第11話

「遅いっすよライズさん! ペコちゃん、もうお腹ペコペコっす! ペコだけに!」


 黒瓜亭に戻った後。


 手前の受付で報告を済ませ、奥の酒場スペースにやってきたライズに、席取りをやらせていたペコが、ドカドカと焦れったそうにテーブルを叩いて言った。


「先に食ってていいって言っただろ」


 向かいに腰かけてライズは言う。


 壁際の、奥の席である。


 夕暮れ時である。店内は仕事を終えた冒険者で混み合い、受け付けにはそれなりに並ばされた。そうなる事は分かっていたので、料理は先に頼んである。傷だらけのテーブルには、ベーコン入りのマッシュポテトや大きな丸パン、豪快な肉料理や酒の入ったジョッキなどが並んでいる。ペコはほとんど文無しだったので、こちらもライズの奢りである。二人での初仕事という事で奮発した。駆け出しと組むのだ。それくらいの見栄はある。今日の稼ぎから薬代や宿代を引くと、ライズの取り分はゼロに近かったが。


 後ろから口を出してたまに魔術を放つだけで、ほとんどペコに任せていたから文句もない。甘やかしているなと思わないでもないが、雪月花を追い出されてからの孤独と憂鬱を思えば――まぁ、ライズなりにこの小娘には感謝する所がないではない。最初くらいはいいだろう。


「なに言ってんすか! 一人で食べたって楽しくないっすよ! ペコだけに!」


 むぅ、っと眉を寄せて言ってくる。


「……確かにな」


 しょうもない冗談はさておき、それには同意する。他の冒険者が仲間と楽しくやっている中、一人で飯を食べる寂しさは身に染みている――それこそ、嫌になる程。


「あー、なんだ。ともかく、今日は俺達の初仕事だ。だからって何があるわけじゃないんだが……」


 なんとなく流れで乾杯の音頭のようなものを口走るが――慣れない事をするものではない。言葉が続かず、マヌケな間が生まれる。


 恥ずかしくない程度に気取った台詞を探していると、気の短いペコが身を乗り出してジョッキをぶつけた。


「最高の出会いにっす!」


(……よくもまぁ、そんな台詞を恥ずかしげもなく言えたもんだ)


 呆れたわけではない。恥じたわけでもない。苦い笑みが込み上げるが、根元にあるのは意外にも尊敬だったのかもしれない。そこまで青くはなれないが、要約すれば、そんな台詞を探していた気もする。


「んが、んが、んが、んが……ぷっ、はぁ~! 一仕事終えた後のビールは最高っすねぇ!」


 一息に――本当に一息に――飲み干すと、白髭を作ったペコは景気よくジョッキを掲げ、女給を呼んだ。


「おねーさん! お代わりっす!」

「……最高の出会いに」


 飲みっぷりに感心しながら、ペコの見ていない間に小声で唱える。口にするには勇気が要ったが、言葉にすると、僅かに胸が軽くなったような気がした。


「んが、んが、んが……ぷはぁ~! うめ~っす!」


 と、流石に二杯目は一息とはいかなかったが、それでも半分程は減っていた。


「明日も仕事だ。あんまり飲みすぎるなよ」


 嗜めつつ、ライズも酒に口をつける。あまり飲まれると財布が厳しいが――そちらは最悪ツケにすればいい。他の店ならともかく、ハンナなら許してくれるだろう。


「へーきっすよ! 自分、記憶は飛んでも二日酔いになった事はないっすから! ペコだけに!」

「しつけぇよ! てか、一番タチが悪いやつじゃねぇか!?」

「あぁ~! 明日目が覚めたらライズさんと朝チュンしてたらどうしようっす……」


 ポッと頬を赤らめ――酒のせいだろうが――丸い頬に手を添えて、上目づかいで言ってくる。


 笑えない冗談に、ライズは酒を噴き出した。


「うぼぁ!? ばっちぃんすけど!?」

「うるせぇ! ガキが馬鹿言ってんじゃねぇっての!」

「ガキじゃないっす! ピッチピチの十六歳っす! お酒も飲めるし子供だって作れるっす!」


 と、クロスさせた両手でVサインを作る。


「やめろっての! 女だろ! ちったぁ恥じらいを持て!」


 周りの目を気にして、ライズはしかめた顔で口元に人差し指を立てた。


「うひひひ、ライズさんって面白いっすね。からかい甲斐があるっすよ」


 そんなライズを、ペコは濡れた目をして楽しそうに笑った。


「……おいペコ。まさか、もう酔ったのか?」

「よっへらいっふよ」

「どちゃくそに酔ってんじゃねぇか!」


「うひひひ、じょーだんに決まってるじゃないっすか。子供じゃないすから、このくらいで酔ったりしないっすよ。ヒック」

「全然信じられねぇんだが……」


 酔っているならタチが悪い。酔ってないなら猶更悪い。どちらにしろ最悪だ。


「いーじゃないっすか! おとーたまも言ってたっす。お酒は楽しく飲むものだって! ライズさんと自分が仲間になっためでたい日っすよ! じゃんじゃん飲んで楽しまないと!」


 と、三杯目を注文する。


(……こいつはマジでツケにしないとヤバそうだな)


 観念しつつ、ライズも二杯目を注文する。確かに言う通りではあった。酒は楽しく飲むものである。当たり前の事だが――思えば随分忘れていた。


 雪月花を追い出される直前の数か月は酷いものだった。三人とも妙に余所余所しく、食事の際も会話がない。沈黙を埋める為に飲んだ酒は味がせず、楽しくもなかった。最終的にはそれすらもなくなって、ライズは一人で食事をするようになったが。


(……終わった事だ。忘れちまえよ)


 久々の楽しい夜に自分で水を差すのも馬鹿らしい。内心でかぶりを振ると、二杯目に口をつける。


「おい見ろよ。あの野郎、性懲りもなく女連れてるぜ」


 これ見よがしに届いた声に、ライズはギクリと身を強張らせた。

 受付で報告を済ませた一団が、奥の酒場に入ってくるなり言ったのだ。

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