第4話 だから俺は、モブキャラクターに恋をした

先輩の豊満な身体に抱き着かれ、俺のハートはもうブレイク寸前。

なんて、そんな冗談を言う事すら難しくなるほど、この状況は非常にまずい。


「ほらほら、君がクビを縦に振るまで離さないよ?」


「城花先輩やめっ……苦しいんで、すけど……」


誰かに助けてほしいけど、誰にも見られたくない。なんだこれは詰んだか。

心臓のバクバクとした音もそうだが、それよりも呼吸の感覚が狭まってくる。

恥ずかしさ8割、割と真面目に窒息しそうなのが2割と言った所だな。


「……む、ぐぐぐ」


さてどうしたものか。この拘束から抜け出す方法は、あるにはある。

もしもこれがゲーム画面なのならば、目の前に三択が現れて選択が出来るだろう。

しかし嬉しいような悲しいような、今の俺にとってこの世界は現実。

頭の中には百を超える選択肢があり、どれを取るかで流れとは変わるもの。


「せんぱい……」


「ん~?」


この場面で「演劇部に入る」と答えてはいけない。NOと言える人間にならないと。

そして「いやだ」と正直に伝えるのも、先輩を悲しませてしまうから言っては駄目。

ならば俺が取る選択は何だろうか。俺は、先輩の手を取って顔を向き合わせた。



「必ず、答えを出します。それまでもう少し待っていてくれませんか?」


これはつまりただの先延ばし。だが、今の状況ではこれしかなかった。

主人公パワーとは言わないまでも、切り抜けるには俺の魅力を信じるしかない。

俺史上一番のキメ顔、そして耳元でボソッと囁いたその言葉が届くことを信じて。


「そ、そんなに見つめられると照れるよ……仕方ないなぁ」


よし勝った。失礼は承知だが、この人結構ちょろいぞ。

俺の何倍も顔を赤らめた先輩の力は抜けていき、自然と手が離れる。

数秒前まで俺を捕食してくる学園のハンターに見えたが、こうなると普通の美女だ。


「それじゃあ今日は帰りますね。さようなら!」

そう言って矢継ぎ早にその場を後にする。さらば城花先輩、またどこかで。

足元に気を付けながら階段を下りていく最中、最後に後ろを振り向いた。



「――またね」


そこには、先ほどの赤面が嘘のように澄ました顔をした城花先輩。

おいおいまじかよ。もしかして、先ほどまでの照れは演技だったのか?

(怖っ!)

一体どれが「素」なんだ。今の今まで俺を試していたのか、それは分からないが。

流石は演劇部ではあるものの、あのヒロインに対してどこか恐怖を覚えてしまう。

穂乃花や千代とは違った切り口で攻めてくる彼女に対し、俺は胸の奥がざわついた。


(それにしても、誰にも見られてなくて良かったな……)



***


「……今日も駄目だったか~」


開きかかった教室を背にしながら、城花 明子はそう呟く。

校舎の三階から見下ろす形で、下校しようとする景一を見守っていた。

その表情はどこか寂しげで、しかし楽しそうな顔も覗かせている。


「先輩!」


「わっ! あれ、見られちゃってたんだ」

突然、『演劇部』の部室として使われている教室の扉が開いた。

しかめっ面の後輩は、じろりとした目つきで城花を睨んで問う。

「私ずっと見てましたけど……あの人、誰なんですか?」



「……うーんと、彼はねえ」


「私の運命の人、かな」


***




周りに美少女が居ないことを確認しながら、俺は靴箱までたどり着く。

下手にぐずぐずと居残っていると、いつ彼女たちに出会うか分からない。

幸せな悩みではあるが、一先ず自宅へ戻って色々と整理をしないと。

……それに、会いたいと思っていた春野さんにも会えなかったしな。


「えーっと、正門はこっちか」


複数人の生徒とすれ違いながら、今朝の記憶を頼りに歩みを進める。

と、ここでふと気づく。そういえば俺はスマートフォンを持っていない。

恐らく所持はしてるが、自宅の散策が甘かったため見つからなかったのだろう。

スマホを使えば親しい人と連絡を取れるし、きっと仲も深めやすくなるはず。

(家に帰ったら探さないとな)



