第16話 ミエナイスケジュール


 ぼくには予定っていうものがないんだ。

 いや、何もせずにぼやぼやしているのとは違うよ。


 平日は毎日学校へ行くし、休日はしっかり休む。


 そういった予定はあるけどさ、何月何日何曜日に何々をするっていうような予定はまるでないわけだよ。


 きっと交友関係の豊富な人は、そういった予定が山ほどあるんだろう。

 ぼくは誰かと遊ぶことなんてほとんどないし、今はアルバイトもやっていないからシフトの予定もない。


 だからスケジュール帳なんかを購入して、行動を管理する必要なんてないわけだ。


 寂しい奴だなんて思わないでくれたまえ。

 ぼくはそもそも予定って奴が苦手なんだよ。


 どんな些細なものでも、予定っていう奴があると、ぼくは心理的圧迫を感じて何も手がつかなくなるんだ。

 予定はぼくの両手両足を拘束し、真綿で首を絞め上げる。


 曲がり角からひょっこりと予定が飛び出てこないかビクビクしなくちゃならないし、夜道も背後が気になって仕方が無い。


 だけど、スケジュール帳自体は好きさ。


 デザインも形も中身も多種多様でさ、よく文房具屋でスケジュール帳や手帳を手に取って眺めるんだ。

 そして一番気に入ったものを購入する。

 何を書きこむわけでもない。

 予定なんてないからね。

 たまにメモ帳代わりにつかうことはあるけど、メモ帳は他にあるからほとんど使わない。


 ちょっとした贅沢だよ。

 暇な時にパラパラとめくってさ、過ぎ去った月に想いを馳せたり、これからやってくる月に妄想の羽を羽ばたかせたりする。

 そういう作業が捗るデザインを選ぶんだ。


     ⁂


 十一月三日、文化の日——学校は休みだった。


 ぼくはのんびりと七時くらいに布団を抜け出して、午前中は本を読んで過ごした。

 それから、午後は散歩をして、少し勉強をした。

 勉強に飽きると、引き出しの中からスケジュール帳を取り出して眺めてみた。


 十一月はもうページの後半だ。

 去年の暮れに買ったスケジュール帳は、ほとんど新品同様だった。


 だけど、今年の前半のほうはさ、ぼくにとって特別なイベントがチラチラしていて、まるで大海原を照らす灯台のように白紙の月を照らしていた。

 灯台は、七月の海を越えると、パッタリ見えなくなった。


 ぼくは胸を痛めながら、八月、九月とやり過ごし、とうとう今月まで辿り着いた。


 そこで、まじまじとページを覗きこんだのさ。


 予定が書きこまれていたからだよ。


 身に覚えのない予定なんだ。


『札幌駅、十八時、妙夢——マサマサ』


 と書いてあった。


 寝ぼけて自分で書いたのだろうか、なんて考えたけど、まさかそんなわけがない。

 それに、これは明らかにぼくの文字じゃない。


 と、なると、どういうことだろう?


 考えたって仕方が無い。

 世界には不思議なことが山ほどあると、一般的な人よりは身をもって多く体験しているつもりだ。


 ぼくはさ、楽しくなっちゃった。


 ここはひとつ、この身に覚えのない予定を遂行してやろうと思ったんだ。


 予定は嫌いだけどさ、身に覚えのない予定なら話は別さ。


 それに数日後とかなら、身に覚えのある予定になってしまうけど、予定が書きこまれた日付は文化の日——今日だった。


 現在時刻は十七時の五分前、今から向かえば十八時前には札幌駅につく。


 ぼくは服を着替えて、財布と定期券をポケットにねじ込み、それからスケジュール帳を持って外に出た。


 外は薄暗く、鼻をツンとさせる冷気のお出迎えを受けて、思わず顔をしかめたけれど、悪い気分じゃなかった。


     ⁂


『妙夢』っていうのは、札幌駅の南口にあるオブジェのことだ。


 安田侃さんっていう彫刻家がつくったそうで、白い大きな大理石の真ん中をくり抜くように穴が空いている、実にシンプルな造形だよ。


 人工的な直線の横行する駅の中で、その滑らかな曲線は不思議なくらい見事に空間に調和していて、冷たい大理石からは想像もできない温かみをさ、景色に与えているんだ。


 たいへん目立つので、待ち合わせスポットとして活用されているんだ。


 実際、今日も十数人の各種様々バリエーションに富んだ人々が、妙夢を取り巻いていた。


 ぼくは一度石の周りをぐるりと回ってから、少し離れた壁に背中を預けた。


 スケジュール帳を開いて、改めて予定を確認する。


『札幌駅、十八時、妙夢——マサマサ』


 もうすぐ十八時になる。


 マサマサっていうのは人の名前だろうか? 


 男か、女か——どちらだろう?


 年齢は?


 もし仮に誰だか識別できたとして、そのあとどうするんだろう?


 そもそもどうして身に覚えのない予定が、スケジュール帳に書かれたりなんかするんだろう?


