二章

第8話

「うりゃりゃりゃりゃああああ!」


 夜とは違う薄闇に、どこか間の抜けた雄叫びが反響する。 

 半円形のトンネルの中央を汚水が流れる、ライバーホルンの地下下水道である。


 闇を照らすのは伝説の勇者が使ったとされる光の剣――ではなく、魔術士の生み出した光球でもない。首から下げた小瓶である。それが、月のように冷たい光を放っている。


 月光瓶である。錬金術士の店で買ったものだ。使い捨てで、先の尖った栓を押し込むと、先端の小袋が潰れて中の薬液が混ざり、数時間程発光する。光量は松明と大差ないが、両手が空き、取り回しも便利で、胸元に入れれば簡単に隠す事が出来る――ただし、松明よりも高価ではあるが。


 光球を浮かべればタダだが、何時間も追従させるとなるとそれなりに疲れる。別行動を取る事もあるだろうから、慣れさせる意味で買い与えた――つまり、二人の首からぶら下がっているわけだが。


 駆け出しへの餞別は他にもあった。


 しゃにむに駆けるペコの右手には、安物の小剣が握られている。そして、左手には同じく安物の、金属製の丸い小盾だ。


 聞けば、兄から剣術を習っていたという。親指ナイフでは話にならないので、投資のつもりで買い与えた――おかげで財布は空っぽになったが。


 で、腕試しに下水掃除の仕事を請け負った。


 掃除と言っても片付けるのはゴミではなく――まぁ、なにかの理由で水路が詰まれば、本当にドブ攫いをさせられる事もあるだろうが――下水道に湧く魔物である。


 大きな街にはそれだけ多くの工房があり、それらの垂れ流す排水は魔力を含んでいる。それにより、下水道の魔力が濃くなり、ちょっとした魔境のようになる。つまり、魔物が生まれるのだが。


「――ああぁぁぁ……はぁ、はぁ、はぁ、うりゃああああ!」


 気合が入り過ぎたのだろう。あまりに遠くから雄叫びを上げたせいで、ペコは途中で息切れを起こしたらしい。立ち止まって息を整えると、改めて声をあげる。


 ヂュウウウウ! と答えたのは、ちょっとした犬程もある大ねずみである。


 尖った鼻先を低く下げ、丸い尻を突きだすように低く威嚇している。汚れた前歯はさして鋭くもないが、人の指くらいなら簡単に噛み切るだろう。四肢の爪も、ただ大きなだけのネズミではないと思わせる程度には禍々しい。それでも、この下水に湧く魔物の中では弱い部類だ――つまりは最底辺の魔物で、大バッタにも僅かに劣る。まぁ、駆け出しを鍛えるにはうってつけの相手という事だ。


(……さて、お手並み拝見といくか)


 いつでも魔術を放てるように準備はしつつ、ライズは少し後ろから様子を見守った。

 そんな風には見えなかったが、一応ペコも緊張しているらしい。振り下ろした剣はぎこちなく、あっさり避けられ石造りの通路を叩いた。


「あー!」


 っと、早速刃こぼれしたおろしたての剣に悲鳴をあげる。その隙に横に躱した大ねずみが首筋を狙って飛び掛かるが――こちらは盾で防いだ。


「ヂュウウウウウウ!」

「あわわわわ!?」


 小盾の縁を爪で掴み、大ねずみが顔面に噛みつこうと身を乗り出す。ペコは悲鳴を上げつつ――


「――キモいっす!」


 咄嗟に小剣の柄頭で叩き落とした。


(……まぁ、センスはあるな)


 と、甘い評価を下している事は自覚しつつも、とりあえずライズは長所を認めた。兄に習った剣術とやらは、十中八九我流だろう。お世辞にも綺麗な型とはいえず、そもそも型らしきものすら伺えない。


 が、むしろそれは好都合だった。型とは相手を想定し、対処する為の工夫である。嵌れば強いが、そうでなければ的外れだ。対人用の道場剣術は、魔物と戦うには役に立たない事の方が多い。体の構造からして、人と魔物はかけ離れている。大きさも間合いもまるで違う。地を這い、空を飛び、硬い甲殻や不定形の身体を持ち、時には魔術まで使う魔物相手に戦うなら、決まった型はむしろ邪魔だ。相手と求める結果に合わせて、その都度戦い方を変えなければ――生み出せなければ――冒険者は務まらない。


 そういう意味では、ペコの剣は出鱈目だが、少なくとも自由ではあった。不器用だが、武具を手足の延長として捉えている。なにより、二度目の実戦で力いっぱい床を叩く程の自信を持った剣である。それだけで、駆け出しなら合格点をやってもいい。


 実戦に必要なのは第一に自信だ。それは確信とも言い換えられる。殺意とまでは言わないが、少なくとも当たると思って振らなければ当てたとこでろくな結果にはならない。ペコの剣に技はないが、必殺の意思だけは感じられた――たんに能天気なだけという説もあるが。


