第16話

「頼れる聖女様に乾杯っす!」


 ペコの音頭に合わせてジョッキを掲げる。

 一仕事終え、黒瓜亭で一杯やっている所だ。


 他の冒険者が、また新しい女を連れてやがると顔をしかめるのが見えたが、知った事ではない。大乱闘の日以来、少なくともこの店でライズに絡んでくる輩はいなくなった。狂犬のペコとその飼い主などと裏では相変わらず好き勝手言われているようではあるが――それこそ、こちらには頼もしい狂犬がついている。全くと言えば嘘だが、気にする事はなくなった。これもパーティーを組む強みではあるのだろう。恥ずかしいので口にはしないが。


「ぶはぁ~! ラビーニャは本当すごいっすね! 癒しの奇跡のお陰で薬代が浮いてウハウハっす! これなら念願のマッサージにも行けそうっす!」


 首尾は上々。ペコの向こう見ずは相変わらずだが、怪我は全てラビーニャの奇跡で治した。薬代が浮いたおかげで、久々に財布が暖かい。だからというのはそれこそ現金だが、とはいえ、金の悩みが減ったのは気分が良い。テーブルの上に豪勢な料理を並べても、今日は少しもやましくは感じなかった。


 ラビーニャは予想以上に出来る神官だった。変人ではあるが、賢く、強く、申し分ない奇跡を使う。下水掃除を卒業出来るのは勿論の事、これからはもっと上の仕事を受けられる。勿論それだけ実入りもいい。真っ当な仕事をこなせば、ライズにまつわる悪い噂も減るだろう。ペコ程ではないが、ライズも相当に上機嫌ではあった。


「疑って悪かった。大した奴だぜ、まったく」


 ラビーニャに向けてジョッキを掲げる。喉を通る酒も格別だ。普段よりもいい酒を頼んだからだが、それだけが理由でもないだろう。


 そして本日の主役だが。


「おーっほっほっほ! いい気分ですわ、もっと褒めなさい! わたくしは聖女となって歴史に名を残す女、美しくて有能な女神官なのですわ!」


 やはりこちらも上機嫌で、酒で頬を赤くしながら高笑いをあげている。最初は妙な奴だと思ったが、ようはただの褒められたがりらしい。そう思えば、褒められて素直に喜ぶ姿は微笑ましくさえある。


「神官が仲間になったんで、これからは難しい仕事もバンバン受けられるっすね! 冒険者として名を上げて、報酬もがっぽがっぽっす!」

「がっぽがっぽは言い過ぎだが、報酬額の高い仕事を受けられるのは確かだな。難しい仕事をこなせばパーティーの名声も上がる。そうなりゃ、俺も昔の仲間を見返せる」


 胸に刺さった棘に触れても、今日はさほど痛まない。仕返しなどといじけた事は思わないが、街でシフリル達とすれ違っても胸を張れるようになりたいという望みはあった。それが叶わなければ、いつまでも自分は負け犬のままだろうという予感も。ずっと先か、あるいは叶わぬ願いかと諦めの気持ちが胸の奥に潜んではいたが、ラビーニャ程の神官が加わってくれるなら、思いの他早く叶いそうではある。少なくとも、希望は持てた。


「頼りにさせて貰うぜ。ラビーニャ」

「勿論ですわ。わたくしが仲間になったからには、このパーティーの成功は決まったようなもの。箱舟に乗ったつもりで安心なさい。おーっほっほっほ!」


 こちらの期待を真っ向から受け取って、気後れもせずにラビーニャは笑う。そんな快活さも、頼もしくはあった。


「うひひひひ、お金が貯まったら勇者っぽい装備が欲しいっすね! かっこいい魔剣とか、鎧とか! 服もお洒落なのにして、靴も買い換えたいっす!」


 夢見るように言いながら、ペコがテーブルの真ん中に視線を向ける。そこには本日の報酬が入った皮袋が置いていある。これまでは遣る瀬無く萎んでいたそれも、今日ははち切れんばかりに膨らんでいる。夢を見たくなる気持ちも分からないではない。

 

「なら俺は、魔術士ギルドで新しい術でも教えてもらうかな」


 それなりに大きな街には魔術士のギルドがある。学者肌の魔術士の集まりのような場所で、魔術や魔術具などの研究を行っている。身につくかは本人の資質と努力次第ではあるが、金を払えば素人にも魔術を教えてくれる。ライズ程の術者になると、習いたいと思える術はどれも高価なものばかりだが。身一つの冒険者である。下手に荷物を増やすよりは、かさばらない術を習う事をライズは好んだ。


