第2話 幻影

 『幸せな女の子』は部屋の本棚に置いている。時々思い出すとペラペラとめくり、失われた最後の数ページに思いを馳せた。


 どう調べても、この本に関する情報は手に入らない。いつ出版されたのか、著者は誰なのか、大事なことは何ひとつ本には記されていないのだ。


 手がかりもないまま、『幸せな女の子』は僕の読書人生の中で、未完の奇作としてその評価を終えるだろう。


 このモヤモヤとした歯痒さもいずれ忘れ去っていく。それから出会った過去の名作家たちの素晴らしい作品のおかげで、次第にこの本への興味は薄れつつあった。



 「お前が何ヶ月か前に買っていった本だけどな、手がかりになりそうな場所があったわ」


 馴染みの古書店の店主は、放課後の日課のようにこの店に立ち寄る僕に、おもむろに声を掛けてきた。


 大垣さんは中年というにはまだ若く、祖父の代からこの古書店を営んでおり、本にはさほど興味はなかったものの、やりたい事も見つからずに跡を継いだという。その為か、本に関する知識は良くても僕並みにしかなく、気になる本を見つけて質問しても、いつも上手い具合にはぐらかされた。


 「手がかりって……そんな曰く付きの本だったんですか? あれ」


 「それがな、俺の知ってる本屋仲間の誰ひとりも、あの本のことは知らないし、聞いたこともないそうだ」


 「それって手がかり無しってことでしょ」


 「違う。逆だよ、逆」


 大垣さんは大袈裟に手を振り回す。これは彼が何か思いついた時によくする仕草だ。僕が中学の頃には思いつきでクワガタムシの養殖に手を出し、散々に振り回された。

 

 「逆って……とりあえず理由を教えてください」


 「そいつらは、曲がりなりにも本でメシを食ってる連中なんだぞ? それが見たことも聞いたこともないなんて口を揃えるってことは、あの本はマトモな経路で世に出た本じゃないってことだ」


 僕はこれみよがしに大きなため息をついた。


 「あのですね……それくらい僕にだってわかります」


 「え? そうなの? 」


 大垣さんはキョトンとして、さっきまで威勢よく振り上げていた手をゆっくりと机に降ろした。


 著者も出版社も記されていない本、おかしいのは当たり前だ。破られた最後の数ページに書かれていた可能性もあるが、インターネットを使っても情報の断片すら出てこない。


 ただ確実なことは、あの本は何人かの持ち主の手を経て、最後に僕のところにたどり着いたこと。そして、誰かが何かの意図を持って結末を闇に葬ったことだけだ。


 

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