1.軸の世界から見た景色 -1-
「先輩、暫く仕事無いんですか?」
モニターを眺めながらコーヒーを飲んでいた僕に声がかかる。
ここは居住区と違う、僕の仕事部屋だ。
「…ああ、何だ、君か」
モニターに映った影を見た僕は顔見知りの来客だと知ると、コーヒーが入ったコップをテーブルに置いた。
「この前も1件片づけたばっかだしさ。ノルマ分の仕事はしてるし…今日も僕が見ている世界は平和だ」
僕は暢気にそう言って振り返る。
よく仕立てられたスーツ姿の男が背後に立っていた。
彼は芹沢俊哲。
ここ数年、僕の部下…相棒を務めてもらってる男だ。
ぶっきらぼうで、口調が荒い所があるが…不敵でミステリアスな男。
教養も、持っている技術も一目置くべき存在。
元警察官で元銀行強盗。
不思議な過去も彼の個性の一部だろう。
僕の周囲の人間は皆、彼のレコードを見て驚き、そして敬遠した。
それはそうだ。
彼が犯した罪は半端ではない。
そして、未遂とはいえ仲間を裏切ろうとしていたのだ。
未遂なのだから、僕は気にしないが…
むしろその部分を買ってる節もある。
「……調子はどう?上手くいってる?」
「俺はまだこの後3つほど仕事が残ってます」
「…僕とやってたのは全部片付いたし、後はないんじゃない?」
「この前から軸の管理を任されたんですよ」
彼はやれやれと言いたげに肩を竦めると、僕の向かい側の椅子に腰かけた。
そんな彼を見て、僕はテーブルの上にあった空のコップにコーヒーを注いで渡す。
「ども」
「そうだった。君、仕事増えたんだったよね」
僕はどこか他人事で言った。
彼は"死"を経ずにこちら側に来たのだ。
彼の技量なら軸の管理を任されても良い頃合いだろう。
「昇進オメデトウ…というべきかな?」
「勘弁してくださいよ。まだ若輩なのにどうして…」
「俊哲は他の誰よりも使えるってわけさ…で、僕のところに来たってことは何かあったんだろう?」
僕は弱音を言いながらも、どこか不敵な表情を浮かべる男にそう言った。
机の上のビターチョコレートを1つ口の中に入れると同時に、彼が口を開く。
「それで…暫く先輩に…俺の仕事に付き合ってもらえないかと思いましてね?」
「ん?」
彼の言葉に呆気にとられた僕は目を少しだけ見開いた。
彼は気にせず、スーツの懐から、手帳サイズになったレコードを取り出して僕に見せる。
「さっきレコードに申請したら許可が下りたんです」
そう言われてレコードに目を落とした僕は、書かれた文面に肩を竦めた。
"小野寺一誠が軸の世界にアクセスすることを許可する"
"但し芹沢俊哲の管理下の下でアクセスすること"
「……具体的には何が起きてるのさ?」
僕はその文面から顔を上げると、彼に言った。
「第5軸と6軸がくっつき始めてるんです」
芹沢は、さっきまでの表情を崩さずに言った。
「そういうこと…」
僕は彼の言葉を聞くなり、事態の重さを理解できた。
軸の世界が重なり合う…偶にあることだが、何時ものどうってことない仕事とは比べ物にならないほどに重い仕事だ。
コップに入ったコーヒーと、テーブルに残った残りのチョコレートを片付けると、部屋のハンガーに掛かっていたジャケットを羽織って、キーフックから鍵を取る。
鍵を芹沢に投げ渡すと、モニターを消して、部屋の電気をすべて落とした。
そして部屋を出て廊下を歩く。
無機質な白とシルバーの廊下は、窓から宇宙の光が差し込んでおり、どこか無機質ながらも、神秘的な雰囲気を醸し出している。
ちょっとだけ僕達の話をするとしよう。
僕達は幾多も存在している世界の管理人だ。
パラレルキーパー…そういわれている。
軸の世界と呼ばれる、世界自体の維持に欠かせない10個の世界と、そこから派生しては消えていく幾多の可能性世界全て管理するのが僕達の仕事だ。
レコードと呼ばれる、この世の全てを記した特殊な本を使って仕事をこなしていくわけだ。
始祖の世界といわれる、絶対不変な第0軸のレコードを元に、他の世界のレコードを改変したり、時にはある世界に入り込んで直接世界に関わっていく。
例えば世界が終わりを迎えないように細工したり。