「ラビーニャはどうだ?」


 なんとはなしに尋ねる。金の使い道を聞けば、人となりもわかるというものだ。


「わたくしを飾るに足る美しい衣服と装飾品、あとは寄付を少々と言った所ですわね」

「寄付!?」


 素っ頓狂な声をペコがあげる。


「ラビーニャは神官だ。驚く事じゃないだろ」


 嗜めるが、内心では同じ気持ちである。正直に言えば、そんなタイプには全く見えない。が、見かけだけで人が分かれば苦労もない。それこそ、神官なのだ。自分の属する神殿に寄付をするのは珍しい事ではない。クレッセンなど、寄付が趣味のような女だった。秩序と法の神ユーティア。神々の王とも噂される大神を信仰し、神殿のみならず、孤児院などにも寄付をしていた。金配りのクレッセンなどと揶揄する者もいたが、ライズ達には誇りであった。


「そうかもしれないっすけど――自分には考えられないっす! せっかく稼いだお金を人にあげちゃうなんて!」


 世間知らずか若さ故か、食って掛かるという程でもないが、ペコは言った。


「情けは人の為ならずですわ。寄付をすれば、出て行ったお金が何十倍、何百倍にもなって戻って来る事もあるのです。わたくし、ちやほやされるのと同じくらい、そんな瞬間がたまらなく好きなのですわ――なんですライズ、変な顔をして」

「……いや。前の仲間が似たような事を言ってたもんでな」


 まぁ、クレッセンだ。神殿や孤児院の他にも、彼女は商売人にも寄付をする事があった。金配りのクレッセンの噂を聞きつけて、如何わしい連中が寄ってくるのである。大抵の連中はライズ達に叩き出されたが、本当に困っているように見える人間は、クレッセンが相談に乗り、金を預けていた。それっきりになる事も多かったが、なかにはその金で商売を持ち直し、それこそ何十倍もの礼をしに来る者もいた。そしてその金をまた別の者に預けるのである。自分のささやかな手助けで誰かが成功する姿を見るのが好きなのだとクレッセンは言っていた。お節介の気があるライズである。その気持ちは分からないでもなかった。


「まーたライズさんは昔の女の話をする! そーいうの、良くないと思うっすよ!」


 ペコが風船みたいにむくれる。


「悪かったよ」


 昔の女は人聞きが悪いが、ペコの言う通りではある。


「仕方ありませんわ。男というのはずるずるべたべたと、昔の事を引きずる生き物ですから。ですが、それも今日までですわ。このわたくしが仲間になったからには、昔の女など遥か忘却の彼方ですわ。おーっほっほっほ!」


 苦笑いでライズが肩をすくめる。


 三年も一緒に組んだのだ。そう簡単には忘れられない。嫌な別れ方をしたが、出会った事さえなかった事にしてしまうのは、それはそれで寂しい気もする。


 勿論、今は目の前の仲間達が大事だが。


「なんすかね?」


 店の入り口に視線を向けてペコが尋ねる。

 そちらを見ると、派手なスーツの男に連れられて、ガラの悪い連中がぞろぞろと入って来ていた。


「ヤクザの借金取りだ。ジロジロ見んな」


 声を潜めて教えてやる。

 犯罪者の元締めのような連中である。盗品売買、怪しい仕事の斡旋、暗殺業に賭博屋の経営。関わって良い事など一つもない。大方、どこかの馬鹿がギャンブルでデカい借金でも作ったのだろう。冒険者にはよくある話だ。


「マジっすか……ってライズさん!? あいつら、こっちに来るっすよ!?」

「はぁ!?」


 ぎょっとして振り返る。ヤクザの集団が怖い顔でやってきて、ぐるりとテーブルを取り囲んだ。

 リーダー格だろう。ゴロツキを従えて、派手なスーツにオールバックの眼つきの悪い男が凄んで見せた。


「見つけたぞ。約束の期限はとうに過ぎている。賭けの借金、今日こそ耳を揃えて返してもらおう」

「待ってくれ! 何の話だ? 賭けの借金なんて心当たりが――」

「部外者は黙ってろ!」


 ライズが言うと、男は吠えてテーブルにナイフを突き立てた。


「ひぇ!?」


 驚いてペコが腰を浮かす。


「部外者ではありませんわ」


 茫然としていると、ただ一人、涼しい顔で酒を飲みながらラビーニャが口にした。


「わたくし、今はこちらの方々と一緒にパーティーを組んでいますの」


 その言葉に、ライズもおおよその事情を悟る。


「ちょっと待てラビーニャ! まさかお前!?」


 慌てるライズに、ラビーニャはしたり顔で言うのだった。


「ギャンブルも寄付も、似たようなものですわよね?」

「全然違うわ!?」


 叫びながら、ライズは今更な事を思い出した。


 自由と運命、幸運を司る女神ダイアース。


 博打好きのこの女神は、ギャンブルの神でもあったのだ。

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