第19話 タマゴノヒビ


 もしかしてだけどさ、ぼくが普段、一般に生物学的には死んでしまった人の話ばかりしているから、霊の世界が死者の世界だなんて誤解しているんじゃないだろうか?


 いやいや、そうじゃないんだよ。

 霊の世界はもっと広くて複雑で、多岐に渡る。


 そこには大気もあれば、天候もある。

 不思議な現象もあれば、奇々怪々な生物だって存在するし、奇妙な生態系も組織されている。


 実に愉快で、時として恐ろしく、やっぱり美しい世界なんだ。

 ぼくらの世界と変わらない。


 今日は君にその話をしようと思う。


 今まで霊って言葉を使ってきたけど、実のところ、彼らの世界ではそんな呼び方はされていない。


 霊、あるいは霊力はアルカ粒子と呼ばれているんだ。

 電子顕微鏡を覗いたって見えない。

 ぼくにだって見えない。


 そんな粒子が集まって、ぼくの眼にも見える状態になったものを、アルカ体と言う。

 今までぼくが霊体という言葉で表してきたものは、ほとんどこれに当てはまるんだ。

 ちなみに意志をもって行動するものを、マトリオシカと呼んでいる。


 でもってアルカ体が更に凝固し、密度を高めたものが、アルカ結晶体といってさ、ここまで来ると君たちの眼にも見えるようになるけど、まあ、その話は今はいいかな。

 機会があれば話すことになるかもしれない。


 なんで今更言葉を改めたのかって疑問に思うかもしれないけど、それはさ、霊って言葉を使うとやっぱり幽霊なんていう死者の世界を想像してしまうからさ。


 そうじゃなくて、彼らは紛れもなく生きている。


 見えないかもしれないけど、ぼくらと同じ世界に存在しているんだ。


 だからこれまでの言葉じゃ適さないように思ってさ、君を混乱させてしまうかもしれないけど、彼らの世界で流通している言語を使わせて貰ったっていうわけ。


 これで準備は整ったよ。


 少し昔の話になるけど、ぼくが小学五年生の時さ、学校から帰ると、ぼくの部屋に見知らぬ物体が置かれていたんだ。


 布団の上にちょこんとね。


 ぼくは一目見て、それが物質ではなく、アルカ粒子で構成されたアルカ体だっていうことがわかった。


 なぜそれが分かったかって説明するのは難しい。

 感覚的な話だからさ。

 それまでの経験から、どれが誰の目にも見えて、どれが自分の眼にしか見えないか、つまりどれが通常の物質で、どれがアルカ体なのかを見分けられるようになったんだ。


 そのアルカ体は卵のような形状をしていた。

 つやつやして、全体が淡くクリーム色に光っている。

 大きさは、ちょうどサッカーボールくらいだった。


 ぼくは近づいてみてさ、触れてみた。


 基本的にぼくはアルカ体に触れることはできない。ぼくのように見える人の中には触れることができる人もいるけどさ、そういう人は特殊なんだ。触れるイメージができるかできないか、その点にかかっているんだね。


