第6話

「うぅ……勢いで来ちゃったっすけど、明日にすればよかったっす……」


 見渡すと、ペコは怯えるように身体を抱いた。


 夜が迫っていた。太陽は沈みかけ、茜色が空の端から追い出されて行く。それでも木々の間から覗く空は、まだ僅かに森を照らしていた――が、それが消えるのも時間の問題だろう。


 それがなにを意味するのか理解していれば、一目散に森の外へと駆けるのだろうが。そうする事もなく、愚かな娘は頬を叩いて気合を入れた。


「ちょっと暗いくらいなんてことないっす! 自分は勇者の末裔、光剣のロッドの力を受け継ぎし美少女なんすから! 暗闇なんかへっちゃらっす!」


 鼓舞するように大声で独り言を吐く。

 返事をしたわけではないだろうが。

 近くの茂みががさりと揺れて、ペコはみっともなく悲鳴を上げて飛び退いた。


「ひぇえええ!? お、おとーたまぁ!?」


 現れたのはバッタだった。ただし、中くらいの犬程もある。森の魔力を宿して巨大化した、その名もずばり大バッタと呼ばれる魔物だ。


 魔物の中では弱い方だろう。バッタらしく、虫けら並の知能しかない。魔術の類も使わず、大きい事を除けば、特別な力など何一つない。とはいえ、ただの大きいバッタというだけで、その辺の村娘には十分すぎる程の脅威ではあるのだが。


 巨大化した虫の外殻は硬く厚い。板金鎧とは言わないが、それに近しい強度がある。発達した後ろ脚の脚力は凄まじく、ひとっ跳びで砲弾の如く加速する。中くらいの犬と言えば、重量もある。体当たりの威力は馬鹿に出来ない。噛む力も強く、人の肉など容易く噛み千切る。毎年何人かは、これにやられて死者が出る。その程度には危険な魔物だ。 


 そんな事は知らなくても見れば理解出来そうなものだが――とくに考えもしなかったらしい。多少の怯えは浮かべるものの、それよりもようやく目当ての魔物を見つけた安堵の方が勝ったようだ。


「やっと来たっすね! お前をやっつけて、自分は勇者に――って、うひゃ!?」


 ずどん! と、足音を響かせて、大バッタが跳ねた。ペコは慌てて身を投げ出す。武術の心得でもあるのか、それともたまたまか、ギリギリではあったが、初撃は躱した。


「人が話してる時にズルいっすよ! って、ちょ、待つっす!?」


 待つわけもなく、大バッタが再び跳ぶ。大地を蹴る度、爆音に似た音が響き、土の地面にくっきりと足跡を残す。


 とろそうな見た目の割には、ペコは案外すばしっこく、派手に地面を転げまわりながら、間一髪の所で大バッタの体当たりを避け続けた。


 ――が、それもいつまでもは続かない。


 実戦は体力の消耗が激しい。程なくしてペコは疲弊し、犬のように舌を出して息を荒げた。動きは目に見えて鈍くなり――本人もそれを自覚したのだろう。

 避けられないと思ったのか、逃げ回るのをやめて、迎え撃つようにして腰を落した。


 そこに、一直線に大バッタが突っ込んでくる。


「ぐえぇ!?」


 なすすべもない。武器はなく、頼りの光剣を出す間もなかった。腹のど真ん中に体当たりを受けて、ペコの身体は冗談のように吹き飛んでいく。そのまま、背後の木に叩きつけられた。腹には突き刺さったように大バッタがしがみついている。そのまま腹を食い破るつもりらしいが――


「――うひひ、捕まえたっすよ」


 痛みに咳込みつつ、獰猛な笑みを浮かべてペコが呟いた。


 両ひざの内側で大バッタの顎を挟み込み、左手は枯草色の触覚を根元から掴んでいる。右手は高く掲げ、死にかけの夕暮れを掴もうとするように強く握った。


「勇者の剣っす!」


 光が溢れ、親指程の長さの光剣が逆手に伸びる。


 あとはただ、一心不乱に大バッタの頭部へと突き立てた。


「おらおらおらおら~! 野望の為に死んでくれっす!」


 一片の容赦もない。ぎちぎち、みちみち、大バッタは激しく暴れてペコの身体を振りほどこうとする――実際ペコは振り回されたが、意地でも離さず、手の中の光剣で大バッタの頭部をめった刺しにする。


