第65話 特別な存在
一歩、一歩と足を動かす度に心臓が大きく鳴っている気がした。
冗談ではなく合格発表の数倍も緊張しているし、何より合否とは違ってここから先の結末が余りにも不鮮明だ。
(393、393、393)
三桁の番号を何度も何度も頭の中で復唱する。ああそういえば俺の試験番号はこれと似たような数字だったっけ。
……なんて。ちょっとした冗談を言える理由は、まだ俺が現実を直視できていないからなのかもしれない。
「着いちまった。――春野さんが住むマンションに」
数時間前、山村千代からされた“お願い”は俺の胸中をぐしゃぐしゃにするものだった。
俺は以前にも
(393! 393を忘れるなよ俺)
今日は違う。今から俺は部屋番号を入力して春野さんと会話し、この厳重な玄関を開けて部屋へと向かうのだ。
広さのある玄関ホールで深呼吸をし、入口の横にあるインターホンを震える指でひとつづつ押していく。
最後にEnterを押す。約十秒ほどの沈黙、そして回線の向こうから聞こえる物音に“彼女”の存在を確かに感じて微笑んだ。
『山村さん……ありがとうございますっ』
「あ――えっと、あの、俺だよ。宮田」
明らかに物音が大きくなった気がする。まるですっころんだような音だ。
『み、みみ宮田くんがどうしてここに!?』
「千代から代わりに頼まれてさ……丁度良いかなと思ったし」
その声色を聞く感じだと、やはりクラスメイトのみんなに説明した欠席の理由は嘘のように思える。
つまり春野さんは風邪を引いていない。二言三言の会話で、不思議とそれが事実だと分かった。
「とりあえず、千代から預かったお見舞いの品を渡してもいいかな?」
『――――分かり、ました』
そう言って通話が切れる。と同時に、それまで固く閉ざされていた玄関は音もなく開いた。
俺は少しの期待と沢山の不安に埋め尽くされた気持ちのままに、彼女のマンションへと足を踏み入れたのである。
ここはゲームの世界だ。あまりにも現実と変わらぬ光景に忘れがちだが、ふとその“ゲーム”的な面が顔を覗かせる時がある。
例えば、俺は今までヒロインたちと必ず一線を超える行為はしていない。対象年齢が15歳以上だからだ。
例えば、俺はこの街からあまりにも遠く離れた場所に向かうことが出来ない。最長距離で闇野と行った海だ。
(……階段使うか、なんとなく)
前者はともかくとして、後者は一体何故だろう? 俺はその疑問をふと考えたとき、それが“世界の限界”なんだと気づいた。
ゲームには描写距離というものがある。どれだけ広くても、どれだけ大きくても、端っこが存在してしまうモノだ。
ましてやこの世界は広大なオープンワールドなどではなく恋愛ゲーム。
本来、主人公である俺が行けない場所はそもそも向かう事すら出来ない……けど。
「鍵は開いてるので、入ってきてください」
「……分かった」
この場所にはたどり着けた。それはここに城花先輩が、さらにこの一室に美子ちゃんが住んでいるからだろうか。
少なくとも俺は、その問いにNOと否定することが出来る。
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それは数週間前のできごと。
「――やっぱり、か」
俺は携帯に書かれたメールを見てベッドに倒れ込んだ。
もう何度か体験しているため、そこまで落ち込んではいない。が、だからこそより考えたくなってしまう。
「やっぱり家には入れなさそうだ……」
少しだけ不審者のような発言になったが、その内容自体はあながち間違ってるとは言い切れない。
俺はこの世界に転生してもう五か月以上になるけれど、今まで一度も“行ってない場所”が有ることに気づいた。
それは、ヒロイン達の家である。
「穂乃花にすら断られるんだもんなー」
千代も城花先輩も可憐もセンリも、当然春野さんの家にも入った事が一度もない。
穂乃花だけは一度、
(一体何故だ? 今までの誘い全て、何らかの理由で断られ続けてる)
これがもし俺の自意識過剰で、まだヒロイン達との関係がそこまで行ってないから――だとするならそれで構わない。
しかし、現状だとあまりにも自然な理由が発生している気がした。
嫌だから無理矢理断った。という訳ではなく、俺が誘うタイミングで毎回の如く相手側で自宅に伺えない事情が生まれている。
(前々から考えていた描写範囲の影響……いや、何かが引っかかる)
まるで“神”の意志でもあるかのように、その結果で俺は彼女達の家に行ったことは一度もない。
例外があるとするならば、今は居ない闇野暗子の存在だ。
「何で俺はアイツの家に入れた……彼女と、他の皆の違いはなんだ?」
闇野がヒロイン達とは違い、俺側の人間であるという事は既に理解している。
自ら望んでこの世界にやってきて、謎を生み、最後は“神”によってバグとして消された。
言うなれば闇野はこのゲームに於ける唯一無二の不穏分子。キャラではないのだ。
本来ならあり得ない自宅に入れたのも、彼女が何らかの特別な存在だからかもしれない。
「……ってなると、俺からはどうすることも出来ないよなぁ」
ため息を吐いて起き上がる。既に消えている闇野の連絡先を懐かしみつつも、俺は勉強机に向き合うことにした。
(…………)
なんてことはない、文化祭前の小テスト予習だ。
(……闇野が他とは違う“特別な存在”だと仮定して)
計算をし続けて、頭の中を数字で埋め尽くす。
(もし仮に……この先、誰かしらの自宅に入る機会が訪れたのなら)
しかし、自然と思い浮かべるのは彼女達のことだった。
(その人物も――
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「お邪魔します」
「わざわざ家にまで……ありがとうございますっ」
世界にとっての“バグ”なのかもしれない。
モブに恋したハーレム主人公 羽寅 @SpringT
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