第5話

 一週間が過ぎていた。


 物好きはいまだ現れず、ライズは今日も黒瓜亭の粗末な椅子を温めている。


「あの野郎まだいるぜ」

「一人じゃなにも出来ねぇ腰抜けって噂は本当らしいな」

「可哀想だろ。誰か誘ってやれよ」

「やなこった。うちの仲間にまで手を出されたらかなわねぇ」

「言えてるぜ! はっはっは!」


 ゴシップ好きの冒険者達の陰口が耳に痛い。


(……いっそ、どこか遠くの街にでも行くか)


 そんな思いが頭を過るが、話はそれほど簡単でもない。冒険者は噂好きの上に、仕事であちこち移動する。そうして見知らぬ店で見知らぬ冒険者と、面白おかしく脚色した身の回りの出来事を肴に酒を飲むのである。


 この噂から逃げようと思ったら、かなり遠くに行く必要がありそうだが、そうするには懐が心もとない。なにより、新しいパーティーを作れずに街を出ていくの、あの三人に負けたような気がして悔しかった。


「そろそろ諦めたらどうだい」


 夕暮れ時にはまだ早い、中途半端な時間だった。大抵の冒険者は仕事をしている時間で、店はまばらである。そんなタイミングだからだろう、さり気なく――だが、諭すように――ハンナが声をかけてきた。


「……俺だって馬鹿な意地を張ってるのは分かってるんだ。自分を捨てた奴らを引きずって身を持ち崩したら元も子もねぇ。でもハンナ、俺は怖いんだ。女と組んだらまた痛い目を見るかもしれねぇ。仲間だと思ってたのが自分だけってのは、哀しいもんだぜ」


 肩をすくめる。浮かべた表情は、くしゃくしゃになった紙くずを広げたようなものだった。


「大体だ、俺は見境なく女に手を出すクズ野郎だと思われてるんだぜ? こうなっちまったら、普通のパーティーだって受け入れちゃくれないぜ」


 実の所、ライズも妥協して、女が一人いるだけのパーティーに何度か声をかけた事があった。結果は散々で、紅一点を守ろうと余計に邪険にされていた。


「人の噂なんて儚いもんさ。暫くすればほとぼりも冷めるだろうよ」


 わざとだろう。ハンナはなんて事はないように言い放った。気休めだが、事実でもあった。そして、なにより救いでもある。彼女のような女がいるからまだ、完全な女性不信にはならずに済んでいる。


「……だといいがな」


 精一杯泣き言を堪えた返事がそれだった。それでもまだ女々しくはあったが。


 現実問題として、そろそろ財布の中身が尽きかけていた。一人で出来る仕事を受ければいいだけの話だが、気は進まない。元雪月花のライズが、パーティーの貰い手がなくて一人で仕事をしているというのは、いかにも外聞が悪い。そんなものはクソ食らえだと言える程、ライズの心は強くなかった。


「あのぉ!」

「うぉ!?」


 突然大声で話しかけられ、危うく椅子から落ちそうになる。


「いきなりデカい声で話しかけんな! びっくりするだろ!」

「さーせん」


 ぺこりと頭を下げたのは、なんというかまぁ、ちんちくりんな小娘だった。


 ぱっと見の印象は田舎から飛び出してきた村娘といった感じだろう――実際その通りにしか見えない。


 鳥の巣みたいに癖の強い茶髪も、筆のように太い眉も、愛嬌というよりは間の抜けた顔も、ずんぐりむっくりとした体型も、なにもかもが垢抜けず、芋っぽい。いかにも田舎臭い地味で素朴な服の上から、安っぽい革製の部分鎧を着こんでいる。その癖、武器の類は見当たらない。そんな所もまぁ、ちんちくりんではあった。


 娘は値踏みするようにライズを眺めていた。冴えない奴だと思ったのだろう。僅かに眉を寄せたが、まぁいいやとも思ったらしい。気を取り直したように笑みを浮かべると、無暗に元気よく言ってきた。


「自分、ペコっす! お兄さん、仲間を探してるって聞いたんすけど!」

「…………誰からだ?」


 期待に目を輝かせる娘――ペコを見返して、憮然としてライズは尋ねる。


「あの人達っす」


 その辺のテーブルを指さす。そちらでは、先ほど陰口を言っていた冒険者の一団が、ニヤついた笑みを浮かべてこちらを眺めていた。


(…………ふざけやがって)