 だけど、ぼくは卵に触れることができた。

 ということは、よほど密度の高いアルカ体だっていうことだ。


 見た目通りさ、卵の殻のような手触りだった。

 ひんやりとしていて、だけどその内側に微かな熱を感じたんだ。


 これは卵で、そしてこの中にはアルカ体の生物が入っている、ぼくはそう判断したね。


 それから、卵の世話をする毎日が始まった。


 もっともさ、世話をするっていっても、見守るだけなんだ。


 でも世話をするという目的は、当時のぼくにとって都合のいいものだった。


 今でこそ話せるけどさ、当時のぼくは学校に行きたくない事情があったんだよ。

 ぼくは……その、つまり、手のかかる子供だったんだ。


 だけど、学校に行かないっていう決断をすることはできなかった。

 休むことはよくないことだっていう意識があったし、それ以上にさ、学校を休むことで母に心配をさせたり、がっかりさせたりするのが怖かったんだ。

 そんな気持ちを超えるくらいに、学校に行きたくないという確固たる理由を、ぼくは見つけることができなかった。


 とは言え、ぼくはなかなか追い込まれていてさ、母には内緒だったけど、登校時間になるとお腹が痛くてたまらなくなるし、授業中は厭な汗がだらだら流れるんで辛かった。


 だから、卵の世話をするっていう理由は、ありがたかったんだ。

 ぼくは自分がいなければこの卵は死んでしまうって勝手に思い込んで、だからそのために学校を休むのは正当な正しいことだって考えたのさ。


 逃げたんじゃないって、そう思いたかったわけだね。


 でも、今から思えば逃げたってよかったし、それは逃げでもなんでもなかったと思う。

 自己防衛と逃避は違うのさ。

 戦略的撤退、回復期、まあ、呼び方はなんだっていい。


 いずれにせよ、ぼくは学校を休んだ。


 そして布団の中で卵を抱きしめて過ごした。


 ぼくは卵に色んな話をした。


 楽しい思い出や、辛いこと、

 気になる女の子のことや、苦手な子のこと——、


 時間はあったからね、ありとあらゆる話をしたんだ。


 ぼくは卵にリュークって名前をつけた。


 毎日一緒にいるとさ、やっぱり愛着が湧くもので、卵が可愛くて仕方なかった。


 たまに卵の中で何が動く気配がすると、ぼくは興奮した。


「リューク、がんばって生まれてくるんだぞ」


 と、ぼくはそのたびに声をかけた。


 今から思えばさ、ぼくはなかなか危険なことをしていたんだ。

 だって何が出てくるか分からないんだから。

 もし、出てきたそれがとんでもない怪物で、ぼくや周りに危害を加えていたらと考えたら、ぞっとするよね。


 でも、その時のぼくはそんな懸念は露ほども浮かばなかった。


 無知で無邪気だったんだろう。

 とにかく卵が可愛くて仕方なかったのさ。


 一週間くらい経ったとき、とうとう卵がぶるぶる動き出した。


 生まれる。


 ぼくは卵から少し離れて、見守った。


 緊張したよね。


 卵の淡い光はどんどん濃くなって、頭のほうがひび割れた。

 ひびは段々大きくなった。


「がんばれ」


 ってぼくは手に汗握って呟いた。

 ぼくは何もしていないのに、身体に力が入って、呼吸が苦しくなった。

 そんなことにも気づかずに、ぼくは懸命に卵に声をかけていた。


「がんばれ、がんばれ」


 そしてさ、ひときわ強い光が卵から溢れ出して、ついにひび割れた殻が転げ落ちた。

 突き破るようにして、龍のような生き物が姿を現わしたんだ。


 リュークは龍だったんだ。


 リュークは美しいエメラルド色をしていて、可愛らしい丸い目をくりくりっと動かした。


 それから勢いよく飛び上がった。

 蛇のように細い長い身体で、だけど手が二本に、足が二本ついていた。頭から背中にかけては黄色い毛が薄く生えていた。


 飛び上がったリュークは、けれど、不慣れですぐに落ちてきた。


 ぼくは手を伸ばして、リュークを受け止めた。


 リュークは身動ぎして、体勢を立て直すとまた飛び上がった。

 でも同じように落ちてきた。


 ぼくはまた受け止めた。


 リュークは飛ぼうとする。

 落ちてくる。

 ぼくは受け止める。


 何度もリュークは繰り返した。


 ぼくはやっぱり「がんばれ」って声をかけ続けた。


 そしてとうとううまくいった!


 ふわりと飛び上がったリュークは、うまく世界を捕まえたように、するすると宙を泳いだ。


 ぼくは快哉を叫んだよ。


 リュークはぼくの周りを楽しそうに飛んで回った。


 それからあっと言う間に窓をすり抜けて、大空へ飛んで行ったんだ。


 ぼくな窓を開け放って、大声で叫んだ。


「元気でね!」


 長いこと空を眺めた後で、ぼくはベットに倒れ込んだ。

 くたくたになっていた。


 その日は実にいい気持ちでぐっすりと寝たんだ。


 翌日から、ぼくはまた学校へ行くようになった。


 卵の世話は終わったからね。


 ぼくの世界は変わってはいなかった。

 相変わらず辛いことは辛いままだったのさ。

 でも、ぼくのほうがほんの少しだけ変わっていたんだ。


 ぼくの眼は、何度失敗しても懸命に挑戦し続ける、リュークの姿を見ることができたんだ。


 だから何だって言われたらそれまでだけどさ、その経験は確かにぼくに何かしらの影響を及ぼしたんだと思う。

 たぶん今でもね。


 リュークとは、いまだに交流があるよ。

 彼はぼくを覚えていてくれてさ、満月の夜にやってくることがある。


 今じゃ途方もなく大きく、賭け値なしに美しい生き物になっている。


 立派な角も二本生えているんだ。


 そしてさ、リュークはぼくを背中にのせて、夜空を心行くままに飛んでくれるんだ。


 それって最高の体験だよ。


 いつか君にも体験させてあげたいなあ!




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る