 誰かがぼくに何か伝えようとでもしているのだろうか。


 考えてみればみるほど、自分が馬鹿げたことをしているのが納得できて、むしろ愉快になってきた。


 十八時になった。


 特に何か変わったことは起こらない。


『妙夢』の周りでは、依然として人が人を待ち、人が人と出会う。

 手を取りあい、また会釈をして、地下鉄のほうや、札幌の街の中へ連れ立って消えて行く。


 黙ってこういうのを見ているとさ、何だかいい気持ちになってくる。


 待っている人がいて、その人を見つけたときの顔の輝きはさ、とっても素敵だと思う。


 だけどさ、その中には暗い顔をした人もいて、そういう人はいつまで経っても待ち人が現れないんだ。


 もう来ないと頭では分かっていても、期待する心はどうすることもできない。


 まるで『妙夢』の冷たい温かさに囚われたように、そこで立ち尽くし、来ない人を待っている。


 予定にじわりじわりと喰われて行く。


 ぼくと同い年くらいのあの男もその一人なのだろう。


 深緑のコートのポケットに深く手を落として、じっと足下を見つめている。

 垂れ下がった髪の毛が眼を隠している。

 わざとそうしているようだった。


「お、トーマ、何してるんだ?」


 なんて声が聞こえた。


 振り返ると、ハルがいた。


 ハルっていうのは、ぼくの数少ない友人の一人だ。

 温かそうなダウンを着て、薄黄色のマフラーを巻いていた。


「ちょっと見に覚えのない予定があってね」


 と、ぼくは答えた。


「なんだそれ」


 とハルは首を傾げて、それからふと真顔になった。

 視線の先は『妙夢』に突き刺さっていた。


「あいつ、やっぱり来てる」


 と、ポツリと呟いた。


「あいつって?」


「ほら、あいつだよ。

 俺たちと同い年の男、深緑色のコートを着ている」


 まさしくぼくが注目していた彼だった。


「知り合いなんだ」


「ああ。あいつさ、一か月前に、恋人を亡くしたんだ。

 事故で死んだんだって」


「そう」


 ハルは他人のプライバシーをひょいひょいと言いふらす人間ではない。

 きっと相手がぼくだから信頼して話しているのだろう。

 そして彼自身、言葉にしたかったのかもしれない。

 ハルはさ、感じ易い性格なんだよ。


「今日さ、あいつはその恋人とデートをする約束をしていたんだ。

 二人とも何かと忙しい人種で、あんまり会えないんだ。今日も一緒にご飯を食べて解散っていうささやかな予定に過ぎない。

 でも、あいつにとっては久々に恋人に会えるんで、とんでもなく大切な予定だったんだ」


「だけど、恋人さんは来ないんだね?」


「ああ。

 あいつもそれを重々承知している。

 俺さ、何もできないけど、心配になって見に来たんだよ」


「そうなんだね」


 ぼくはふと思いついて、聞いてみた。


「彼はマサマサ?」


 ハルは少し驚いた顔をした。


「そいつはあいつのあだ名だ。

 知ってたのか?」


 ぼくは首を振って、スケジュール帳を開き、身に覚えのない予定をハルに見せた。


 ところが、ハルにはそれが見えなかった。


 彼には空欄にしか見えないらしい。


 だけど、ぼくの眼にははっきりと見える。


『札幌駅、十八時、妙夢——マサマサ』


 つまり、こういうことなのだろう。

 この文字は、霊力で書かれているんだ。


 どういういきさつでぼくのことを知ったのかはわからないけれど、亡くなったマサマサの恋人は、ぼくがそういう不思議を感得する能力があるのを知って、ぼくのスケジュール帳に予定を書きに来たのだ。


 とは言え、ぼくに何をしろと言うんだろう?


 ぼくはすがるような気持ちで、もう一度スケジュール帳に眼を落した。


 すると、そこに新たに文字が書かれていた。


 それは彼女の気持ちだった。


 ぼくはボールペンを取り出して、可能な限り丁寧に文字をなぞった。

 こうすれば、彼にも読めるはずだ。


 そしておそらく、少しくらい違和感はあるだろうけど、これは彼女の文字なんだ。


 ぼくはスケジュール帳を破って折りたたみ、


「落としましたよ」


 とマサマサに差し出した。


 マサマサは不思議そうな顔をしたけれど、哀しい目で紙切れを受け取った。


 ぼくはハルの隣に戻った。


「何を渡したんだ?」


 ハルは怪訝そうに言った。


「それは内緒だよ」


 あの言葉はふたりだけのものだからね。

 ぼくは橋渡しをしたに過ぎない。

 いくら君でも、教えられない。


 ハルは心配そうにマサマサを見やった。


 彼は紙切れを見つめながら、涙を流し、だけどその口許は笑っていた。


「だいじょうぶだよ、ハル」


 ぼくはハルに声をかけた。


「マサマサには彼女がついてるから」


 ハルはぼくの顔をじっと見つめ、それから強く頷いた。


「そっか!」


 ぼくらは並んで歩き出した。


「なあ、トーマ、久々になんか食べに行かないか?」


「いい考えだ!」


 ちょうど何か予定を入れたい気持ちだったのさ、食べ物と一緒にね。

 


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