 叩き落とされた大ねずみはすぐに起き上がり、頭を振って威嚇しようと顔を上げる。というか、そうしようとした。


「貰ったっす!」


 ペコは何の躊躇もなく大ねずみの胴体を踏みつけて、逆手に構えた剣を真下に突き刺し、首を落した。


「しゃあああああらぁぁぁ! どうっすかライズさん! でかいネズミくらい、自分の敵じゃないっすよ!」


 大ねずみの尻で剣先の血を拭うと、ペコは振り向き、嬉しそうにVサインを向けて来る。


「……いや、むしろ手際が良すぎてキモいんだが。趣味で動物虐待してたとかじゃないだろうな……」


 半眼になって呻く。傭兵や狩人上りでもなければ、大抵の駆け出しは魔物――特に動物系の魔物を殺す事に多少なりとも躊躇を覚えるものなのだが。実際、前の三人は吐いたり泣いたりで慣れるまで大変だった。


「そんな事しないっすよ! おにーたまと一緒に、畑を荒らす害獣退治をやってただけっす! もぐらとか、普通のねずみとかっすけど。デカいだけなら大体一緒っす」


 ふんすと、得意気に胸を張る。


「そんなもんか」


 肩をすくめる。

 田舎娘と侮っていたが、田舎娘だからこその逞しさというものもあるのかもしれない。


「うひひひ、意外に戦えるんで、びっくりしてるっすね?」


 口元に手を当てて、にやにや笑いで脇腹を小突いていくる。


「それもあるが、そんだけ使えるのになんで武器を持ってなかったかの方が疑問だな」


 まともな武器を下げていれば、周りの反応も多少は――まぁ、ちんちくりんのペコなので、大差はなかったのかもしれないが。


「餞別じゃ武器と防具どっちかしか買えなかったっす! 武器は勇者の剣があるんで、だったら防具かなって」

「あの親指ナイフによくそんな自信が持てるな」


 大バッタの外殻を突き通したのだ。伝説の勇者の術というだけあって切れ味はそれなりにあるのだろうが、いかんせん短すぎる。

 呆れるライズに、心外そうにペコは口を尖らせた。


「勇者の剣っす! 変な名前つけないで欲しいっす!」


 明後日の返答すると、ペコは思い出したように顔をしかめた。


「それにしても、酷い臭いっすね。早く上がって娑婆の空気を吸いたいっす」

「なに言ってんだ。仕事はまだ始まったばかりだっての。あと、大ねずみをやったくらいで調子に乗るなよ。あんなのは雑魚中の雑魚だし、ここには他にも手ごわい魔物がいる」


 駆け出しにとっての話ではあるが。


 腕試しもそうだが、ここにはペコを鍛える為に来ていた。そうでなければ、今更下水道掃除など受けはしない。駆け出しか、三流の受ける汚れ仕事ともっぱら馬鹿にされているのだ。はっきり言えば、白蛇亭で仕事を貰える程の冒険者がやる仕事ではない。そういうわけで、基本的には見ているだけと言ってある。勿論、ピンチになれば助けるつもりだが。


「暫くはここに通うぞ。覚悟しとけよ」

「え~」


 いかにも不満そうに顔をしかめる。


「俺だって嫌だが、この仕事は駆け出しを鍛えるにはうってつけなんだ」

「そうなんすか?」


 視線で辺りを示す。


「暗くて入り組んだ下水道は迷路みたいなもんだからな。出て来る魔物は決まってるし、強さも手頃だ。危なくなったら適当な出口から逃げればいい。あと近い。臭い事を除けば、金の貰える修行場みたいなもんだ」


 臭いから、かっこ悪いからと嫌う者は多いが、ろくに戦闘経験のない駆け出しが背伸びをしても犬死にするだけだ。大抵の仕事はいつどこでどんな敵が襲ってくるかも分からない。街の外で――こんな仕事でもなければ大抵街の外で仕事をする事になるのだが――怪我をすれば命に係わる。


 いつ襲われても反応出来るような心構えや敵の気配を察する勘は、場数を踏まなければ身につかない。そして、それが備わっていない駆け出しの多くは、武器を抜く暇もなく――あるいは相手の存在に気づく間もなく――先手を取られて死ぬ。


 簡単に身に着くものでもないが、それでも数週間も下水道に籠れば、下地くらいは出来るだろう。そこから徐々に積み上げていく予定だ。


 一応は三年で素人を一流の冒険者に育て上げたライズである――まぁ、シフリル達の努力と才能がほとんどだとは思うのだが――その経験を生かしたい所だ。実力差があり過ぎるパーティーである。先の事を考えればこそ、ペコにはしっかりと下積みをやらせた方がいいだろう。急がば回れという奴である。


「だから、最初に言ったが、基本的には俺は手出ししない。ヤバくなったら助けるし、薬だって用意してあるが――そうだな。俺の手を借りずにここの魔物を倒せるようになったら合格って所か」

「楽勝っす! こんな所、今日で卒業してみせるっすよ!」


 大ねずみを倒して、ペコは明らかに調子に乗っていた。あんなのはそれこそ、棒切れを持った一般人でも倒せる相手だが、それは言わないでおいておく。

 代わりではないが、ライズは足を止めて言った。


「あれを見てもそんな事が言えるか?」

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