第31話 ギョウカンニイル


 ぼくの通う高校にある図書室はそれほど大きくないんだ。

 一般的な教室ひとつより、ほんの少し大きいくらいでさ、所狭しと本棚が並べられて、そこにぎっしりと本が詰まっている。


 だけど本は綺麗に整理されていて、一冊一冊おろそかにされずに、大切に扱われているんだっていうことがわかるんだ。


 司書の久遠先生は、心の底から本というものが好きなんだね。

 たいていの本は先生の絶妙な補修がされていて、装丁を破壊することなく、むしろいっそうその本の持つ趣きと味わいを増して、見ているだけでいい気持ちになってくる。


 ぼくも本は好きさ。

 小さな頃から本はぼくとともにあった。


 だけどさ、趣味は読書です、なんて言ったことはほとんどないよ。

 なぜだろう、趣味という言葉はしっくりこなかったんだ。。


 ぼくにとって読書は、呼吸のようなものだった。

 一日の間に文章を少しでも読まなければ、酸欠になって具合が悪くなるんだ。


 まあ、でも今日はその話じゃない。


 先日さ、司書の久遠先生が倒れたそうで、学校へ来なくなった。

 ぼくは図書委員だったから、先生に代わって朝いちばんに鍵を開けて、最後に閉める役目を引き受けることになったんだ。それで本の整理や簡単な修繕なんかをやりながら、一番最後まで図書室に残っていた。


 図書室ってさ、独特な空気が流れているよね?

 わりに人が訪れるのに、静かにしているからかもしれない。

 あるいは無数の本の吐息がそう感じさせるのかもしれないね。


 ぼくは図書室が好きで、椅子に腰かけて、ぼんやりと本の一列を眺めているだけで、気分がよくなるんだ。


 夕方の五時を回り、少しずつ本を読んでいたり、自習コーナーで勉強していた生徒たちが帰って行き、ついにぼくひとりになった。


 図書室は校舎の三階にあってさ、なかなか見事に札幌の街並みが見える。

 日はもう落ちたから、今はガラスに室内が照り変えるだけだけど、昼間は住宅街を視線が流れて、豊平川を飛び越え、JRタワーの悠然とした姿まで目が届く。


 こうして学校の図書館から、札幌を眺めているこの光景も、いつか青春の一ページとして思い出されるんだろうっていう気がしてさ、ぼくは真剣に見つめるんだ。


 本を一行一行、一ページまた一ページと読んで行くようにさ、この先の展開に想いを馳せ、辿ってきた流れに眼を向けて、目の前にある一文を味わいながら、ぼくは自分の人生を読んでいる。

 ぼくは読み手であり、書き手で、まだ誰も知らない物語を最初に書き、最初に読むんだ。

 誰に読まれなくたって、誰も楽しませられなくなって、この一冊は最後までちゃんと書き切らなくちゃならないって思うよ。


 これは一筆書きの青春で、一筆書きの物語、書き直すことなんてできやしない。起こったことは起こったこととして受け入れなくちゃならないし、後から読み返して残念に思わないようにさ、精一杯に一度に一語ずつ、刻んでいくわけさ。


 図書室も眠る時間になったので、鍵を取りに司書室に入った。

 久遠先生はここで倒れて、物音に気づいた生徒が救急車を呼んで病院へ運ばれていったんだ。


 ふと、司書室の隅に木製のがっしりした机の上に、一冊の本が置かれているのを見つけた。

 薄い本で、どうやら出版社を持っていないらしい。

 もしかしたら先生の自費出版なのかもしれない。

 ぼくはね、その本に、強い力を感じたんだ。


 つまり、例の霊感、アルカ粒子の感覚だよ。


 一流の作家は文脈に行間に、自身のアルカ粒子を溶け込ませることができる。読んでいると、溶け込んだアルカ粒子がぼくらのアルカ粒子に影響を及ぼし、時として変化して、後々まで強い効力を持つことがある。


