第18話 シツレンクラブ


 よく晴れた十一月初旬の午後、ぼくは喫茶店で待ち合わせをしていた。

 チェーンの店だけれど、こざっぱりとしていて悪くない雰囲気の店でさ、ここに来るのは久しぶりなんだ。


 待ち合わせの相手はまだ来ていなかった。

 ぼくは奥の方のテーブル席に坐って、珈琲とバタークッキーを二枚頼んだ。


 ねえ、君、待っている間にさ、少し昔話に付き合ってくれるかい?


 ぼくとハルはさ、同じ日に同じ病院で生まれたんだ。

 それだからぼくとハルは、生まれた瞬間からの付き合いってことになる。


 でもぼくの母とハルママの付き合いは、ぼくらの付き合いが始める前から始まっていた。


 母とハルママは、同じ時期に出産するんで、お互いに相談し合ったり、支え合ったりしたらしい。


 そんな風にさ、同じ時期に同じ行事なんかを共有することで育まれる関係っていうのは、結構あると思うんだ。


 一年前に、ぼくも同じ行事を共有する、関係を結んだのさ。


 ハロウィンの夜に、ぼくは札幌を縦断する豊平川の川辺に坐って、流れる水を眺めていた。


 少し離れたところに、いつからか、同じようにして川を眺める女の子が一人いたんだ。


 で、ぼくらは何気なしに視線を交わして、お互いの身に共通の行事が降りかかったことを理解し合った。


 それは同時に、会員二名の失恋クラブが発足した瞬間だったわけだ。


 当時の彼女は、ぼくより一学年上の高校二年生で、ミリンさんという名前だ。


 ぼくらのクラブ活動は実にシンプルなもので、公園や喫茶店やカラオケに一緒に行くというものだった。


 そこで互いの失恋の呻き声を聞かせ合うのだ。

 どちらがよくうまく上品に響かせられるか競うこともあれば、いかに派手に見苦しく呻けるかと勝負をしたこともあった。

 そしてたいていはお互いの呻き声を認め合い、虚しくなるのさ。


 ぼくらはふたりとも、元恋人のことが好きで未練たらたらだったんだ。


 ぼくらの胸には同じように穴が空いていて、同じように酸欠に喘ぎ、世界にまったく絶望していた。

 寝るときに瞼を閉じるのが恐ろしかった。そうするとたちまち明るく幸福な記憶が押し寄せてくるからだ。

 幸福な過去は対比的に現在をますます惨めに演出する。

 過去の明るさに眼が冴えて、眠れない夜が続く。


 ぼくらはそういった症状をも共有していた。


 クラブ活動が立ち直る切っ掛けになった、なんていうことはないよ。


 でもそれはぼくらに居場所を作ってくれた。


 これはぼくが身をもって経験したことだけどさ、心の痛手から立ち直るためには、ひたすら時間が必要なんだ。


 前向きな言葉や思想をいくら注射したって効果はない。


 思想っていうのはさ、心情から生まれるものであって、思想によって心情を左右することはできないっていうのが、今のところのぼくの考えさ。


 快活な気分な時には前向きな思想を持って、

 陰鬱に塞ぎ込んだ時には、暗い後ろ向きな思想を持つものだ。


 サルトル風に言えば、心情は思想に先んずるってとこかな。


 だからぼくらはまず心を何とかしなくちゃならない。

 そのために必要な時間を得るために、失恋クラブはうってつけだった。


 クラブにいれば、立ち直ろうとする必要はなかった。

 急かされることもなく、無理して忘れようとする必要もない。

 ぼくらは好きなだけ呻くことができ、好きなだけ泣くことができた。


 そうして吐き捨てた呻き声や涙の累積が、砕け散った心の隙間を、少しずつ埋めていったんだ。


 少なくともぼくはそうだった。


 ぼくは恵まれていたんだ。

 なぜならぼくにはハルがいたからだ。


 ハルは言葉や態度にこそ出さなかったけれど、ぼくを気にかけてくれて忙しい時間の合間を縫って会いに来てくれた。


 彼は人を楽しませる天才だからね。

 どんなに塞ぎ込んでいたくても、彼の前に出るとついつい楽しくなってしまうのさ。まいっちゃうよ、まったく。


 はっきり言って、ぼくはまだ完全に立ち直ったわけじゃない。

 彼女に対して未練はあるし、忘れることなんてできない。

 不意に記憶が蘇って、胸が激烈に痛むことがある。

 だけど少なくとも傷と付き合う力くらいは取り戻した。


 ミリンさんとは今でも不定期にあっているけど、クラブ発足初期の時ほど頻繁には会わなくなった。


 理由は色々あるけど、第一に彼女はいま高校三年生で、つまりは受験生だからだ。


 札幌で随一の進学校に通う彼女は、一流大学への進学を目指していた。それはぼくらが会うずっと前からの彼女の目標だった。


 彼女は猛烈に勉強したんだ。

 何かに打ち込んでいないと、気が狂いそうだったんだと思う。

 ぼくはさ、もともと何かに熱中するってことが少ないから、ひたすら散歩したりしてどうかしてしまいそうな精神を宥めたけれど、努力癖のある彼女はぼくがそうしている間勉強に打ち込んだ。


