1.軸の世界から見た景色 -2-

エレベーターを出るなり、俊哲はスーツから煙草を取り出して口に咥えた。

ここは北海道にある、勝神威市の中心部にそびえ立つマンションの10階…最上階だ。

そこのクローゼットが異界へと繋がるエレベーターに繋がっている。


全ての可能性世界での僕の活動拠点である。

軸の世界では彼がここを根城にしている。

僕が軸の世界に行けないから、使えばいいと言ってあげたっきりそのままだ。


「俊哲もここ?もっといい場所あるじゃない」

「何だかんだ動きやすいんですよ、それにこの町、特に異質な場所ですからね、日本で何かあるなら大抵ここで事が起きますし」


尤もらしい理由をつけてそういった彼の本質はもう読めている。

僕は聞き流すと、肩を竦めていった。


「元カノに会いたいだけのくせに」


そう言って彼を茶化した僕は、部屋を素通りして部屋を出る。

彼の彼女、いや、元カノさんは第3軸のレコードキーパーだ。

彼女は、第5軸、第6軸には存在しない。


彼女の代わりになる人物がいる。

5軸は知らないが、6軸の彼女はまだ生きているだろうか?。


そして、僕も5軸と6軸にしか存在しない。

そんな僕の対になる人間が、何を隠そう彼だった。


彼がパラレルキーパーに引き抜かれたときに確認して初めて知ったが…

まぁ…対とは言えないほどに格好が違うものだ。


「先輩だって人のこと言えないじゃないですか」

「僕かい?そんな関係じゃなかったよ。彼女は女神というよりは悪魔だったからね」


部屋を出た僕は、ついてくる俊哲にそう言いながら、エレベーターを呼んだ。


「さて…そろそろ本題に入ろうか」


やってきたエレベーターに乗り込んだ。

さっきこの世界にやってくるときの乗ったエレベーターとは比べ物にならないくらいに古臭いデザイン。

薄っすら煙草の匂いがするあたり、ここは昭和の世界のようだ。


「今は何年?」

「1972年の9月…ってところです」

「フーン……で、ここのレコードキーパーに問題は伝えてあるの?」

「はい、今日の…今は15時だから、18時には合流すると言ってます」

「……何処で」

「こっからちょっと遠くに行って、日向町ですね」


俊哲はそういうと、煙草を咥えなおす。

そして、エレベーター内の灰皿にそれを放り投げた。


「日向…?あんな消えゆく田舎に?」

「この付近にレコードキーパーはいないんすよ。丁度日向のレコード違反者がここ一帯を監視してるんです。俺ももう2,3度会ってますが…皆、先の大戦の経験者です…」

「元兵士、ね」


僕は少し予想外のことに驚きながら言った。

兵士というのであれば、ひょっとしたら僕よりも歴の長いパラレルキーパーのことを知っているかもしれない。

もし、知っていたとしても、僕の諸先輩方が消えてしまったことなど知る由も無さそうだが…


地下階に着いたエレベーターが開いて外に出る。

この駐車場に僕が…いや、今は俊哲が使う車が止められているから、それで日向まで向かうのだ。


「ごめん、コーラを一本…そっちは?」

「いや、今は大丈夫です」


エントランスにある自販機で瓶コーラを買って、駐車場に出る。

駐車場の端に停まっているひときわ目立つ銀色の車の横に立った。


「そっか、72年ならまだ934は先か」

「はい、これですよ。冬になると乗れませんが…まぁ、大した問題もないです」

「そっかー」


僕は久しぶりに見る自分の車を1周眺めて回る。

ポルシェ904。

ドイツ製のレーシングカーにナンバーを付けた代物だ。


普通の日本人なら、まず縁のない車。

縁が無いというよりも…そもそもこれを公道上で乗ろうなどとは考えないであろう車だ。


ここら辺は、地位の高いパラレルキーパーの役得といったところ。

僕はポルシェには目がない男だから、わざわざ取り寄せたのだ。

相棒となる俊哲もポルシェマニアだったから、引継ぎも丁度良かった。


「…やっぱ僕が運転するよ」


そう言って、彼に渡していた鍵を受け取って運転席に収まる。

俊哲が横に座ると、キーを差し込んで捻った。

少し堅物なエンジンは、普段ほど苦労せずに目覚める。

小さくアクセルを煽りながら暖気している間にコーラを飲み干し、空き瓶を外に捨てた。


軽やかに吹けるようになり、エンジンが十分に温まった頃合いを見計らって車を出す。

地下の駐車場を上がっていき、最近は平成の世しか見ていなかった僕にとっては久しぶりとなる昭和の街並みが窓越しに見えてきた。


「懐かしいね。久しぶりの昭和だ」

「だったら気を付けてくださいね。平成の時と、道が結構違いますから」

「大丈夫大丈夫…といいたいけれど、そうだね。油断はしないよ」


街の中心部に出た僕は、最初の赤信号で止まって、ギアをニュートラルに入れた。

そして、信号が青になるとともにギアをローに入れて車を発進させる。


