第3話 闇本

 「もうあの本にそんなに関心ないですから、この話はこれで……」


 「いやいやいや! ちょっと待てって、せっかち君! 」


 大垣さんは無理矢理にでも僕にあの本に興味を持ってほしいようだ。本棚に伸ばした手を下ろし、彼の方に顔を向けて話を聞く素振りをした。


 「俺は、あの本は『ヤミ本』なんじゃないかと踏んでんだよ」


 「『ヤミ本』……ですか? 聞いたこともない単語なんですが」


 待ってましたと言わんばかりに、大垣さんは『ヤミ本』について語りだした。おそらく本屋仲間からの受け売りだ。ビッシリと字で埋められた紙を見ながら、まるで自分の知識かのように自信満々だ。


 『ヤミ本』とは、戦後の混乱期に闇市や闇米などと同じように、政府の管理外で非合法に出版されていた本のことを言うらしい。検閲の厳しかった当時にあって、生活の知恵から政府批判、果てはゲリラ戦法のやり方まで種々様々な本がやり取りされたそうだ。


 「この近くにあるんだよ、その『ヤミ本』を専門に扱ってる古書店がな。看板も上げてねぇし、店主も中々の堅物で、俺ですら話を聞くまでは実在するか知らなかったくらいだ」


 「そこに行けば、あの本のことが何かわかるかも知れない……と」


 「まぁそういうことよ。店への行き方書いたメモだ。持っていきな」


 「……ありがとうございます」


 あの本のことがその古書店へ行けば何かわかるのだろうか。期待はあまり出来ないが、『ヤミ本』という日本のアンダーグラウンドの源流のようなものを取り扱っているというのには、少なからず興味がある。僕はメモをズボンのポケットにしまい、店を出ようとした。しかし、出口のドアに手をかけた瞬間にドアが勝手に開く。


 この店の出入口は自動ドアではない。来客だ。大垣さんには失礼だが、この店に客が来るのは結構珍しいことだ。僕を除けば。


 「お兄さん、そこをどいてくれるとありがたいんだけど」


 「えっ? あ、あぁ! すみません! 」


 不意の出会いに、僕は少しばかり停止してしまっていた。僕の目の前には、きっと街行く人々はみんな魅入ってしまうに違いないほどの美しい女の子が立っていたからだ。彼女の絹糸のような栗毛の髪が、外から吹く風になびく。その風はそのまま僕を通り過ぎて行き、彼女の香りを鼻腔に感じさせた。


 彼女の邪魔にならぬように本棚の方にグッと身体を寄せた。彼女は「どうも」と軽く微笑んで横を通っていく。


 こんな美少女が、これまた失礼だがこんな小汚い古書店に何の用があるんだろうか。そんなことを考えながら、僕は今度こそドアを開けて店から出たのだった。


 

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