第9話
通路の先を顎で示す。
「あれ? なんかいるんすか?」
小首を傾げ、ペコは目を凝らした。それは月光瓶の明かりの外にいるが、目を凝らせば、暗闇の中に蠢く影くらいは見えただろう。
「見える敵にしか気づかないようじゃ三流だ。魔力ってのはなにも、魔術士だけの領分じゃない。人は――というか、この世の中の万物はそうなんだが――魔力を宿してる。そして、その気になれば操る事が出来る。見るように、聞くように、嗅ぐように、触れるように、味わうように、魔力を感じるんだ。そうすりゃ暗闇どころか、後ろにいる相手だって分かる。言っとくが、この手の技は魔術士よりも戦士や狩人なんかの方が得意なんだ。何が言いたいか分かるか?」
「わかんないっす!」
元気よく即答する。
「振りでもいいから考えろ!」
「振りでいいんすか?」
「いや、よくねぇけど……だぁ! とにかく、お前もがんばりゃ出来るって事だ!」
勿論相性や才能によるが。
「お前が使ってる勇者の剣ってのも、言っちまえば生まれつきの魔術みたいなもんだからな。あれが使えるって事は、最低限の魔力に対する感応力はあるはずだ。あとはそれをどういう方向に伸ばしてくかって事になるが――まぁ、剣を使うなら、練気術が妥当だろうな」
「なんすかそれ?」
「練り上げた魔力を纏って肉体や身に着けた物を強化する――まぁ、殴り合いに強くなる術とでも思っとけ。こいつを極めた剣士なら、その辺の棒切れで鉄だって斬れる。目を強化すれば、闇を見通す事も出来るぞ」
「すげーっす! それ! 出来るようになりたいっす!」
魔術と一口に言っても色々な種類がある。所謂魔術士と呼ばれるような連中が使うのは、厳密には魔操術と呼ばれる術だ。字の如く、魔力によって事象を操る術である。炎を生み出し、光を曲げ、大気中の水を集めて、大地を隆起させる。まぁ、単に魔術と呼ばれる事の方が多いのだが。出来る事が多いだけに器用さを求められる。
一方の練気術は、術の特性上当たり前だが、戦士のような殴り合いを得意とする連中が好む。出来る事は限られるが、その分シンプルで、シンプル故に扱いやすい。とはいえ、別にどちらかしか使えないという事もなく、素養があって努力すれば、両方身につける事も出来る。実際ライズはそうだった。とはいえ、異なる系統の術を学ぶのは大変なので他人には勧めないが。ライズにしても、メインは魔操術で、練気術はおまけのようなものである。それでも、初歩の手解きくらいは出来る。
「というか、俺と組むならその程度は出来るようになって貰わないと困る。仕事が終わったら稽古つけてやっから、そっちも覚悟しとけよ」
ライズとしても、のんびり悠長に育てるつもりはない――それは三人の時も同じだったが。ペコが使えるようにならなければ、こちらもろくな仕事を受けられないのだ。
大変さを理解していないのだろう――まだやってないのだから当然ではあるが。ペコは飛び上がって喜んだ。
「マジっすか! やったー! やっぱりライズさんを仲間にしたのは正解だったっす!」
(仲間にした、ね)
内心で苦笑いを浮かべる。ライズとしては、仲間にしてやったという感じだが。まぁ、それを言うのも大人げない。
「なんでもいいが、わざわざそんな話をしたのはだ――あのムカデ野郎は、なにがしか術が使えなきゃ倒すのは難しい相手だから」
蠢く影を眺めながらニヤリとする。
「ムカデなんすか?」
暗くて見えないのだろう。驚くペコに、ライズは自身の目元を指さした。
「初歩的な暗視の術だ。多少の暗がりならそれなりに視える」
熟達者なら完全な闇の中でも見えるだろうが、流石にそこまでの実力はない。
ともあれ、止めていた足を動かして近づく。
「大ムカデだ。下水道に湧く魔物の中では手ごわい部類だな」
