三章
第13話
「……また下水掃除っすか?」
黒瓜亭、今ではすっかり二人の指定席になった奥のテーブルで、朝飯を食べながら仕事の話を切り出すと、むくれた顔でペコが言った。
酒場での大乱闘から一ヵ月程経っている。
ライズもそろそろ文句を言われる頃だとは思っていた。
「嫌か?」
「嫌っすね」
はっきりと、間髪入れずにペコが言う。
予想通りなので、聞くまでもない事ではあったが。
開いた所で文句が飛び出す事は分かっていた蓋である。
だからまぁ、開いてしまえば当然文句が飛び出した。
「こう毎日じゃ流石に飽きるっす! 自分は勇者になりたくて冒険者になったんす! 世界を滅ぼす闇の魔王をやっつけるとか、悪い魔術士に攫われたお姫様を助けるとか、ドラゴンが守ってる遺跡ですっごいお宝を手に入れるとか! そういうでっかい事して伝説になりたいんっす!」
「まぁ、大抵の冒険者は一度は夢見る事だわな」
と、曖昧に頷いておく。
別に、馬鹿みたいだと思ったわけではない――大層な夢だと思いはしても。冒険者なら誰しも、大なり小なり似たような野望は持っている。ここまで堂々と恥ずかしげもなく口にする者は稀だろうが。
「大ムカデだって一人で狩れるようになったっすよ! そろそろ別の仕事をやっても良い頃だと思うっす」
煮え切らない態度に業を煮やしてか――単純にその場の勢いか――ペコはテーブルに手をついて腰を浮かせた。
安物のガラス玉みたいな瞳に見つめられ、溜息を一つ。それだけでは足りず、ライズは傾けた頭を掻いた。
「俺もそうは思うんだがな」
と、やはり曖昧な返事をしつつ。
「じゃあいいじゃないすか」
(……とはいかないから困ってるんだがな)
内心で呟く。
表に出たのは「んー」という唸り声だけだったが。
ライズとしても、いつまでも下水掃除などやりたくはない。駆け出しの仕事を奪うようで心苦しいし、外聞も悪い。臭いのは言うまでもないが、悪臭に鼻が慣れ始めているのも気に入らない。ペコを鍛えるにしても、同じ場所で同じ相手とばかり戦わせていると変な癖がつく。そろそろ潮時だとは思っていたのだ。
「なにがダメなんすか」
単刀直入に斬り込まれ、ライズは半眼になって理由を言った。
「強くなってるはずなのに怪我が減らねぇんだよな」
下水掃除の利点は移動時間がかからない事だ。空いた時間は稽古に回せる。午前中は剣と練気術の訓練に回し、昼飯を食ったら――昼飯を食ってから下水道に潜るのもどうかと思うが、食う前よりはマシだろう――下水掃除で魔物相手に実戦をやらせている。
ほとんど毎日、みっちり一ヵ月。それだけやればただの村娘も多少は戦えるようになる。そしてまぁ、ペコはただの村娘というわけでもなかった。勇者の末裔――と言っても、かなり遠いご先祖様だろうが――だからか、元々お転婆だったからか、飲み込みが良いとは言えないが、教えた事を自分なりのやり方で身につけてはいる――良かれ、悪しかれ。
初歩的な練気術のとっかかり程度は掴んでおり、練度は低いがとりあえず実戦に組み込んで戦力の足しくらいにはしている。剣もまぁ、相変わらず出鱈目ではあるが、床を叩く事は少なくなった。大ムカデも、楽勝とはいかないが、一応一人で倒せる事もある。
総括すれば、一ヵ月にしてはかなり上達した方だろう。基礎が固まり、練気術をまともに使えるようになれば一気に伸びる予感もある。
が、その割には怪我が減らない。というか、強くなった事を考えれば多すぎるくらいだ。その辺が良かれ悪しかれの悪しかれで、そういう性格なのだろうが、どうにも危なっかしい戦い方をする。ライズとしては、狂戦士を育てているような気分である。
一応注意はしているのだが――
「前衛なんすから、ちょっとくらい怪我するのは仕方ないっすよ」
――この通り、本人にまるで自覚がないのが困りものである。
「そんな事言えるのは下水掃除だからだ。雑魚相手だからかすり傷で済んでるが、本格的な仕事となるとそうもいかない。傷薬で治せる怪我にも限度がある。うちは神官がいないからな。癒しの奇跡がないとちっと不安だ。報酬もほとんど薬代で消えてる。もう少し手堅い戦い方が出来るようになるまでは下水掃除を続けた方がいいんじゃないかと思ってる」
と、一応説教をしてみるが、それもどうかという気はしている。手堅い鍛え方だとは思うが、過保護と言われれば反論も出来ない。だからまぁ、悩ましいのだが。
「ライズさんの魔術でどうにかなんないっすか?」
そんなライズの気も知らず、ペコは気楽に言ってくれる。
