夢と見分けるのも困難であるという。


 なので、教会もそれらしい啓示があったからとすぐに宣言を出す訳ではなく、他所の神殿と情報を交換し、慎重に審議した上で結論を出す。そのような動きが出た時点で噂は立つが、蓋を開けてみれば勘違いだったという事も過去にはあった。


 とはいえ、一度宣言が出てしまえば間違いはないだろうし、そうでなくとも、そのような噂が立っている以上、なんらかの災害が近づいている可能性は大いにある。もっとも、根も葉もない噂という可能性もあるのだが。クレッセンがいれば、ユーティア教会の情報を探って裏取りも出来ただろうが、無い物ねだりをしても仕方がない。


「ま、王魔の時は大げさにしても、物騒なのは事実さ。特に人食い森は酷いらしくてね。他所から来たあんた達冒険者は知らないだろうけど、あの森は王魔の時が来るたびにとんでもない魔物が溢れ出して、近くの村や街を滅ぼしてるのさ。街のお偉ら方も神経質になってて、宣言が出たら冒険者を送り込んで大掃除をしようって話が出てる。街中の冒険者を駆り出す勢いだよ」

「街中の冒険者ね……」


 思い浮かべたのは雪月花の三人だった。今は魔術士のレイブンを加えて四季と名乗っているらしいが。ライズを追い出して落ちぶれたという事もなく、むしろ以前よりも活躍しているという噂だ――三流店の黒瓜亭に居てすら、そんな話が聞こえてくる。


 思い浮かべたからには、性懲りもなくライズの胸はチクリと痛んだ。元気にやっているのは良い事である。こちらはこちらで、順調とは言えないが楽しくはやっている。それでも――つまらない見栄なのだろうが、負い目はあった。大掃除とやらで顔を合わせる事があったなら、きっと気まずい思いをするだろう。想像するだけで憂鬱である。


「……まだ引きずってるのかい」


 真面目な顔でハンナが聞いた。いっそ呆れてくれれば笑い話にも変えられたが、こうも心配されては、誤魔化しようもない。


「……そんなんじゃねぇよ」


 頬を強張らせてそっぽを向く。子供でももう少しマシな嘘が言えただろう。思っていた以上に――まぁ、思い出すたびに気づいてはいるのだが――棘は深く刺さっているらしい。


「折角の休みに余計な事を言ったね」


 バツが悪そうにハンナが肩をすくめる。


「散々愚痴を吐いたからな。そのくらいの義理はあるだろ」


 苦笑いで告げる。どちらかと言えば、そんな心配をさせてしまうこちらに非がある。

 ハンナは曖昧な表情を浮かべて仕事に戻った――というか、ライズの注文を作り始めたわけだが。


 詫びのつもりだろう。出てきた料理にはおまけがついていた。ハンナは新メニューの試食だと誤魔化したが。中にバナナの入った揚げ餃子の蜂蜜掛けといった代物だ。


「悪くない。うちの女共なら大喜びだ」


 感想ついでに追加の酒を頼むと、ハンナが呆れた顔で聞いてくる。


「たまの休みだってのに一日中そうしてるつもりかい?」

「いいや。もう何杯か飲んだらその辺の公園で昼寝してくる」

「で、酔いが醒めたらまた飲みに来るのかい?」

「よくわかったな」


 向こうは冗談のつもりだったのだろう。ライズの答えにハンナを目を丸くし、救いなしという感じで軽く両手を挙げた。


 やりたい事がないでもないが――という程やりたい事があるわけでもない。なんにしろ、遊ぶとなれば金が要る。ペコ達には言っていないが、ライズは臨時収入を借金の返済にあてる気でいた。魔王はいなくとも、三人には野心がある。勇者にはなれずとも、冒険者として名を馳せる事は出来る。それだって簡単ではないのだが、少なくともこんな街に腰を落ち着かせて叶う夢でもないだろう。今すぐという事ではないが、いずれは旅に出る事になる。そんな時、借金があっては身動きが取れない。