程なくして、ペコの目にも見えたらしい。
「うげぇ……でっかいムカデっすね」
顔をしかめて言う。まぁ、言葉通りにでかいムカデだ。全長はライズよりも大きいだろう。全身は赤銅色の鎧を着たようで、ぬめるような光沢がある。それが、とぐろを巻いて絞め殺した大ねずみを頭から貪っている――ペコが顔をしかめたのはそのせいだろう。
「じゃ、頑張れよ」
呟くと、ペコはぎょっとしてこちらを向いた。
「あれを一人でやるんすか!?」
「手出しはしないと言ったし、ヤバかったら助けてやるとも言った。ちなみに麻痺性の毒を持ってるが、ちゃんと解毒薬も用意してあるぞ。至れり尽くせりだ」
「わーい」
半眼に棒読みでペコが言う。
「俺だって昨日の今日でアレに勝てるとは思ってないが――鍛えて欲しいんだろ? 手っ取り早く強くなりたいなら、強敵と戦って負ける事だ。死なない程度にな。そうすりゃ嫌でも学ぶ。文字通り、痛い目を見てな」
厳しいとは思わない。むしろ甘いくらいだ。死ぬ心配はなく、薬の準備もある。これ程恵まれた環境で戦える駆け出しはいない。自分が逆の立場なら、だからなんだと不貞腐れるだろうが。
ペコはそこまで捻くれていなかった。むしろ、真っすぐ過ぎるくらいである。
大ムカデをじっと睨むと、ふんすと鼻息を荒げた。
「たかがでっかいムカデっす! 今日はライズさんに買って貰った剣と盾もあるんすから! あんな奴サクッと倒して、臭い下水道にはおさらばするっす!」
空元気に見えたが、案外本気なのかもしれない。実力差が分からないのも駆け出しの悪い所だ。普通はライズのようなお守りなどいないから、力量を見誤れば後悔する機会もなくあの世に行く。そういう意味でも、早めに強敵と戦わせて負ける感覚を覚えさせるのは重要である。
(それとも、本当に倒しちまうか……)
そんな事は有り得ないが――とは言え、勇者の末裔だ。もしかしたらという期待もある。
「やってみろよ。出来るもんならな」
面白半分に発破をかけると。
「やってやるっす! そんで、勇者になるっすよ!」
大きな瞳にきらきらと決意の輝きを宿して。
「うりゃりゃりゃりゃあああああ!」
ペコは駆けだした。
大ムカデもこちらに気づいてはいたろうが、ネズミを食うのに没頭していた。渋々という風に獲物を放り出し、鎌首をもたげる。
「――うりゃああああ!」
大ねずみとの戦いで身体が暖まったのか、今回の一撃にぎこちなさはなかった。むしろスムーズで、会心の一撃とさえ言えた。
振り下ろした刃は大ムカデの脳天を的確に捉え――
――キン!
滑らかに歪曲した外殻にあっさり弾かれ、勢いのまま床を叩いた。
「なんでぇ!?」
つんのめり、衝撃で痺れた手に顔をしかめつつ、悲鳴のような声をあげる。
「それだけデカいんだ。甲冑並みに硬いぞ」
まぁそうなるよなと当然の結果に苦笑する。
昆虫系の魔物の厄介な所である。大きくなればそれだけ外殻も厚くなり、強度も増す。練気術も身に着けていないただの小娘が、なんの魔術も付与されていない安物の小剣で貫ける道理はない。
それでもペコは諦めず、暫くがちゃがちゃと斬り合ったが、数え切れない隙の一つを突かれ、全身をぐるりと大ムカデに巻きつかれた。
「ひぇぇええ!? キモいキモいキモいキモい! ライズさん! 助けて欲しいっす!?」
目の前に迫った大ムカデの大顎を盾で押し返しながら、涙目になってペコが呼ぶ。
(ま、思ったよりは頑張ったか)
駆け出しにしてはだが――勿論、勇者には程遠い。
ともあれ、ライズは練り上げていた魔力を解き放ち――
「――魔弾よ」
飛び出した魔力の砲弾が、あっさりと大ムカデの頭を吹き飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。