例えば世界が終わりを迎えるような細工をしたり。
そういう風にして全ての世界を次に進めていくのが僕達の仕事だ。
僕は第6軸の住民だった。
芹沢は第3軸の住民だった。
僕は死を迎えてからこの役目に就き、芹沢はレコード違反を犯してからこの役目に就いた。
パラレルキーパーは、軸の世界で死ぬか、レコードを違反することで選ばれる。
ただ、軸の世界でレコード違反をすれば、その世界を見張るレコードキーパーになるし、死ねば可能性世界を監視するタイムキーパーになるのが普通らしいが…
パラレルキーパーに選ばれる基準は僕にも分からない。
そうやって選ばれたパラレルキーパー内で、また2つに分けられる。
僕のように死んでなった人間は可能性世界のレコード改変権しか持っておらず、レコード違反を経てなったものは全ての世界のレコード改変権を持つ。
そして、実際に世界に赴くのも、改変権を持った世界にしか行けないのだ。
僕みたいな死人が軸の世界に行くには、芹沢のような"上司"が必要となる。
だが、彼は僕のことを先輩と言った。
彼は僕のことを目上の存在としてみている。
それもそうだ。
パラレルキーパー内で、1950年~2050年の間の世界を担当している人間の中で最も古株なのだから。
そして、何度も世界に赴いて働いてきて挙げた功績は枚挙に問わない。
自分で言ってると、おごり高ぶってるように聞こえて嫌なのだが、実際僕はそうして立場を得てきた。
困ったときの最終兵器として。
急を要する案件の火消し要因として。
僕はパラレルキーパーの第一線に生きている。
得たのは地位と名声と、自由。
そんな僕でもわからないことは一つある。
僕の先輩方が、ある時期に一斉に消えてしまったことだ。
彼らは、とある1950年代の世界を経て以降、ポツリと消えてしまった。
消えた事実は僕にしかわからない。
何人かの後輩に、僕より上の人間はいないかと問われたことがあるが、答えはいつも"分からない"だ。
それから、早何百年…何千年。
僕は人よりも多くの仕事を抱えながら、人よりも数段早く仕事を終える日々を送っていた。
特筆すべき大事件も起きず、もうとっくにマンネリ化して来た今日この頃。
芹沢に言われて、久しぶりの外の世界だ。
それも、僕の立場ではそうそう行くことができない軸の世界。
多分、面倒ごとになるだろうことは分かっていても、どこか楽しみにしている自分がいた。
「軸の世界が混じるって、何が原因で?」
「それが分からないんですよ」
白く、長く続く廊下を歩き続けて、突き当りのエレベーターホール前で止まる。
芹沢も僕に合わせて歩みを止めた。
「そう、どっち側に行くつもり?」
「第6軸に異変が多く起きているんでそっちかなと思ってます」
「悪い手だ」
エレベーターを押そうとした彼の腕をとって辞めさせる。
「?」
「6軸に問題が起きてるってことは5軸の連中が混じっていってるんだろ?なら5軸側から止めるべきさ。遠回りかもしれないけど、そっちのが確実だ」
僕はそう言って、エレベーターのボタンを押す。
「5」
普段押す場所の上にある、軸の世界に繋がるボタンを押した。
普段の僕ならエラーが出るのに、しっかりとエレベーターは作動する。
すぐに降りてきたそれに、僕と彼が乗り込んでいった。
「…部下は何人ついた?」
エレベーターの壁に寄り掛かると、僕はポケットに手を突っ込んでいった。
「俺には5人てとこです」
彼は少し顔を顰めていった。
「彼らは使える?」
なんとなく理由が解せた僕はそう言って彼を見上げる。
「一応、俺よりも20年以上先輩ですから……」
「そう…でもいいや、彼らと、あと僕の知り合いも何人かつけよう。6軸に送り込んで被害を食い止めさせるんだ」
「…食い止めるだけですか?」
「どうせ彼らには無理難題さ。問題の本拠は5軸にある」
僕はそういうと、ポケットから端末を取り出してメールを打ち込む。
すぐに送信すると、丁度エレベーターが止まり、扉が開いた。
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