(……とか言って、本当はシフリル達から離れたいだけかもな)


 苦々しく認める。

 この街にいては、どう頑張っても忘れられそうにない。その程度には、街には彼女達と過ごした思い出が染みついていた。黒瓜亭ですら、彼女達と出会い、駆け出しの頃を世話になった店である。新生雪月花――四季の活躍を聞けば、見返すのは相当先になりそうである。そもそも、見返した所で気が晴れるわけでもないのだろう。寂しい気もするが、最近では、なかった事のように忘れてしまうのが一番だと思うようになってもいた。


 人の気持ちなど読めるはずもないが、哀愁が顔に出ていたのだろう。

 ハンナはなにか言いかけて、少し迷って飲み込んだ。

 なにを言いかけたにしろ、沈黙程の心遣いはなかったが。

 そう思っていると、不意に店の入り口がやかましく開いた。


「やっぱりっす! ライズさん発見!」


 狂犬の大声が店中に響き渡り、ライズはぎくりと身を固めた。


「……消えろ」


 飼い主を出迎える忠犬のような勢いで駆けて来るペコを見ないようにしつつ、ライズは光を曲げて姿を消した。


「なんで隠れるんすか!?」

「だぁ!? 耳元で叫ぶんじゃねぇ!」


 言葉通り耳元で叫ばれて、危うく椅子から落ちそうになる。おかげで術も解けた。うるせぇなと喧しそうに睨んでくる他の客は無視しつつ。


「なんだよペコ。今日は休みだって言っただろ」


 いつも通り意味もなく楽しそうな笑みを浮かべるペコに尋ねる。


「そうっす! だから、ライズさんに買い物に付き合って貰おうと思ったっす!」

「いや、買い物ぐらい一人で行けよ……」


 呆れて言うが、譲るつもりはないらしい。


「嫌っす! 自分田舎者っすよ!? 都会のお店とか怖いじゃないっすか!」


 そう言われると反論も難しいが。


「別に俺じゃなくていいだろ」


 良くも悪くもペコはライズに懐いている。まだ数か月の付き合いとは思えない程に、ライズも心を許していた。だからこそ、自分なんかではなく、他の二人と親交を深めた方がいいのではないかと思う。


「ライズさんがいいんす!」


 と、そこまではっきり言われると、いよいよ言い訳もない。懐かれて悪い気はしないが、恥ずかしくもある。周りの男冒険者など、露骨に嫌な顔をして舌打ちなど鳴らしている。


 正直断る理由も特にないのだが、一度断るような素振りを見せてしまった手前、素直には頷きにくい。

 そんな気持ちを察したのか、ハンナが助け舟を出した。


「どうせ酒飲みながらあたし相手にクダ巻くだけだろ、付き合ってやんな」

「……まぁ――」


 そうだなと答える間もなく、ペコがまくし立てる。


「なんすかライズさん! 折角の休みなのにやる事もなければ友達もいなくてハンナさん相手にキャバクラごっこするつもりだったんすか!? 冒険者の店はそういう店じゃないんでハンナさんにも迷惑っすよ! 話し相手が欲しいならちゃんとお金払ってしかるべき所に――」

「だぁ! わかったよ! 買い物でもなんでも付き合ってやるから大声で喚くな!」


 身も蓋もない事を言われて、ライズは思わずペコの口を塞いだ。


「ぺろぺろぺろ」

「――っうぉ!? やめろばっちぃ!」


 掌を舐められ、ギョッとして手を引っ込める。


「ふっふっふ、その程度で自分の口は塞げないっすよ! てか、話し相手が欲しいならいつでも自分が相手になるっすよ! しかもタダで!」


 と、両手をⅤにして迫って来る。


「嬉しくて涙もでねぇよ……」


 げっそりして呟く。


 まぁ、案外嘘でもなかったが。

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