第13話 スタースケート


 近所に空き地がある。


 住宅の間にさ、四角く真ん中が盛り上がったような空き地で、ずいぶん長く野放しにされていて、風に吹かれてやってきた雑草や木の根が、これさいわいとばかりに背を伸ばして、ちょっとした雑木林のようになっているのさ。


 ぼくはたまにここに来る。

 小学生の頃からの習慣さ。


 人に疲れて、一人きりになりたくなったらここにくる。

 樹々に紛れてひと息つき、枝葉を縫って空を見上げると、ほっとするんだ。


 誰からも忘れさられたような平穏がそこにある。


 もっとも永久に忘れ去られるのだとしたらさ、ぞっとするけど、たまに、ほんの少しの時間だけなら、なかなか気持ちのいいことだよ。


 だけど、今日、ずいぶん久しぶりに空き地へ訪れたら、平穏はそこになかった。


 代わりにローラースケートが落ちていた。


 しかもね、そいつ喋るんだ。


「おい、おまえ」


 なんて言われてさ、びっくりしたよね。


「君、喋れるんだ」


「喋っているからな」


 そいつは尊大な物言いだった。

 ぼくはちょっとムッとしたね。


「どうやって喋っているんだい?」


「自分で考えろ、バカめ」


 ぼくは黙って立ち去ろうとした。


 そしたら、ローラースケートは慌てたように言うんだ。


「おい、どこへ行く」


「帰るんだよ」


「まあ、待て、そう焦るな」


「焦っちゃいないよ。ただ帰りたくなっただけさ」


「いいから、とりあえず、俺の話を聞け。

 興味ないのか? ローラースケートが喋るなんてあり得んだろうに」


 ぼくは少し考えるふりをしてから答えた。


「興味ないなあ」


 ローラースケートは大袈裟に仰け反ったね。どうやって仰け反ったかって聞かれると困っちゃうけどさ、仰け反ったとしか言いようがない感じになったんだ。


「おまえ、頭おかしいんじゃないか?」


「それでいいよ。

 じゃあ、さよなら」


 そしたらローラースケートは切羽詰まったような口調で、頼み込んできた。黙って聞いてたら、懇願するような調子になったので、


「二分だけでいい?」


 とぼくは妥協した。


「二分じゃ足りん。

 頼むよ。褒めてつかわしてやるから」


 ぼくは溜め息をついて、だけど頷いた。


「まあ、いいよ。

 話ってなんだい?」


「俺は王子なんだ」


「ローラースケートの?」


「バカかおまえ」


「帰るよ」


「すまぬ、すまない、ごめんなさい」


「何の王子なの?」


「宇宙人の王子さ」


「それがどうしてここに?」


 と、聞いたのがまずかったんだね。

 王子は久しぶりに会話ができるのが嬉しいのか、口を挟む余地のないほど目まぐるしいスピードで、自分のこれまでを語り始めたんだ。

 立ち去る隙もなかった。

 興奮するとローラーが高速回転するんだ。


 要約すると、王子の話はこんな風になる。


 彼は遠い宇宙の彼方の星に王子として生まれついた。

 それはそれはしあわせな毎日を過ごしていた。

 ところが、王子の伯父にあたる王様の弟が謀反を起し、王さまとお妃さまを殺してしまったのだ。

 王子は殺されはしなかったが、ローラースケートの姿に変えられて、宇宙へ追放されてしまった。

 なぜローラースケートだったのか、それは彼の星でローラースケートは庶民の履物だったからだ。

 宇宙を遥々彷徨い、つい先々月この空き地へ辿り着いたというわけだ。


「それは災難だね」


 とぼくは答えた。


「まったくだ! やってられん!」


「これからどうするの?」


「星に帰る。

 別に王位につきたいってわけじゃない。

 そんなもの伯父にくれてやる。

 復讐する気だってない。王っていうのはいつだってそういうものだからな。

 父上と母上を殺した点に関しては憎いが、伯父の政治はなかなかどうして立派だ。あれなら民もしあわせに暮らせるだろう」


「星に帰って危険はないのかい?」


「あるだろうな」


「じゃあ、どうして帰るんだい?」


「星に恋人がいるからだ。

 追放されるとき、何とかして奴等の手を逃れて、恋人に約束したのだ。

 必ず迎えに行く、それまで待っていてくれとな」


「なるほど」


「泣ける話だろう?

