第3話 演技派

「…………」


俺の耳に入ってくるのは、シャープペンシルを走らせる音たち。

チラリと横を見る。千代が真剣な表情で計算式を解いていた。

顔を上げて前を見る。穂乃花が黒板とにらめっこをしていた。

そして春野 美玖さんはお淑やかに、丁寧に問題を解いていた。可愛い。


(……やべぇ。何にも分からん)


対する俺は穂乃花よりもまずい。学生時代勉強してなかったツケが回ってきたか。

というか何でこんな真面目な問題が出されてるんだよ。ここに力を入れてくれるな。

うーんと頭を抱えながらプリントに向き合ってると、真横から小さい声が聞こえてきた。


「何ボーっとしてるのよあんた。分からないの?」


一通り解き終わった様子の千代。どこか余裕の雰囲気を醸し出している。

俺はコクリと頷き、声には出さないが助けを求める視線を送った。


「……仕方ないわね。ほら身体寄せて、教えてあげるわ」


ボソッと囁かれたその話が、俺には救いの言葉に思える。

彼女は何て優しいんだろう。ツンデレというより最早ツンアマだこれは。

将来、千代と結婚する人はきっとヒモになるに違いない。


「ありがとう、千代」


「別に何てこと……って近いわよっ」


椅子を動かしただけだ。そんなに顔を赤らめないでくれ俺が恥ずかしい。

隣から伝わってくる激しい心臓の鼓動が、俺にまで伝染してきそうになる。

ああしかし、こんなにも美人な女性から教えてもらうとは何て贅沢なのか。

この事実を噛み締めながら、俺は再びプリントに顔を向けていく。



「ほんと、鈍感なんだから」


ん、今何か言ったか? 聞こえなかった。





「やっと終わったぁー」


非常に長く感じた数学の授業は、ようやく終わりを迎えた。

壁にもたれかかって俺と同じ感想を呟いたのは穂乃花。

聞けば内容の半分くらいしか分からなかったようだ。ふむ、俺より凄い。

隣の席だった春野さんは仲の良いクラスメイトと話している様子。


「今更だが、女子同士の席なんだな」


クラス内の男女数によって決まるのは分かってはいるが、一応聞いておく。

そもそもハーレム物の鉄則として、主人公の周りには常にヒロインが居るものだ。


「女子の方が多いからね。……でも贅沢だよね、美人3人に囲まれちゃってさ~」


穂乃花がニヤニヤとした笑みを浮かべながら言ってくるが、それが正解なのである。

本来ならばこれは二人の包囲網。物語の邪魔をしないように、俺の前はモブ女子が配置されただけ。

が、しかし。それが俺にとっては最高の展開を生み出してくれているのだ。


「否定は出来ないな。他の男子生徒から恨まれそうで怖いよ」


そう言いながら周りを見ると、結構な人数が既にクラスから居なくなっている。

手に持っている教科書群。ああなるほど、次は移動教室なのか。


「穂乃花、そろそろ俺たちも行こう」


「え? ……って忘れてた! 今日の2限目は科学だったね」


何故お前が覚えていないのか。

――と、ここで俺は一旦春野さんの事を考えるのを止めた。

数年ぶりだから仕方ないかもしれんが、今のところ戸惑う事が多い。

少なくとも今日だけは、ただの一般学生として過ごそうと思う。

何よりもまずはこの学生生活に思い出すところから始めたいのだ。

どんなゲームでも、最初はチュートリアルで慣れないといけないからな。






「着席」


その言葉で、やけに長く感じた初日は終わりを迎える。

案外俺には話し相手が多いらしく、比較的楽しく過ごすことが出来た。

というよりも、俺の設定は2年生なのだ。一通りの人物とは既に知り合っている。

以前の出来事なんて何も知らないので、話を合わせるのは難しかったが仕方ない。




「景ちゃんも、そろそろ部活に入ったら?」


ガヤガヤとした教室内の喧騒に紛れ、穂乃花が話しかけてくる。

どうやら俺は部活をしてないらしい。まあ、当然と言えば当然か。

恐らく入った所によって、ヒロインが誰かしら所属しているんだろう。


「今の所、俺はどこにも興味がないな」


生憎、俺はどこかに入って誰か一人の好感度を上げるわけにはいかない。

ハーレムを作るつもりも今の所は無いが、ルートを確定させた場合の事を考える。

これは男の性だ。友達以上恋人未満の状態も暫くの間は楽しみたいのだ。

それに、俺の心の中には春野さんがいる。そう簡単に部活なんて入る訳が……


「…………あれ、ちょっと待てよ」


そう思っていた俺に、一筋の光と一つの可能性が降ってくる。


「なあ竹中、お前って何の部活入ってるんだ」


近くにいたクラスメイトに声を掛け、そう聞いた。

すると、目の前にいる男は「バレー部だ」と答え、そのまま教室を去っていく。

おいおい……これは、素晴らしい事実だ。一般生徒にも部活が設定してあったぞ。

ということはつまり、春野さんだって何かしらの部活に所属しているはずだ。

女子限定の場合は分からないが、ハーレム物に男女別れた物はないと信じよう。


「なあ、穂乃花」


「ん、どしたの。悪役みたいな笑顔浮かべちゃって」


「そんな顔はしてない。…………俺さ、」

春野さんの机を見ると、そこには姿が無い。恐らく部室に向かったんだろうか。


「やっぱり部活入るかも」

そう一言だけ呟き、俺は鞄を手に持って開いている教室の扉から飛び出した。

彼女を探して俺もそこに入部するために。それが、付き合うまでの第一歩だと信じて。



「もう! 景ちゃんはいつも先走るんだから」

「…………」

ガランと人が減った教室に、小さな声がこだまする。

「私と同じ所に入ってくれたら嬉しいなぁ」







「……といっても、どう探せばいいのやら」


意気揚々と教室を後にしたものの、正直探す術などない。

一つ一つ部室に赴くのは確実かもしれないが、流石に時間が掛かる。

というかそれをやってしまうと、いよいよ俺はストーカーだ。


「明日会った時に聞くのがベストか……?」


とぼとぼと校内を歩き回り、もしかしたらという希望を込めて探していく。

が、当然居るわけもない。生徒数が多いようで、見知った人と出会ってすらいない。

仕方ないから今日は帰ろう。と、進めていた足を止めて後ろを振り向いた。

「家までの道のりを覚えないとな」


しかし、忘れていたが俺はハーレム物の主人公だったのである。

目立った展開が無いので忘れていたが、基本は常に美少女の姿が近くにある存在。

つまり、こうして一人歩いていると、どう足掻いても出会ってしまうわけだ。



「やあやあ後輩君!」

声高らかにそう放ち、俺の目の間に現れた女性。


「この辺りを歩いてるという事は、入部してくれる決意を固めたのかい!?」

長身でスタイルの良い体つき、ポニーテールで括られた髪と目立った赤色の髪留め。

先ほどまで走っていたのか荒い息使いと汗で濡れた肌は色気漂うが……それよりも。


「ちょ、ちょっと待……やめてください先輩!」


この状況は非常にまずい。人通りが少ないため誰にも見られてないが、俺は今抱き着かれている。密着する身体。否が応でも鼻に入ってくる女性らしい香り。

まずい、これは滅茶苦茶まずいのだ。ここまで接近されてしまうと、そう簡単に逃げることは出来ない。いわば俺は罠に掛かった獲物か。


「フフフ……今日という今日は、私の演劇部に入ってもらおうじゃないか!」


3人目のヒロインである、演劇部部長の城花 明子しろばな あきこは笑いながらそう言ってきた。

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