第12話

「あんな田舎臭い小娘にまで手ぇだして、見境のない野郎だ」

「知ってるか? あの野郎、下水掃除してたらしいぞ」

「はっ! どうりでドブくせぇわけだ! 折角の酒が不味くなるぜ」

「雪月花のライズも落ちぶれたもんだな。ま、元々女に食わせて貰ってたって話だ。噂通り、本当の実力はその程度って事なんだろ」


 聞こえるように言うと、一団はわざとらしく大声で笑った。つられて、他の冒険者も笑い出す。


「……なんすかあいつら。人が気持ちよく飲んでる時に、ムカつくっすね」


 座った目をして一団を睨むと、ペコが腰を浮かせた。


「やめとけ。不毛な喧嘩だ」

「いやっす」


 きっぱり言うと、ペコはのしのしと一団の方へ向かっていく。


「おいペコ! 止せって!」


 声を潜めて止めるが、聞く様子はない。


「おいこら! おっさん達! なに堂々と人の仲間の悪口言ってんすか!」


 と、チンピラみたいな言葉遣いで絡んでいく。


「うぉ、なんだ?」

「おい嬢ちゃん。よそ様捕まえていきなりおっさんはねぇだろ」


 大槌を担いだ禿げ頭の大男がペコを睨む。


「うるせーハゲ! 先に喧嘩売ってきたのはそっちっすよ! いきなりわけわかんない事言ってきて! どう考えたってそっちが悪いっす!」

「は、ハゲじゃねぇ! こいつは……お洒落だ!」


 真っ赤になってハゲが言う。まるでタコだ。


「まぁ待て」


 と、口髭の剣士が止めに入った。


「嬢ちゃんよ。駆け出しだから知らないんだろうが、あの野郎はクズだぜ。女癖が悪いんだ。前のパーティーは女三人に野郎が一人。それぞれに良い顔して、裏では手籠めにしてたって話だ。それがバレて追い出されたんだよ。仕事だって女任せで、自分は見てるだけのクソ野郎だ。悪いことは言わねぇ。仲間が欲しいなら、もうちっとマシな相手を選びな」


(なんだって?)


 口髭の男の言葉にライズは唖然とした。知らぬ間に噂が酷くなっている。タイミングの悪い事に、ライズはペコを鍛える為に一人で戦わせていた。手助けはしたが、誤解させるには十分な状況だろう。


 ペコは言い返せず、すごすごと戻って来る。むっすりと、愛嬌の消えた怖い顔でこちらを見下ろし、聞いてくる。


「ああ言ってるっすけど、本当っすか」


 別人のように冷え切った声だった。


 雪月花を追い出された時の事を思い出し、ライズの心臓が締め付けられたようにキュッと痛む。


 ペコの顔を見ていられず、ライズはジョッキの中に言葉を落した。


「……違う……そんな事、俺は、してない……」

「ちゃんと目を見て言って欲しいっす!」


 ペコが怒鳴った。そこにあるのは怒りか、軽蔑か、落胆か――恐らく、その全てだろう。そして、それだけでは足りないはずだ。


(……だからやめとけばよかったんだ)


 今更の後悔が首をもたげる。だから――なんて後出しに意味はないと分かっていても、悔やまないわけにはいかない。


 まぁ、当然と言えば当然だ。たかが一日二日の付き合いである。懐いて見えたのだって、馬鹿みたいに世話を焼いてやったからだ。三年連れ添った仲間ですら簡単に裏切るのだ。ペコがそうしない理由もない。


(……おしまいだな)


 認めてしまえば楽になった。死の宣告を受け入れるような心地を気楽さと呼べるのならだが。ともあれ、なにもかもが――本当に一切合切――どうでもよくなり、ライズは顔をあげた。