「さて…ここの人間はどこから6軸へ流入してるんだい?」

「全くのランダムなんです。ここと…日本なら埼玉とか、京都当たり…他の各国でもまちまちって所でしょうか」

「そう…可能性世界からの介入は?」

「今の所ないですよ」


彼の回答を受けた僕は、シフトレバーに置いた手を顎に当てる。

あっという間に勝神威の街を抜けて、高速道路に上がっていく。


「そう、ならさ…5軸と6軸にしかいない人間を全部洗ってよ。勿論、日本だけじゃなくて…全世界でね」

「全世界で、ですか?」

「そ、僕や君みたいに特定世界でしか存在しない奴らをね」


僕はそういうと、ジャケットから携帯端末を取り出した。

この時代には…否、いかなる時代にも存在しない代物。

特殊な回線で、全世界に展開しているパラレルキーパーに連絡が取れるものだ。


パラレルキーパー個人でデザインが異なるのは、見た目をカスタマイズできるせいで、個々の趣味が違うからだ。

僕の物の見た目だけは、平成の世で流行っていたスマートフォンなるものに似せた。


それを俊哲に渡す。

煙草を燻ぶらせていた彼は、少しだけ目を見開くと、僕の横顔をじっと見ていた。


「あと、洗い出すついでに、この端末の中に入ってる人間もやっといてもらえるかな?」

「…何故です?」

「僕の今まで関わった世界で問題を起こした人間のデータ。そこから、5,6軸に存在する人間だけでいい」


僕がそういうと、彼も理解したのか、小さく頷いて作業を始めた。

彼の技量なら、きっと到着するまでには終わるだろう。


「そういえば」

「?」

「先輩、よく日向のこと知ってましたね。あんな田舎町。生きてる頃に行ったことないでしょう?」


端末をインパネに引っかけて、レコードを膝上に置いて、ペンを片手に作業を進める俊哲が何気ない口調で言った。


「ああ、ないよ。ただ、僕が死んだ2年後に…僕の同僚がそこに引っ越したのさ」

「同僚…」

「過去知ってるだろ?結局、あの組織から生きて出られたのは1人だけだった。彼女だけさ。君の元カノの対」

「ああ……でもどうして日向に?」

「死んだ親の実家がそこだったからさ。それからどうなったかは知らない。調べればいいんだろうけど…やってない。死んでたらこっちに来てほしいなって思って、レコードにオーダーは入れてるんだけど…まだ来ないってことは、生きてるんじゃないかな?」


僕はそう言ってアクセルを踏み込んだ。

高速が終わるまで、暫くは長い直線と、高速カーブが主体となる。

904なら、アクセルを踏みっぱなしでもいいだろう。


「それに、勝神威を根城にしていれば…何かの拍子にあの町に行くことだってあるだろうさ」

「そうなんですか?俺が居る時にも行ってましたっけ?」

「どうだったか。可能性世界のドンパチを終わらせに行った時に行った気がするけど、その時、居たっけ?」

「さぁ…?」

「ま、そんなことはどうでもいいけれど…これから何度も訪れる場所には変わりないんだ。どんな時代だったとしても、大抵は直ぐに思い出せるほどにはね」


僕はそう言って、ポルシェのギアを1段あげて更にアクセルを踏み込んだ。


「勝神威も、日向も3軸から6軸までしか存在しない…他の世界だったら存在しない場所。北海道で何かが起きるとすれば、大方この2か所しかないからね」

「……覚えておきます。初めて聞きましたよ」

「そうだっけ?忘れてたかな…まぁ、いい。ところで、こっちのレコードキーパーはどんな連中?」

「そうですね…3軸のに引けを取らない感じですかね」

「君の元カノのチームと変わらないって?」

「はい、何度かやり取りしたことはありますが…優秀です」

「ふーん……」

「かなりのベテランって感じの風格ですよ」


俊哲はそう言って、一旦顔を上げる。


「先輩、昼食ってないですよね?」

「ん?ああ、そういえば」

「そもそも、最近、何時飯食いました?」

「……あー、パッと出てこない」


僕の回答を聞いた俊哲は、やっぱり…と呟きながら作業に戻る。

横目で彼を見ると、少し呆れた様子だった。


「ほっといたら何も食べない癖は治らないんですか」

「まぁ、死なないし、空腹にならないし」

「……ま、日向の食堂で合流予定ですから、そこで何か入れといてください」

「コーヒーだけでいいよ」

「軸の世界って空腹状態で死ぬことあるんすよ?」

「え?」


初耳の情報に、僕は驚いた声を上げた。

立場上、軸の世界に縁はないとはいえ、少しは入っていたこともあるのだ。

だが、空腹で死んだことなど一度もない。


「先輩は今まで1日たたないくらいしかいたことないでしょう?1週間もいれば、普通に空腹になりますよ?」

「…箸持てるかな」

「………最悪フォークとスプーンで何とかなるでしょうよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る