 自筆の時がもっとも強くアルカ粒子が宿っているんだ。だから博物館や記念館で、作者の原稿を見ることは、有意義なことなんだよ。濃度百%だからね。

 ただ印刷しても、文字の配列やリズムに宿ったアルカ粒子は消え去りはしないんだ。

 作者が描きたかったこと、一言一言抽出する間に考えたこと、伝えたかったことなんかが、アルカ粒子としてぼくらの感覚に直接訴えてくる。


 先生の本からも、強い訴えが聞こえていた。

 それも、並み大抵の力じゃなかったんだ。


 ぼくは本を手に取った。


     ⁂


 先生には奥さんがいてさ、大学時代に出会い、同じ本好きとして意気投合したことが、ふたりの関係の始まりだったらしい。


 先生は奥さんを、それはそれは愛していたんだ。


 ぼくは愛っていうのが何なのか、正直まだわかっちゃいないよ。

 でも何となく、それは瞬間の感情ではないんじゃないかって気がする。


 ある時、ある瞬間に痛切に感じる感情の強い跳躍じゃなくてさ、言葉で語ることのできない想いで、長い時間と行為でしか語ることができないんじゃないかって思う。


 振り返ったときに、あの瞬間もこの瞬間も愛していたってようやく言えるような、強い絆の物語だ。


 それが刹那に宿る、時として破滅的な力を持つ恋の効力と、愛との違いじゃないかって思ったり——。


 それこそ、本に書かれている一語一語の蓄積が、全体として壮大で華麗な物語を構築するように、日々の些細な眼差しや、ちょっとした気遣いの総和が、果てしない時間の総体として、愛を物語るんだ。


 ぼくは何度か先生の奥さんに会ったことがある。


 図書室に連れ立ってやってきたこともあったり、二度ばかり家に招かれたこともあった。


 とっても感じのいい人さ。

 面白いことが起こると、気持ち良く笑うんだ。それに面白いことを見つける天才なんだな。

 誰かに見られていることを微塵も意識しないような、楽しいという気持ちを全世界へ向けて表明するような笑い方で、奥さんがいると、部屋がぐっと明るくなるんだ。


 先生は優しいそうな嬉しそうな目で奥さんを見ている。


 ぼくはふたりを見ていると、何だかしあわせだったよね。

 こんな関係をぼくも築けたらいいな、なんて思ったんだ。


 先生の家は、集合住宅の一室にあってさ、ぼくは会いに行った。

 インターファンを鳴らすと、ドアを開けた先生は少し驚いた顔をしたけど、すぐに快く家の中に上げてくれた。もっとも、どこか諦めたような節もあったけど。


 そこは本好きにとって、楽しい空間だよ。


 美しい木製の本棚が並んでいて、そこに納められた本は実に独特な配列をしているんだ。


「学校の棚は自由にするわけにはいかないからね」


 と先生は言った。


「家の本棚は、私の並べたいように並べているんだ。

 本を読むのも好きだけど、本棚を構築するのも好きなんだよね」


 先生は少し照れたように笑いながら言ったよ。


 ある棚は先生の人生を紐解くような配列をしていて、またある棚は先生の趣味である古典文学の系統が、一目瞭然として分かるような配列をしている。

 奥さんの棚はユーモアに溢れていて、棚から棚へ景気よく飛躍し、お気に入りの画家の絵や、フィギュアなんかも一緒に置かれていてさ、それ自体が一つの小宇宙を構成しているんだ。