「出来たらとっくにやってる。基本的に魔術――というか魔操術だが――ってのはそこまで複雑な事は出来ないんだ。この世の全ては魔力を宿してる。で、それを操るのが魔術なわけだ。魔力を炎に変えて操るとか、地面を操って石の柱を作るとかな。単純に物質や現象を操る事と比べると、生き物の怪我を治すってのはとんでもなく難しい事なんだよ。俺に出来るのは精々血を固めて止血するくらいさ。で、その手の術は神官の領分って事になってる。祈りと共に神様に魔力を捧げて奇跡を起こして貰うのが神秘術だ。困った時の神頼みってわけだな。魔術みたいに小回りの利いた事は出来ないが、人間の魔術じゃ手が出ないようなインチキが出来る」
「はぁ~。凄いんだか凄くないんだか良くわかんないっすね」
「そこはまぁ一長一短だ。どっちも人気職だから、普通は両方入れとく」
体術に秀でた練気術を扱う戦士を一人に、便利に使える魔術士を一人、癒しや加護の使える神官が一人と、後は適当に一人か二人。その辺がよくあるパーティーの構成である。
「なるほどっす。じゃあ、神官を募集すれば解決って事っすね。そうすれば薬代も浮くし、怪我しても安心っす!」
「いや、危なっかしい戦い方を直せって話なんだが……」
「そんなのすぐには直らないっす。神官を仲間にする方が手っ取り早いっすよ」
それもまぁ、一理はある。究極的に言えば、戦い方は個性であり、矯正など出来ないか、出来たとしても歪なものになるだけという気もしないではない。教師ではないのだから、はっきりとした事は言えるはずもない。目先の事は勿論、長期的な事を考えてみても、神官を加えるというのは現実的でさえあった。
とは言えだ。
「簡単に言うなよ。考える事はみんな同じだ。人気者だけあってフリーの神官ってのは珍しいんだぜ。癒しの奇跡だって簡単な術じゃない。使える神官なんかそうそう見つからないぞ」
クレッセンなど、最初は本当に何一つ奇跡を使えない状態だった。そうでなければ、余程の問題でもない限り売れ残ったりはしない。
まともな神を祀る神殿では、神の教えを広め、体現する為に世に出て善行を成せと教えている。だから、冒険者になる神官がいるのである。そうして世俗に身を置き、様々な困難――連中に言わせれば神の試練か――を解決する事で徳を積み、神に近づく。その結果の一つが奇跡であると――神官達は神秘術という言葉を使いたがらない――クレッセンは言っていた――そして実際、彼女はこの三年で多くの奇跡を授かり、一流の神官になったわけだが。
それを知っているわけではないだろうが――
「そんな事言っても募集しなきゃ見つかるものも見つからないっす。自分達は伝説に名を残す勇者のパーティーになるんすから、神官は必要っす! 使えない奴なら自分みたいにライズさんが鍛えればいいっすよ」
逆に説教をするような調子で言ってくる。
(いや、俺は神秘術は使えないから鍛えようがないんだが……)
と思うのだが、駆け出し相手に否定ばかりでは言い訳めいて聞こえる。というか、実際の所言い訳でないという保証もなかったが。
(……つまりまぁ、たんに俺がビビってるだけって話でもあるんだよな)
苦い物を飲み下す心地で認める。何に対してかと言えば、仲間を増やす事にだろう。
認めるのは癪だが、ライズはまだ雪月花を追い出された事を引きずっていた。今の所、ペコとは上手くやっている。それこそ、上手く行き過ぎている程に。新たな仲間が加わって、それが壊れるのが怖いのだ。
(……が、そいつは俺の都合だ。ぐずぐず言ってたら、それこそペコにだって愛想を尽かされちまう)
我ながら情けないとは思うが。ペコの言葉を借りるなら、それこそ簡単に直りはしないという事だろう。あれから一ヵ月以上経ったが、胸の傷が癒えた様子はない。あるいは、癒える事などないのかもしれないが。
ともあれ、大事なのは、今は新しい仲間がいるという事だ。駆け出しで実力もなく、なにからなにまで面倒を見て貰っている分際で、ペコは遠慮なく言いたい事を言ってくる。利害関係ではなく、同じパーティーの対等な仲間として接してくるのだ――まぁ、単純に図太いだけと言えなくもないが。
そんなペコに報いると言えば大袈裟だが、真っすぐに受け止める義務はあると思う。
「……そうだな。探してみるか」
言葉にすれば、たったそれだけの事ではあるが。
「その必要はありませんわ」
「うぉ!? なんだ――」
突然話しかけられてぎょっとする。
「—―うぉ!?」
振り向いて、ライズは二度驚いた。
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