「……仲間に捨てられたってのは本当だ。けど、そんな理由じゃない。俺はあいつらに手を出した事なんか一度もないし、出そうと思った事もない」


 はっきりと言い返す。どうせ信じては貰えないだろうが。


「そうっすよね」


 憮然としてペコが頷く。

 くるりと反転すると、室内とは思えない速度で駆けだした。


「大嘘こいてんじゃねぇっすよこの野郎ー!」


 大声で叫び、ニヤニヤ笑いを浮かべていた口髭の腹に渾身のドロップキックを決める。


「うごぉ!?」


 油断していた所に一撃を食らい、口髭の男が吹っ飛ぶ――背後のテーブルをひっくり返しながら。


「な、てめぇ! なにしやがる!」


 ペコの凶行にハゲ頭が叫んだ。


「うるせーハゲ! それはこっちの台詞っす! この人はちょっと馬鹿なんじゃないかって思うくらい底抜けのお人よしなんすから! そんな悪い事出来るわけないんすよ!」

「え、お前俺の事そんな風に思ってたの?」


 指をさされ、愕然として呟く。ライズとしては、クールで頼れる先輩冒険者のつもりだったのだが。


「――じゃなくて、なにやってんだよ!」


 慌てて止めようとするライズの手をペコが叩き落とす。


「ライズさんこそなにやってんすか! こんな根も葉もない事言われて黙ってるなんておかしいっすよ!」


 と、今度こそ怒りを込めて。


「いやだって、仕方ねぇだろ。噂なんだから」

「は~。そんなんだからこんなカスみたいなハゲに舐められるんすよ。おかーたまも言ってたっす。言っても分からない馬鹿は拳で分からせろって!」


 今度はハゲを指さして。


「とーちゃんじゃなくて? こわ、お前んとこのかーちゃんこわっ!」

「本当っすよ! おかーたまは優しいっすけど怖いんすから! 何度殴られた事か……」


 しかも拳で分からされる側らしい。

 さもありなんという感じではあるが。


「おいガキ。誰がカスみたいなハゲだ!」


 カスみたいなハゲがペコに手を伸ばす。

 ペコはさっと身を躱し、ライズの背に隠れた。


「周りをよく見てこの店に他にカスみたいなハゲがいるなら教えて欲しいっすね!」


 ベロベロバーと舌を出して。凄まじい切れ味の煽りに、野次馬に回っていた他の冒険者達が笑い出す。


「てめぇ! ぶっ殺すぞ!」

「女だからって甘く見てりゃ調子に乗りやがって!」

「おいライズ! てめぇのツレだ! 落とし前はつけて貰うぞ!」


 ハゲ、口髭、地味男が順に言う。

 一触即発を超えて今まさに爆発中である。


「どうすりゃいいんだよ……」


 頭を抱えるライズに、これっぽっちも悪びれずペコは言った。


「舐めた事言う奴はみんなぶっ飛ばしちゃえばいいんすよ! ライズさんは仲間なんすから! ライズさんが舐められたら、自分も舐められるんすからね!」


 憤然としたペコに背中を叩かれる。


 小さな手の形に痛む背は、じんわりと熱を持った――まるで火がついたように。あるいは、その一撃がライズの内に憑いた悪霊を叩き出したような風でもある。


 つまりまぁ、吹っ切れたわけだが。


(……これじゃあ、どっちが駆け出しかわからねぇな)


 苦笑する。ペコの言い分は笑いたくなる程正しい。荒くれた冒険者の正論である。

 そんなありきたりの短慮さを持っていれば、こんな風に悩みもしなかったろうが。

 こんな時ですら、ライズはハンナの顔色が気になった。


「さぁ! 張った張った! ライズと向こうの三人、どっちが勝つ!」


 カウンターの向こうでは、ハンナが他の冒険者を焚きつけて賭けを始めていた。

 どうやら、暴れてもいいという事らしい。元々揉め事の多い三流店である。思い出せば、シフリル達と組んだばかりの頃も似たような事があった。あの時は三人にセクハラをした冒険者との喧嘩だったが。


「決まってら! 向こうの三人に賭けるぜ」

「名ばかり冒険者のライズが勝てるわけねぇよ!」

「おもしれぇ。なら俺は大穴で、ヒモのライズに賭けるぜ!」

「馬鹿ね。お金をドブに捨てちゃって。あたしは当然三人に賭けるわ」


(……あぁそうかい)


 どうやらというか、当然というか、ライズはかなりの不人気らしい。

 つまり、高倍率という事でもある。


「おいペコ」


 仲間思いの爆弾娘に軽い財布を放り投げる。


「それとお前の有り金、全部俺に賭けてこい」


 ライズの言葉に、ペコはそのまま空に上がって夜空の星になりそうな程目を輝かせた。


「はいっす!」


 ぱたぱたと駆けていくペコを見送ると、三馬鹿どもを振り返る。


 いつの間にか、女給や他の冒険者がテーブルを退かし、周囲は即席のリングに変わっていた。


「そういうわけだ。お前らに恨みはないが――」

「うるせぇボケ!」


 言ってる途中でハゲが殴りかかってきた。

 冒険者の心得――


(――戦いってのは冷静な頭でやるもんだ)


 後でペコに教えてやろう。


 怒りにませた大振りである。

 避けるまでもなく、ハイキックを横っ面に叩きこんで沈ませる。


 大番狂わせが起きたのだろう。

 その瞬間は、静寂が店を包んだ。


「――今晩の酒代になって貰うぜ」


 皮肉っぽく笑うと、ライズは言いかけていた言葉の続きを放った。

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