 ほれ、泣け、バカ者が」


「今ので台無しさ。

 どうやって帰るつもり? 君、動けないんだろう?」


「それだ! そう、ようやく話の核心に辿り着いたな。

 褒めてつかわす」


「そりゃどうも」


「つまりだ、俺を履くという名誉をおまえに授けよう」


「慎んで辞退するよ」


「なにゆえ?」


 ローラースケートは大袈裟に仰け反った。


「なんとなく。

 それに履いたところでどうなるの?」


「おまえは俺の星まで行くんだ。

 そうして、俺の恋人を連れてこの地球に戻ってくる」


「無理だよ。

 ローラースケートじゃ宇宙へ行けない」


「そこは任せろ。

 俺の力にかかれば宇宙の果てにだって行ける。

 ただ、俺一人の力じゃ無理なんだ。

 それが伯父のしたたかなところなんだ。

 完全に希望を奪わないことが、もっとも人を長く苦しめられると知っている。

 そしてその希望は、あまりに儚い」


「どうして?

 だって誰かの力を借りさえすれば、星へ帰れるんだろう」


「つまりだな……、俺は嫌われ者で人望がないんだ。

 だから、助ける人などいないだろうって叔父はふんだわけだな」


「わかる気がする」


「これでも丸くなったんだぜ?」


「これでも?」


 今度はぼくが大袈裟に仰け反る番だった。

 ここでは大部分割愛したけどさ、実際とんでもなく嫌な奴なんだよ、こいつ。


「頼むよ。

 おまえだけが頼りなんだ。

 地球には俺の声を聞ける奴だってほとんどいない」


「でもなあ」


「お願いだ。

 ……会いたいんだ、あの子に」


 そこまで言われたら、断れないだろう?


 でさ、ぼくはローラースケートを履いた。

 足を入れた時はぶかぶかだったけどさ、履くと足にぴったりするんだ。


 王子はうきうきしてはしゃいだよね。

 これで帰れるって。


 喜ぶ王子の姿は可愛かった。


 ぼくは空き地から出て、アスファルトの上をローラースケートで走った。小さい頃にアイススケートを習っていたから、結構うまく漕げたと思う。


 速度はビュンビュン上がって行った。

 足はそれほど速く動かしていないのに、景色がどんどん後ろに飛んで行くんだ。


 そして、気づいた時には地面を離れていた。


 不思議と風はほとんどなかった。


 大地が遠ざかって、雲が近づいた。


 ぼくは雲海の上を滑って、飛行機を横切り、そして大気圏を突破した。


 眩い星。


 振り返ると、暗闇に輝く青い地球がある。


 銀河。


 この星々のどこかに王子の星はある。


 王子は迷わずに一直線に進んだ。


「どこに向かっているのかわかっているの?」


 ぼくは少し心配になって言った。


「運命とあの子が俺を導くさ」


 と王子は答えた。


「こないだ会った大学生は運命はないって言ってたけど」


「おまえの星のことは知らん。

 だが、俺の星には運命はある

 そしてあの子は待っている」


 王子は力強く言ってから、少ししてポツリと付け加えた。


「……待っていて欲しい」


 ぼくらは宇宙を駆けて行った。


     ⁂


 再び空き地に戻ってきた時、ぼくはもうローラースケートを履いていなかった。

 その代わり、ぼくの隣には性格の悪そうな顔をした男の子と、優しそうな顔をした女の子が立っていた。

 女の子が男の子の手を握ると、男の子はふんと鼻を鳴らして顔を背けたけれど、握った手を離そうとはしなかった。


 ぼくと二人はその場で別れた。


 二人がいまどうしているのか知らないけど、まあ、うまくやっているんじゃないかな。


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