 ただ彼女は会うたびに陰鬱さを増していった。

 たびたび体調を崩すこともあるようで、目の下の黒い痕は段々と濃くなった。


 でさ、ぼくは彼女が霊体に憑かれているのを目にしたんだ。


 霊体はさ、そのままでは段々と霊力を失って薄く消えて行くものなんだ。

 霊体を維持するためには、ぼくらが食べ物を食べるように、霊力を随時補給しなくちゃならない——生きた人間からね。


 でも通常の人間の霊力は簡単に食べることができない。それはぼくらの身体にしっかりと結びついていて切り離すことが難しいからだよ。


 だけど絶望した人間のそれは、あっさりと切り離すことができるんだ。


 霊力を失った人間はますます暗くなっていく。簡単に言えば生命力の源のようなものだからね。

 そうしてますます霊体は、霊力を切り離し易くなるわけさ。


 ミリンさんはまさに霊力を奪われている最中だった。

 目は虚ろで、身体に活力はなかった。

 このままだとたいへんなことになってしまうだろうって、ぼくは恐ろしくなったよね。


 ぼくはさ、知り合いの霊体に頼みに行ったんだ。

 ミリンさんに憑いている霊体を追い払ってもらうようにね。


 それは成功した。


 だけど、ミリンさんはさ、元気にはならなかったんだ。


 彼女は霊力が流出したから心を病んでしまったのではなくてさ、心を病んでしまったから霊力が流出しやすくなり、霊体にそれを奪われてしまったんだ。


 だからミリンさん自身が、自分の心を防衛できるような状態にならなければ、活力を取り戻すことはできないわけさ。


 ぼくはさ、どうにかしてその切っ掛けになれればと思って、色々と活動をした。


 ぼくにとってのハルのような存在になれればって思った。


 だけどさ、どうすることもできないまま、彼女は段々クラブに参加しなくなって、この頃はまったく会っていない。


 もちろん彼女は受験生で忙しいっていうのはわかるけどさ、やっぱり心配でたまに連絡をしてみるけど、返信もなかなか返ってこなかった。


 それがさ、先日、ミリンさんから連絡があった。

 それが今日、この喫茶店で待ち合わせをしようという誘いだった。


 でね、やってきたミリンさんは、見違えるように明るくなっていた。


 髪の毛も短く爽やかな感じになっていて、眩しいくらいに笑顔を浮かべているんだ。


 正直さ、ぼくは呆気にとられたよね。

 でも、すぐに嬉しさが込み上げて、ぼくらは挨拶もそこそこに談笑した。


「ねえ、ミリンさん、変なこと訊いていいかな?」


「なに?」


「あの、いったいどうやって立ち直ったの?」


 そしたらミリンさんは、少し恥ずかしそうな顔をした。


「あのね、好きなことを見つけたの。

 夢中になれること」


「それは何?」


「ふふふ。それは秘密。

 いくら君にだって教えられないわ。

 別に変なことじゃないけど、ひとまず誰にも秘密にしておきたいの。自分だけのとっておきの秘密ね」


「そう?

 じゃあ聞かない。

 でも、よかったよ。君が元気になって」


「ありがとう。

 あのね、トーマ、わたしわかったのよ」


「なに?」


「人はね、何かを好きになって過去から前に進むの。

 何かを好きになるって、前に進むことなんだわ」


「なるほど」


「ね、わたし、失恋クラブは脱退するわ」


 ぼくは思わずドキッとした。


「もう会わないってこと?」


 そしたらミリンさんは笑った。


「まさか! 違うわ。

 また別のカタチで会いましょ。

 そうするべきだと思うの」


 彼女の眼はきらきらしていて眩しかった。


 ぼくは頷いたね。


「わかった」


 ぼくらはそのあとも様々な話題で盛り上がった。

 しばらく会っていなかったので話題は溢れるほどあったし、ミリンさんも受験勉強の息抜きとして、一秒も無駄にしないと意気込んでいるようの楽しんでいた。


 喫茶店を出た後、カラオケで一時間半くらい過ごして、解散した。

 駅前で別れた時も、ミリンさんは最後まで笑顔だった。


 ぼくは日が暮れた町を歩いて帰った。


 失恋クラブの会員は、たった一人になっていた。

 これじゃクラブ活動は成り立たないよね。


 でもまあ、今後の活動はともかくとしてさ、ぼくはミリンさんの脱退を心から祝福したんだ。


 

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