 目が潰れ、触覚が折れ、青臭い体液が噴出し、顎が剥離する。虫だけあってかなりしぶとく、暫く暴れたが。やがて引き攣るように痙攣し――ついには動かなくなった。


「……うひ、うひひひ、やった! やったっす! 自分がやったんすよ! 一人で魔物をやっつけたっす! これで冒険者の仲間入りっす! うひゃひゃひゃひゃ!」


 よほど嬉しかったのか、ペコは暫くの間、奇声をあげて笑い転げた。


 落ち着く頃には日は沈み切り、辺りは闇に沈んでいた。


「……あ、あれ? これは、ちょっと、やばいかも……は、早く帰らないとっす!」


 ようやく危機感を持つと、ペコは折れた触覚を掴んで辺りを見回した。


 踏み出そうとした足が行き場をなくして、ゆっくりと青ざめる。


「……えっと、どっちから来たんだっけ……」


 引き攣る喉で呟いた。

 闇に潰れた空は、もはや目印にはならない。

 完全に迷子である。


 嫌な汗を浮かべて立ち尽くしていると、ペコの背後で物音がした。


 ひゅっ――と息を飲む。悲鳴をあげなかったのは、声を上げるのも憚られるような緊張感があったからだ。


 ゆっくりと、物音を立てぬように振り返る。


 目は夜に慣れていたが、闇を見通せる程でもない。


 それでも、闇に佇む影くらいは見分けられた。


 四つ足の獣である事は分かった。


 ただの獣ではない事も。


「ゆ、勇者の剣」


 震える声で唱える。


 ちびた光剣が闇を払った。


「ひぃ!?」


 今度こそペコは悲鳴をあげた。


 そこにいたのは大型の野犬だった。文字通り、野犬だったなにかである。半ば朽ち、骨が覗いている。顔は半分なくなり、腹が裂け、四肢の一部も欠損していた。それらを埋めるように、蛇の群れのようなものが絡まり合って蠢いていた。


 よくよく見れば、それは植物の蔦のようだった。


 それは死霊使いの根と呼ばれる、死体に寄生して操る植物の魔物だった。昼間は死体のふりをして腐肉を食らおうとする生き物を襲うだけだが、夜になって森の魔力が濃くなるとこの通り、活発に動き出して狩りを行う。その名の通り、宿主をアンデットのような存在に変える厄介な魔物である。宿主にもよるが、大バッタよりも弱いという事はない。


 そんな事は知るはずもないが、先ほどの魔物よりも危険という事だけはペコにも分かったらしい。


 空っぽの眼窩から生えた赤い花が、目玉のようにペコを睨む。恐怖に足を掴まれて、ペコの歯がカチカチと鳴った。


 その間に、死霊使いの根は生きているかのように野犬を歩かせ、大バッタの死骸へと近づいていく。腹の中に詰まった蔦が無数の触手のように伸びだし、その内側に大バッタの死体を引きずり込む。


 ぎちぎちと、みちみちと、嫌な音を立てながら腹の中で大バッタの死体を圧し潰し、涎のように青臭い体液を溢した。


 食事が終わると、野犬の顔がペコを向いた。


 死霊使いの根が一歩踏み出し、ペコは二歩下がった。


 が、それ以上は下がらない。


「……やらなきゃ、やられるっす」


 自分自身に言い聞かせるように呟く。恐怖は濃いが、それ以上の覚悟が浮かんでいた。

 逆手に持った光剣を前に構える。限界が近いのか、光剣を構成する魔力は不安定で、壊れかけた魔灯のようにちかちかと明滅していた。


 とうに死んだ野犬が声もなく吠えて駆けだす。


「う、うわああああああああああ!」


 応えるように――というよりは、単に破れかぶれで叫んだだけだろうが。


 死霊使いの根に操られた野犬は素早く、光剣は空を斬った。半ば腐って黄色くなった歯が、ペコの喉笛を狙い――


「魔弾よ」


 どこからか声が響き、ペコの目の前で野犬の頭が消し飛んだ。衝撃で、残った胴体が左手に吹き飛ぶ。

 頭を失っても魔物は死なず、溺れるように地面を掻いて起き上がろうともがいている。

 茫然とするペコを他所に、声の主が魔物に近寄り、ぽつりと呟いた。


「炎よ」


 途端に魔物の身体を炎が包み、腐った死体の焼ける嫌な臭いが広がった。


「……お兄さん? どうして……ここに……」


 炎の照らす横顔を見て、不思議そうにペコが尋ねた。


「ライズだ」


 ぼんやりと、炎の中で悶える死霊使いの根に言うと、ライズは振り返った。


「この近くに住んでんだ。たまたま通りかかったから助けてやった」


 どこか不本意そうな仏頂面を浮かべて。


「マジっすか」

「なわけねぇだろ! 心配でついてきたんだよ!」


 呆れたように叫ぶと、ライズは忌々しそうに頭を掻く。


「くそったれ! なんで俺がこんな事を……」


 などと呟きつつ。


「うぇ!? いつからっすか!?」


 それはともかく、ペコは聞いた。


「お前が街を出た時からだ」


 事もなげに言ってくるが。


「いやいや、それはないっすよ。街道を歩いてる時は誰もいなかったっすもん」

「消えろ」


 唱えると、ライズの姿が闇に溶けた。


「うぇ!? ららら、ライズさん!?」


 驚いて辺りを見回す。


「目の前にいるっての」


 声は変わらず同じ場所から聞こえている。遅れて、不可視の霧が晴れるように、ライズが姿を現す。


「すげーっす!? どうやったんすか!?」

「光を曲げてちょちょいのちょいだ。てか、助けてやったんだから礼ぐらい言えよな」

「はっ! そうだったっす! この度は助けていただき、まことに……」


 深々と頭を下げてペコが固まる。


「……? どうした?」

「う、う、う、うぁああああああん!」


 緊張の糸が切れたのか、ペコは子供ように泣き出して、ライズの身体に抱きついた。


「ごわがっだっず! じぬがどおぼっだっず!」

「無茶するからだ。これに懲りたら、一人で危険な真似するんじゃねぇぞ」


 諭すような優しい声で言うと、ライズの手がペコの頭を撫でた。


「びぇええええ! わがっだっずううう! ありがどうっず~!」

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