 幼稚な嫌がらせに、ライズは密かに溜息をついた。ペコとかいう娘は、明らかに駆け出しだった。というか、それ以前だろう。どう見てもただの村娘の上に、武器すらも持っていない。仲間にしたところで、足手まといにしかならないのは分かりきっていた。腹立たしいのは、仮にライズがこの小娘を仲間にしたら、ほれみろ! やっぱりただのスケベ野郎だと笑い者にする気なのが目に見えていたからだ。


 もう一度、今度は隠さずに溜息をつく。


「確かに仲間を探してるが、ガキの御守りをするつもりはねぇよ」

「ぬが!?」


 ペコは大袈裟に仰け反ると、風船みたいに頬を膨らませる。


「ガキじゃないっす! ピッチピチの十六歳っす!」


 そう言って平らな胸を張る。もう少し幼く見えたが、そんな事はどうでもいい。


「だからガキじゃねぇか。てか、ただの村娘だろ。武器も持ってねぇ。そんな奴仲間にしてどうしろってんだ」

「鍛えて欲しいっす!」


 物怖じせずに言ってくる。あまりに堂々とした態度に、ライズは面を食らった。


「自分はいずれ勇者になる女っす! その上可愛くてピチピチの十六歳っす! 絶対お買い得っすよ!」


 胸の上で拳を握り熱弁されて、ライズはあんぐりと大口を開けた。向こうのテーブルでは、ちんちくりんを押し付けた冒険者達が腹を抱えて笑っている。


「……あのなぁ」


 頭痛がするような気がして額を抑える。呻いていると、カウンターの向こうで見ていたハンナが言った。


「面白い娘じゃないか。育てておやりよ」


 それこそ、面白がるようにして。


「そうっす! 自分、面白い女っすよ! 仲間にしたらきっと楽しいっす!」

「勘弁してくれ。大体なんだよ、勇者って……」


 その言葉を待っていたのだろう。得意気にペコは言う。


「よくぞ聞いてくれたっす! 何を隠そう、自分は勇者の末裔なんす!」


 勇者の伝説はライズも知っていた。ペコの言う勇者がどの勇者を指しているのかは知らないが。何十年か何百年か、それくらいの周期で世界中の魔力が濃くなる時期がある。王魔の時と呼ばれており、それが起こると魔物が増え、凶悪化する。そして、この世のどこかにとんでもない力を持ったバケモノ――つまり、魔王が生まれる。


 それはその辺の石ころかもしれないし、動物かもしれないし、人間かもしれない。なにが魔王になるかは分からないが、まず間違いなくろくな事にはならない。幾つもの国が滅び、地形が変わり、新たな魔境が生まれ、大勢死に――そういった存在なので当然、恐れられている。


 そして、王魔の時には魔王に対抗するように、特別な力を持った人間が現れる。全てを切り裂く光の剣の使い手とか、魔竜の血を引いているとか、不死身だとか。そういった人間が魔王を倒し、王魔の時を終わらせ、勇者として伝説に名を残すのである。


 だから、世の中には沢山の勇者と魔王の伝説が残っている。


「そんな風には見えないがな」


 というのが正直な感想だった。


「嘘じゃないっす! 自分の村には、大昔に勇者様が立ち寄ってエッチな事した村娘の伝説があるっす! 自分はその村娘の末裔なんす!」

「ひたすら嘘くせぇ上に安っぽいな」


 勇者になるような人間は大抵冒険者で、王魔の時が来れば魔王を求めて世界中を旅する。そんな事が幾度も繰り返されているから、勇者の立ち寄った村など珍しくもない。勇者と一夜を共にしただけで――それも本当かは怪しいが――その子孫が末裔を語るのもまぁ、よくある話ではある。


「信じてないっすね! いいっすよ! 証拠を見せるっす!」


 得意気に言うと、ペコは右手を高く掲げた。


「むぅぅぅぅ……いでよ! 勇者の剣っす!」


 眉を寄せて呻ると、虚空から何かを掴み取るように拳を握る。


「おぉぉぉぉ! ……あぁ?」


 驚きは、尻切れ蜻蛉になって消え、最後には首を傾げたが。


「どうっすか! これぞ光剣の勇者ロッドが使ったという秘術! 勇者の剣っす!」


 と、ペコはそれこそ得意になって、手の中に生まれた白く輝く光の刃をこちらに掲げた。


「……いや、そのサイズで剣は苦しいだろ」


 半眼になって呆れる。勇者の剣とやらは果てしなく短く、精々親指程の長さしかない。


「最近目覚めたっす! これからきっとすっごい剣になるはずなんす!」

「最近目覚めたねぇ……」


 勇者の末裔というのは本当らしいが、だからどうしたという話である。これまでに、多くの勇者が生まれている。末裔の話も、噂くらいは聞いた事がある。まっとうな力を受け継いで名を上げている者もいれば、形だけで燻っている者もいる。この娘がどちらなのかは分からないが。