カシャッ


俺がそんな事を考えながら門を出ようとしたその時、やや後ろから何かの音がした。

少しの警戒心を持ちながら音がした方向を見る。一体どんな脅威ヒロインが迫ってきたのか。




「……春野、さん?」


そこには、小悪魔のような笑みを浮かべながらカメラを手に持つ女性の姿。

ああ神よ。貴女様はこの俺に、再びの救いを与えてくれるのですね。

カメラを構えて再び写真を撮ろうとする春野さんに、俺も呼応してポーズを取る。

緊張し過ぎて、ただただ普通のピースしか出来なかったが。


「写真部、だったんだね」


「は、はい」


上手く口が回らない。先ほど城花先輩に放ったような台詞はどこへ行ったのやら。

というか、最初の一枚は明らかに俺が考え事をしていた時に撮られたものだ。

どんな顔をしてたのかは分からないが、春野さんに呆けた表情を見られたくない。


「あの、最初の写真だけど――「宮田くんとの友達記念」……え?」



「撮っちゃいました」


夕陽を背にして微笑む春野さんに、俺は思わず膝から崩れ落ちる。

あまりにも神々しきその姿、もしかして彼女は天からの使者かもしれない。

だって後光が差してるぜ? むしろ俺が写真を撮りたいくらいだ。


「ええっ! 宮田くん大丈夫!?」


俺の奇行に驚きながら助けようと差し伸べてきた、その手。

優しく、決して壊さないように、握ろうとしてようやく気付いた。


「ああ、ありが……!!」

「…………っ」



(…………そういう、ことかよ)


ヒロインとモブの違いを始めて実感する。




触ることが、出来ないんだ。

俺が握ろうとした手は透けて、何もない空間をただ掴む。

彼女はそれに気づいていない。今も、俺に対し手を差し伸べてくれている。

この世界はなんと無常なのか。なぜ彼女に触れることすら叶わないのか。



「大丈夫。自分で起きれるよ」


そう言って俺は立ち上がる。春野さんは、安心した顔をしていた。

やめてくれ。これ以上、俺の心に鋭いメスを差し込むのは。


「じ、じゃあ私はもう戻りますね。さようなら!」


「うん。……また、学校で会おう」


駆け足で戻っていく彼女を、俺はただ見送ることしかできない。

それは、離さないぞと引き留める方法が見つからないから。

仕方ないんだ。彼女はモブキャラクターだという事は、分かっていただろう。


「…………」


素直に穂乃花や千代、城花先輩とかまだ出ていないヒロインと付き合えばクリアだ。

誰と恋仲になっても俺なんかには勿体なさすぎる美少女たち、俺は幸せ者なんだ。

だからもう諦めないと。主人公とモブキャラクターが、結ばれることなんかない。




『――ケイちゃん』



「…………約束、したもんな。美加」


周りに誰も居ない正門の前、俺は手を出して空を掴む。感覚は、先ほどと同じ。

手の中には何も握られていない。でも、だけれど、一つだけ確かなことはある。



春野 美玖さんは存在するんだ。たとえそれが、触れることが叶わなくても。

実際にこの世界で生を受け、実際に俺と会話をすることだって可能だった。


「やってやる」


ならば、諦める道理なんてない。

どんな女性でも付き合うことが出来るのが、恋愛ゲーの主人公だ。


もしも話すことが出来ないのなら、隣り合ってどこかへ出かけよう。

もしも見ることが出来ないのなら、愛の言葉を声に出して囁こう。

もしも聞くことが出来ないのなら、手紙を書き留めて送ろう。


……なんだ、そう考えれば簡単じゃないか。

触れることが出来ないのなら、俺はその全てを用いて幸せにしよう。

モブキャラ? 攻略不可能? そんなもの関係ない。

どうにかしてこの「世界」の穴を付き、必ず目的を達成してやる。


「春野 美玖さんと、付き合うんだ」

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