 ふたりの共通の棚もあるんだ。

 そこにはふたりの出会いのきっかけとなった本や、人生の節々でふたりを支え、楽しませ、時として慰めた本が並んでいる。

 この本棚を見るだけで、ふたりの関係性がよくわかるよ。


 それからまだ小学生の娘さんの本棚もあって、ぼくも大好きな児童文学や図鑑が並んでいるんだ。


 ぼくと先生が話している間、奥さんと娘さんはお絵描きをして遊んでいた。

 先生はその光景をとっても嬉しそうな目で見てさ、同時のその目のなかには底知れない哀しみが光っていた。


 そうなんだ、先生はさ、気づいているんだ。


 奥さんの淹れた珈琲の香りが、部屋の中をゆっくりと流れている。


 部屋の隅のレコードでは、ウィルヘルム・バックハウスがベートーヴェンの『月光』を奏でて、大きくて明るい窓の向こうには、春がある。


 雪どけの水が、団地近くの川を流れて、空には小鳥が飛びまわり、フキノトウが顔を出して、深々と春の息吹きを吸い込むんだ。


 そこは素晴らしい世界だった。

 優しくて、あたたかく、居心地のいい世界だよ。


「……先生」


 ぼくはなんて声をかけていいかわからなかった。


 先生は奥さんから視線を外さなかった。


「なんとなくわかっていたよ」


 先生はぽつりと言った。


「ここは、現実の世界ではないんだろう?」


「……はい」


「ここは素敵だ。だけどどんなに楽しくても、心が晴れなかった。胸のどこか奥のほうで、哀しみが私の目を覚まそうとするんだ。

 私はね、それに気づかないふりをしようとしてきた。

 だがね、その哀しみの声は妻の声で、私を叱りつけるんだ。

 しっかりしなくちゃ、駄目じゃないって」


「はい」


 先生の目はさ、涙で光っていた。


「できるなら、いつまでもここにいたかった。

 私にとって、ここは完璧な世界だ。


 ねえ、君——」


 先生はぼくの眼をじっと見つめて言った。


「じゃあ、妻は——、サユリさんは死んだんだね?」


 ぼくは頷いた。


 先生も頷いた。


「先生の本を、司書室で見つけました。

 それで、先生のいる病室へ行ったら、先生はまだ意識がなくて、ぼくにはわかりました、先生はこの本の中にいるって」


 先生はさ、辛い現実に耐えられなくて、自身の意識を、アルカ体を現実にある肉体から、先生自身の手で書いたこの本のなかに、行間に入り込ませたんだ。


 哀しみのない、理想の世界に。


 だけどさ、哀しみは先生を追ってきたんだ。

 あるいはぼくこそが、哀しみと現実の使者だったのかもしれない。


「本を読み始めたら、気づいたらこの世界にいました」


「苦労かけたね」


「いえ」


「ねえ、君、……私は、戻らなくちゃならないんだろうか?」


 先生の声に滲む哀しみが痛くてさ、ぼくは胸を八つ裂きにされるような想いだった。

 戻らなくちゃいけないなんて、ぼくには言えないよ。

 先生の哀しみはそれほど深く、一生涯続くんだ。


 代わりにぼくはさ、先生の娘さんから預かってきた、短い文章の書かれた手紙を、先生に手渡した。

 覚えたばかりの文字で書かれた、虚飾のない力のある文字の配列だよ。


 先生はそれを読んで、全身にギリギリと力をこめた。

 堪えきれない哀しみを、苦しみを、懸命に堪えようとでもいうようなその姿は、あまりに哀しく苦しかった。


「娘さんが先生を待っています。

 病室の先生のベッドを、片時も離れないんです」


 先生はごくりと唾を呑み、深々と息を吸い込んだ。

 それからゆっくりと立ち上がった。


「行こう」


 先生は言って、出口へ向かった。

 最後に何とも言えない哀しい目つきで、幸せな世界を眺めてから。


 もう二度と同じ世界は、先生に訪れないのだろう。また別のカタチがあるのかもしれないとはいえ、この世界はもう本の中と、先生の心の中にしかない。


 先生がドアを開けた時、不意に奥さんが顔を上げた。


「あなた」


 先生は振り返った。

 奥さんの笑顔はやっぱり気持ちのいい素敵なもので、見ているとこちらまで楽しくなってくる。

 ただ、今回ばかりは、哀しみの同居人としてだけど。


「いってらっしゃい」


 奥さんは言った。


「ああ」


 と呟いた先生の顔は見えない。


「いってくるよ」


 先生は外へ出た。


 そして、病室のベッドの上で、目を開けたんだ。


 先生はぼくが司書室で見つけたあの本と、泣きじゃくる娘さんを一緒に抱きしめたんだ。


 その本は『人生』という題名で、今、再び続きが綴られ始めたんだ。


 ぼくも同じだ。

 君も同じだよ。


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