 それ以前にだ。


「なんでもいいが、ダメなもんはダメだ。女とは組まねぇって決めてんだよ」


 はっきりと言う。面白い娘である事は認めるが、ここでこの娘に手を出したら、同じ事の繰り返しだ。


「なんすかそれ! 男女差別はいけないんすよ!」


 光剣を消してペコが怒る。


「うるせぇな。こっちも色々事情があんだよ」


 新入りだからだろう。この娘はライズの噂を知らないらしい。知っていれば、声をかけてくるはずもないが。どちらにせよ恥である事には変わりない。わざわざ説明する気にはなれなかった。


「むぅぅぅううう! そっすか! そーっすか! いいっすよ! 自分がすっごい勇者になってから後悔しても知らないっすからね! バーカバーカ! アッカンベー!」


 ペコは破裂しそうな程頬を膨らませると、捨て台詞を吐いて他の冒険者のいるテーブルへと走っていった。


「……たく。なんだってんだよ」


 どっと疲れて呟く。


「どうせ暇なんだ。面倒見てやりゃよかったのに。駆け出しを育てるのは得意だろ?」


 雪月花の事を言っているのだろう。他人事のように――実際そうだが――ハンナが言う。


「その結果がこれだぜ。あっさり捨てられて三年無駄にした。残ったのはクソみたいな噂だけだ。これで学ばなきゃ馬鹿だろうが」

「そうかい? あたしは案外、掘り出し物に見えたけどね」


 見知らぬ一団に親指ナイフを見せて交渉するペコを横目にハンナが言う。


「はっ。だったら猶更、俺なんかにはもったいねえよ」


 いじけた気持ちでライズは言った。


「――分かったっす! 約束っすよ!」


 客はまばらで、ペコの大声は嫌でも耳に入った。さして気になるわけでもないが――とはいえ、まったく気にならないと言えば嘘になる。なんとなく振り返ると、ペコが勢いよく店を飛び出していくのが見えた。


(……まさか、な)


 嫌な予感がした。


 ハンナも同じだったのだろう、しかめっ面で睨むと、ペコと話していた一団に声をかける。


「あんた達、あの娘になに言ったんだい」

「仲間に入れてくれってしつこいからよ。人食い森で魔物の一匹でも仕留めて来れたらパーティーに入れてやるって言ったんだ」


 ジョッキを口元に運んでいた手が止まる。


 魔力の濃い場所は魔物が湧き、魔境と呼ばれている。人食い森もその一つだ。それ程危険な魔物が湧くわけではないが、それでもただの村娘が一人で行くような場所ではない。


「それで行かせちまったのかい? この時間から、たった一人で? 死なせに行くようなもんじゃないか!」


 責めるようにしてハンナが怒鳴る。人食い森までは歩いて数時間はかかる。今からでは、着く頃にはほとんど日が暮れているだろう。ただでさえ危険な森だが、夜になればもっと危険だ。暗闇もそうだが、魔物の動きも活発になる。


 ハンナに言われても冒険者達は平気な顔だ。


「そこまで馬鹿ならどの道長生きできねぇだろ。今日死ぬか、明日死ぬかの違いだぜ」


 そう言って笑う。


 その通りではあるのだろう。言うまでもなく、冒険者は危険な仕事だ。そんな事も分からずたった一人で魔境に飛び込むような向こう見ずは、遅かれ早かれ犬死にする。


(……だからって、こんな事で死んでいいはずがねぇだろうが)


 気に入らないのは、上手くいくはずがないと分かっていて、冒険者達が条件を出した事だ。あの小娘は、人食い森がどれ程危険な場所なのかも知らないのだろう。こんなのは、フェアではない。


 苦い顔をしていると、視線を感じた。

 見上げると、弱り顔のハンナと目が合う。


「なぁ、ライズ。あんた――」

「……俺には関係ない話だ」


 先を読んで、ライズは言った。

 気の毒だとは思う。

 が、それこそ関係ない話だ。


 雪月花の件もある。困っている奴を助けた所で、報われるわけでもない。むしろ、損をするだけだ。


「……どうせ馬鹿を見るだけだ。お人よしは、もうやめだ」


 呟くと、嫌な気持ちを酒で飲み下した。

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