第10話
「ライズさん! このお風呂屋さんすごいっすよ! 普通のお風呂だけじゃなく、サウナとか薬草のお湯とか垢擦りにマッサージまであったっすよ!」
出て来たばかりの建物を指さしながら――腕をぶんぶん振り、早口にペコがまくし立てる。鳥の巣めいた癖毛はまだ濡れていたが、だからどうしたという風に元気よく跳ね散らかしていた。
「知ってるよ! てか、女風呂から話しかけんな! 恥掻いただろ!」
一足先に出ていたライズが言い返す。
下水掃除は臭いがつく。そうでなくとも、多感な女共と三年も一緒にパーティーを組んだのだ。仕事の後に風呂に入るのは――それが可能な状況ならば――ライズの日課になっていた。だからという程でもないが、ペコにも店を教えてやった。今回はまぁ、奢りである。魔術仕掛けのボイラーを使う風呂屋は小さな村にはないだろう。入る前から興奮していたが、入った後はもっと酷かった。
男風呂と女風呂の間には壁があるが、上の部分は換気用に空いている。よじ登ったのか、そこからひょいと顔を出し、「ライズさん! すごいっすよ! こんなでっかいお風呂初めてっす! うひょ~!」などと言ってきた。
色気のない顔立ちである。鈍い客はなんで小僧が女湯から? と首を傾げ、鈍くない客はギョッとして、ライズは冷静に――出来たかどうかはともかく、そう努めて――他人の振りをした。
が、しつこく呼ばれるので、結局怒鳴る羽目になり、周りの男客に白い目を向けられる事となった。
興奮冷めやらぬペコは、知った事ではないという感じだが。
「だってすごかったんすもん! いいな~マッサージ。お金に余裕が出来たら自分もやってみたいっす!」
うっとりと夢見る瞳で虚空を見上げて肩を抱く。マッサージや薬湯など、一部の――というか大半の――サービスは有料である。さほど高価でもないが、それでも駆け出しには勇気のいる額ではある。
「なら、もっと上手く戦えるようにならないとな。攻めっ気があるのは良い事だが、無暗に突っ込みすぎだ。傷薬と解毒薬の分を引いたら幾らも残らないぞ」
あの後も仕事を続けた。大ねずみに加え、大ゴキブリを数匹、大ムカデをもう一匹に、下水道の浄化用に放たれた改造スライムの間引きなどを行った。
基本的にはペコ一人でだ。危なくなれば助けに入るが、それでも無傷とはいかない。怪我に慣れるのも訓練の内と心を鬼にしたのだか、案外ペコはけろっとしていた。戦っている最中はかすり傷など気づきもせず、終わった後には大騒ぎするが、それも次の魔物が見つかるとすぐに忘れて突っ込んでいく。普通駆け出しは怪我を恐れるし、一度怪我を負わされた相手には暫く腰が引けるものなのだが。
才能と言えば聞こえはいいが、嬉しい誤算かというと難しい所でもある。勇気と無謀の差は紙一重だ。仮にそれが勇気だとしても、臆病者より死にやすい事には変わりない。
おかげでペコは傷だらけで、持参した薬をほとんど使いきった。月光瓶と同じく、錬金術士の店で揃えたまぁまぁ値の張る薬である。
「げ、マジっすか」
夢から覚めてペコが顔をしかめる。
「錬金術士の薬だからな。神官の使う神頼みの奇跡には負けるが、それでもかなりの効き目がある。ネズミに噛まれた傷だってもう塞がってるだろ? その分高いんだよ」
言った所で納得しなかったのだろう。
ペコは存在しない傷を睨んで恨めしそうに口を尖らせた。
「なんか勿体ないっすね。ちょっとした怪我ならそのままでもよくないっすか?」
「冒険者の心得だ。ケチケチすんな。命に係わる金は特にな。大体、下水道に住んでる魔物だぞ? かすり傷だって放っておいたらどうなるかわからねぇ。病気になる程度ならまだいいが、酷けりゃ腐って落ちるぞ。軟膏一つでどうにかなるなら安いもんだろ」
噛んで含めるように言い聞かせる。まぁ、気持ちは分からないでもないが。
錬金術士の傷薬はただ傷を塞いで治すだけでなく消毒の効果もある。というか、そういう物を選んで買っている。ライズ自身、以前薬代をケチったせいで高熱を出して死にかけた事があった。
「た、たしかに、それは怖いっすね」
ようやく分かったのか、ペコはぶるりと震えて腕を撫でた。
「てーかペコ。冒険者っつったってお前も女だろ。怪我をするのは仕方がないにしろ、身体は大事しろよ」
ちんちくりんでも一応は女だ。軽い傷なら、ちゃんと手当をすれば傷は残らない。
そんな気遣いも、女三人と組む内に自然に身に付いた。ただそれだけの事ではあるのだが――
「――なんだよ」
無暗に大きな目をぱちぱちさせながら見返すペコに聞く。
「冒険者って、もっと乱暴で自己中な人ばっかだと思ってたんで……」
怪訝が消えると、ペコははにかみ、まだ濡れた癖毛頭をぐりぐりとライズの肩に押し付けた。
「うひひ、ライズさんみたいな人と組めて自分、ラッキーっす!」
「だぁ! やめろ! 鬱陶しい! 折角着替えた服が汚れるだろ!」
それはまぁ、照れ隠しだが。
風呂屋の中には洗濯のサービスをやっている店もある――勿論有料だが。預けておけば翌日には乾燥まで終わっている。受け取った服に着替えて脱いだ服を預ければ手間がないし、その程度の衛生観念がある人間はついでに風呂に入っていく。店側としては、常連客を捕まえた上に毎日来させ、二重に金を取れる美味い仕組みである。贅沢と言えば贅沢だが、一度慣れてしまうとやめるのが難しい程度には気持ちのいい習慣である。
「お風呂上がりのピカピカペコちゃんっすよ! 汚れるわけないじゃないっすか! もう、ライズさんのて、れ、や、さん――イデッ!?」
むぅ! っと膨れ、色気のない身体でくねくねと踊るペコの鼻面を、ライズの指がぺしんと弾いた。
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